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事態が進展しようとすまいと、日々の時間は流れて行くわけで。
「とりあえず、こんなもんか」
翌日、クラリッサから『昨日のこともある、とりあえず今日は大人しくしてなさい』と言われた僕は、あれこれ考えた末に家の掃除に勤しんでいた。
この半月あまり吸血種と屍人絡みの事にかかり切りで家の事が疎かになっていたので、悩み事の類は一時脇に置いて気分を入れ替えるには丁度よかったかもしれない。
ララは昨日途中で放り出す羽目になってしまった食材の買い出しに出かけ、クラリッサは自室に籠って工房から持って来た研究資料を読み漁っているようだ。
「僕も一息つくか……」
ララが戻ってきたら食事の準備は僕の仕事だけれど、それまでは少し時間もありそうだ。
僕は二階へ上がり、以前書斎から借りていた婆ちゃんの昔の日記の一冊を持って来た。
お茶を淹れ、日記の日付を辿って行く。
魔術との関係を匂わせる類の事はわざと言い回しを変えて表現をぼかしていたりするので一見すると普通の日記なのだけれど、これまでに判明している様々な前提情報と照らし合わせながら見て行くと、何となく事情を察する事ができる部分も少なくない事に気付く。
――四月十六日
ちょっとした調べものに行った図書館で、変わった外国人の子と知り合いになった。
クラリッサと言う金色の髪が羨ましいくらい綺麗な、赤い瞳の子だ。
学校でもあまり同級生とのやりとりに興味が持てなかった私が、正直あんなに人と話し込む事になるなんて自分でも不思議に思う。
日本の文化に興味があって留学してきたのだと言っていた。また会えるといいと思う。
――四月二十八日
喫茶店でクラリッサと偶然再会する。
珈琲や紅茶を出す店で日本のお茶を置いていないと不満を漏らしていた。
しばし歓談。好奇心旺盛な彼女のものの見方はとても興味深い。
――五月四日
クラリッサの滞在先に、彼女が飲みたがっていた日本茶を何種類か見繕って遊びに行った。
多くの書物に囲まれて自由に暮らす彼女の在り方は羨ましくもある。
ただ日本文化の研究目的で集めていると言う郷土史や民俗学の書物の中には旧い時代の信仰や呪術的なものを取り扱ったものが多く見受けられるように思える。
――五月十日
嬉しいことがわかった。
彼女とはと同好の士だったのだ――
「……これまでただ一人で黙々と学んでいたものを共有できると知ったこの喜びは、ちょっと経験が無い――」
「静はあまり学校や何かに友人を作っていなかったみたいだからね。おかげでこんな悪い虫にひっかかったワケだ」
「別にクラリッサは悪い虫ってワケじゃないだろう」
「んっふっふ、そうかい?」
「ああ、まあ……」
「……」
「……」
「それからそれから?」
「ほおおおおおおおおおおお⁉」
いつの間にか後ろから覗き込むようにして立っていたクラリッサに驚いた僕は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「故人で祖母とは言え、レディの日記を覗き見するのは良い趣味とは言えませんなあ昇クン」
クラリッサはからかうような口調で言う。
「わ、悪いとは思ってるよ。ただ、婆ちゃんが魔術とどう言う思いで向き合っていたのか、研究資料なんかには書いてないだろう? こっちは直接的な描写は避けてるけど、所々朧気だけど見えてくるものがあると思ったから」
そう言って日記を閉じようとしたところに、クラリッサが後ろからのしかかるようにして日記に手を挟み込む。
長い金色の髪が頬に触れて思わず少しドキリとする。
「おっとっと、悪趣味だがやめろとは言ってないぞ。私も自慢じゃないが悪趣味だからね」
「……二人して婆ちゃんの罰が当たっても文句は言えないぞ」
「まあまあいいから。早くページをめくりなさいな」
そして僕らはそのまま婆ちゃんの日記の続きを追って行った。
二、三ヵ月は日記の文面の中に、クラリッサと一緒に調べものをしたり、時には年相応に遊びに行ったような記述が見られていた。
クラリッサは婆ちゃんの事を友人だと話していたけれど、当時の婆ちゃんから見てもそれは同じだったのだろう。
しかし日付が夏頃になると、様子が少し変わって来た。
――七月三日
クラリッサの様子が少しおかしい。
周囲を警戒しているような素振りを見せる時があるし、話をしていても急に上の空になったりしている。
わけを聞いても答えてはくれなかった。
――七月二十五日
アパートにはもう一週間近く戻っていないようだ。
無事だといいのだが。
私はあまり人の心の機微に敏感ではないから、彼女が何か大きな悩みを抱えていたのだとしても助けになってあげられるかわからない。
――七月二十六日
人の心に寄り添える存在には、私のような人間にはきっとなれやしない。
けれど今作っているものが完成すれば。あれならばずっと、誰かの心に寄り添える存在になってくれるはずだ。
「……この頃って……?」
「丁度私が御山家の御曹司から目を付けられ始めた頃だね。……最初は闇討ちしてきたのを撃退していただけで済ませていたけれど、そのうち日中帯から監視されるようになったんだ。だから静を巻き込まないために、会うのをやめた」
クラリッサは僕の背中に寄りかかる様にしているから、その表情は伺い知る事はできない。
けれど、その声にはどこか郷愁と歯痒さが入り混じったような複雑な感情が混ぜこぜになっているように感じられた。
「……もしかしたら、この頃ならまだ他に選択肢もあったかもしれない。けれど当時の私はそれを見つけられないまま、あの秋のある日を迎えてしまったんだ」
――十月二十六日
友達と再会した。
彼女は、もう引き返せないと言った。




