(7)
⒎
「いやあ、大漁大漁」
クラリッサは満足そうに、工房から持ち出してきた資料をパラパラとめくりながら歩いている。
ララの運用面で役立ちそうな備品やら、僕に覚えさせるための精霊魔術の研究資料、果ては何に使うのかよくわからないものまで。
道すがら買って行った大きめの手提げバッグ二つはもはやぱんぱんで、正直長距離を歩くのはしんどいくらいである。
「別にクラリッサのものになったわけじゃあないぞ、それ」
「わーかってるわかってるってー。……しっかし静のやつやっぱり発想が変人だなあ……」
「一応孫の目の前なんだけど変人とか言いますか」
「そう気を悪くするなって。我々研究者にとって『変人』は別に蔑称じゃあないぞ」
からからと笑いながらクラリッサ。
「昨日の自分よりも一つ多くの視点を持つ。物事を理解すると言うのは、突き詰めればそうした地味な行いを延々繰り返すことさ。表面的な部分からでは見えない本質は、大概そう言った行いの中で目にする些細な違いに気付く事から見えてくるようになるものだよ」
「わかるような、わからないような……あ」
僕はその話になって宙ぶらりんになっていた話があったのを思い出す。
荷物の重さでしんどくてつい忘れてしまうところだった。
「学校出る前に言ってた話……『日常が非日常にすり替わってる』って……あれ一体何の話なんだ?」
「…………ふむ」
僕の問いにクラリッサは歩みを止め、ポケットから何かを取り出した。
「まずはこっちを見て」
手渡されたのはコピー用紙。
「赤羽翔太……井上大樹……これ、ウチのクラスの名簿じゃないか」
「これ、今日現在のクラスの名簿なんだけど、昇クンが認識してるあのクラスと、決定的に違う点が一つあるんだよ」
「え……?」
そう言われて、食い入るように書かれている名前を確認してみるけれど、どれも見た事のある名前だった。
「……全部知ってるクラスメイトの名前に見えるけど? そりゃあ、あんまり喋らない生徒も居るから、下の漢字が違ってたりしても気付かないとかならあるかもだけどさ」
「昇クンとあのクラスで一番仲がいいの、誰って言ったっけ?」
「え? 司だけど。……あれ?」
そこにきて初めて、名簿の違和感に気付く。
そこにはあるべきはずの司の名前が無かった。
「……どういう事なんだ」
「はい。じゃあ今度はこっちね」
クラリッサは答える代わりに、また別の紙を手渡してくる。
そこには、僕が知っているよりも幾分あどけない顔をした、斎藤司の顔写真付きのプロフィールが記載されていた。
そしてクラリッサが指さす部分には、赤字でわかるようにはっきりと『退学』と書かれていたのだ。
「何だよ、これ……」
「書かれているままの意味だよ。あの教室に現在『斉藤司』なる生徒は存在しない」
「……クラリッサ。冗談にしたって許容できるものとそうでないものがあるんだぞ」
苛立ちと不安を隠せない僕が不機嫌な口調になるのを抑えきれずに言うと、クラリッサはいつものようにおどける素振りは見せずに答える。
「私はキミをからかうことはしても、謀ることはしないつもりだ。そんなの楽しくもなんともないからね」
「……じゃあ……昨日まで一緒に居たのは誰だって言うんだよ」
腐れ縁の同級生が居る日常風景が「当たり前のふりをした別の物とすり替わっていたもの」だったのだとしたら。
あれは一体何者だと言うのか。
「記録によれば、彼が退学したのは約三ヵ月前。けれども教員や他の生徒達はそのように認識することなく今日まで過ごしている」
「……」
「事実と認識が食い違ってるのに気付いてないってことか。……ん? それって……」
「……認識の上書き。吸血種の瞳が宿す魅了の権能が可能にする現象だよ」
「つまり……偽物が司になりすまして、違和感を懐かれないように僕らの認識を上書きしてた……って事なのか?」
「昨日私が教室の皆に瞳の力を使って認識の上書きをした時、効果が及んでいない対象が昇クン以外に一人居たんだ。それが彼なのだけれど……吸血種としての力の多くを失っている今の私の魅了よりも強い力も持っている。魔力に対して耐性のあるはずの昇クンの認識まで上書きの作用を受けているのだからね」
「……」
日常が非日常に侵食されていることに気付かず過ごしてきた僕の目の前で。
それはまるでテクスチャが剥がれるように、不気味な輪郭を見せ始めていた。
「本物の司は無事なんだろうか……」
「その下調べをね、今朝彼女に頼んでおいたのさ」
クラリッサはそう言って、道の少し先を指さした。
「お疲れ様です、昇さん」
物陰から姿を現したのは、ララだった。




