(8)
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「そうそう。昇君、君にまだお礼を言っていなかった」
「……何を……」
「君が工房に入れてくれた時に持ち帰ったものは大いに役に立ってくれてね」
そう言って彼は、水槽の中で胎動する肉塊を指さした。
「あの頃の静さんは実に多岐にわたる分野の研究をしていてね。恥ずかしい話だが、俺が得意分野だと自負していた魔術的観点からの生命研究でさえ比較にならないくらい深い知識を修めていたんだよ。この前手に入れたレポートを見て、改めて痛感した」
「……それが、水槽の中のものと関係あるって言うのか」
「あるともさ」
言いながら彼が水槽に浸かった肉塊に触れ、手のあたりがぼうっと淡く光り――
グチャリ、と。
その一部をむしり取り、そしてあろうことか、そのまま口の中へ放り込んだ。
「……っ」
見た目の気持ち悪さに思わず吐き気がこみ上げてくる。
しかしそれ以上に、肉塊を喰った彼の、塞がり切っていなかった傷がたちまち消えていく光景に驚きを隠せない。
更に変化はそれだけにとどまらなかった。
「何だ……?」
彼の身体が一瞬ビクンと震えたかと思うと、その大きさが心なしか肥大しているように見えた。
「……うむ。マズい。……今後の課題は強いて言えば味か」
「あなたに今後などありはしません……!」
体勢を立て直したララが再び一瞬で間合いを詰めて斬りかかる。
再び焔の剣が彼の身体を横薙ぎに――
「――ッ⁉」
赤熱した刃は先程よりもむしろ出力が上がっていたにもかかわらず、その身体を両断する事ができていなかった。
刀身はその表皮のあたりで押しとどめられていたのだ。
「むうん!」
至近距離から振るわれた拳の一撃。
歳相応の細腕だったはずのそれは重量級の格闘選手よりも膨れ上がり、その一撃を躱しきれなかったララの身体が今度は数メートルも後方に吹き飛ばされていた。
「ぐ……これ……は……!」
すぐに起き上がって構えなおしたララが、突然片膝をついた。
「ララ!」
「昇さん。下がっていてください」
「……あの肉塊を口にしてから、急変した……?」
「――こいつが何か、知りたいかい?」
立川は愉快そうな笑みを浮かべていた。
まるで自慢の品をひけらかすように。
「五十年前に手に入れた、あのクラリッサ=Aマグダウェルの肉片だよ。尤も、当時手に入れたのはそこの魔導人形に斬り飛ばされた指先でしかなかったがね」
「な……」
そんな、ごく小さなものが、あんな状態にまでなると言うのか。
「工房から俺が持ち出した研究資料は、その対象の細胞が持つ自己修復機能を飛躍的に高めるものだ。静さんは医療魔術の研究として書き残していたようだけどね。あの吸血種の体組織に使えば、その再生能力は人間のそれとは比較にならない。見なさいこの細胞増殖能力を。取り込めば当然、この年寄りの身体も強靭な再生力と膂力が宿るのさ。魔導人形と殴り合いが出来るくらいに、ね」
「……五十年前、あなたを助けた私と静が誤りだったと言うわけですね」
ララがよろめきながら立ち上がる。
「ララ!」
そして駆け寄って肩を支えた僕に、小声で耳打ちをした。
「……昇さん。あの再生力では浅い攻撃を何度当てても効果は薄いでしょう。一撃で構いません、相手の攻撃を防いでいただけますか」
正直、僕自身の魔術の力は駆け出しもいいところだ。
けれど婆ちゃんが残してくれた精霊魔術なら、信じるには値する。
「……やってみる」
「ふふ。誤りだなんてめっそうもない。おかげで俺は一度は諦めかけた魔術師としての人生を取り戻すことができる」
「あんた……家族だって居るんだろう! それを全部台無しにしてまでやることか!」
「学生の君にはまだわからないだろう。歳をとり身体が痩せ衰えていく緩慢な恐怖は!」
言いながら再び肉塊を毟り取り、口へ運ぶ。
咀嚼するたびに、肉体が若々しいものに変容していくのが見て取れた。
「放っておけばあと数年で死んでいたっておかしくなかった身体がこうだ。これで魔術の研究に好きなだけ打ち込むことができる。普通の人間としての余生なんぞと比べるべくもない」
嬉々として語る様は、醜悪だった。
婆ちゃんはこの姿を知らずにいたのは、ある意味幸せだったのかもしれない。
まして息子夫婦を密かに手に掛けられていただなんて。
「……私がこの時代に目覚めたのは、あなたを葬って、あの時代の後始末をするためだったのでしょう」
剣を構えなおしたララに、立川は恍惚の表情を浮かべて言った。
「静さんは亡くなってしまったが……彼女が残した君を倒せば、あの日から俺が懐き続けていた劣等感も……少しは晴れるというものか!」
立川が駆け出し、ララは剣を振りかぶる。
「それはさっき効かなかったのを忘れたかね⁉」
「昇さん!」
「疎は大地、疎は盾! 防ぎ! いなすもの!」
「むう⁉」
両者激突の寸前に、簡易術式を発動する。
ララの魔術兵装として使えばおそらくあらゆる攻撃を短時間防ぎきることくらいは出来るらしい盾の術式。
未熟な僕が使う簡易術式では襲い来る一撃に耐え切れずに砕けたものの、その軌道はギリギリで横へと逸れる。
「ふうっ!」
焔の出力を全開にしたララの一刀。
先程は防がれたが、今度は相手の力が全て攻撃へ回っているまさしく同じ瞬間だった。
「ぬぐううう⁉」
赤熱した刃は相手を再び両断する、が――
「吸血種の肉から得た再生力があると言った!」
再び立川がその身体を結合しようとした時。
切り離された片側の身体が霜が降りたように白く染まり、次の瞬間には氷に覆われて動きが停止する。
「……何だ……一体何が……⁉」
何が起きているのかわからず焦る立川の前に、ようやく彼女は姿を現した。
「――私の肉を魔術で培養して喰ったってだけでも気色悪いのに、それがよもやこんなジジイだなんて。勘弁してくれよ」
「クラリッサ=A=マグダウェル……!」
自分を見下ろすクラリッサを睨む立川の顔には、それまで見せなかった憎悪の色が宿っていた。




