(2)
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教室へ入り自席につく。
何だかバタバタした感じのまま家を出てきてしまったので、僕は校内の自販機で買ったホットの烏龍茶を開けて一息つくことにした。
「……ふぅ」
気付けばだいぶ肌寒い陽気になっていて、コートは早いにしてもセーターなり何なり着て来ればよかったかもしれない。
「うーっす」
と、斉藤司が今日発売の漫画雑誌を持って寄って来た。
「司、おはよう」
「ホレ、今週の分。もう読んじまったからさ」
「うい」
雑誌を受け取り、替わりに半額の百円を渡す。
司との週刊誌の持ち回り折半は最早慣例のようなもので、互いに事前に言わなくとも成立するこの緩いコミュニケーションが有難い。
「いやーやっぱもたなかったなぁー新連載。昇が第一話気に入ったのはだいたい早終わりするからなー」
「あー……」
けれども。
「今ああいうハートフル系? この雑誌じゃちょっと厳しいだろーなと思ってたんだよなー。年齢層少し上の媒体向きなんだよ」
「あー……うん」
「来週から始まるのはまた正反対の感じっぽいから――」
「そっか」
「――……昇」
「え?」
「完全に上の空だぞ。何かあったのか?」
「ああいや、悪ぃ」
正直、学校に来ると嫌でも考えが別の所に行ってしまって、普段通りの雑談に気が向いてくれなかった。
「少し、考え事してた」
「ふぅん……」
今、この学校にはそれまで当たり前に存在していたピースが、人知れず欠けてしまっている。
担任の吉野先生は、未だその正体もわからない吸血種によって屍人に変えられてしまった。
その屍人としての身体も、もうこの世のどこにも存在しない。
僕はそれをこの目で見ているけれど、この学校でそれを知っているのは僕だけだ。
学校側だってもう異変に気付く頃だ。いずれ早晩、先生は失踪者として認識されるようになるのだろう。
もう、これまでと全く同じ日常は戻ってこない。
僕にできることはこの学校で唯一真相に近付くことができる者として、事件解決の道筋を探す事だけだ。
「何だ? 色恋か?」
「ばーか」
僕は苦笑しつつ、紅茶の残りを飲み干しにかかる。
「はいはいキミ達、席に着きたまえよー。ホームルーム始めるからねー」
「ブーッ!」
あまりに堂々と金髪赤眼の見知った顔が教室に入ってきたのが見えて、思わず烏龍茶を正面の司に向かって噴いてしまった。
「お前何で俺に向かってやるかな……」
司は制服の上着にかかった烏龍茶を気にしているが、正直今それどころではない。
「クラ――」
思わず立ち上がって叫ぼうとするのを、クラリッサは僕に向かって意味ありげな笑みを浮かべつつ口元に人差し指を当てて合図をする。
よくわからないが「黙っていろ」と言う事らしい。
「……すげー美人だけど、あんな外国人の先生居たかな……」
司は首を傾げつつ自席へ戻って行った。
「はい注目ー」
普段中々始まらないホームルームも、突然教室に入って来た外国人は流石に注目の的であり皆一様に教壇に立ったクラリッサの顔を見る。
彼女は教室に居る全員の顔へ一通り視線を向ける。
そして臆面もなく、驚きの一言を言い放ったのである。
「えー、前任者の先生が諸事象でしばらく出てこられないようなので、しばらく代理を務めることになったマグダウェルだ。宜しく頼む」
ホームルームのあと、クラリッサを追いかけて廊下へ出る。
「……何してるんだよこんな所で」
平然とした態度で廊下を歩くクラリッサに追いつき、小声で問い詰める。
「すまないけど授業の準備があるのでね。長い話なら後にしてくれないかな」
「何が授業だよ。こんなのすぐにバレて大騒ぎになるぞ」
僕が軽率な行動を咎めたけれど、クラリッサは涼しい顔のままだ。
「ならないよ。これでも一応吸血種だからね」
「……どういうこと?」
「吸血種の多くはね、瞳に魅了の力を宿しているんだよ。キミのような魔術適正のある人間には効果は無いのだけれど。まあ単純なコトであれば、視線を一度交わすだけでその認識を上書きできる」
「認識を……上書きだって? そんな魔術を使ったのか?」
「魔術とは違う。これは元々備わっている力だよ。流石に失踪したキミの担任についての細工まではすぐに矛盾を来して認識崩壊を起こしてしまうからできないけれど、私一人をここの教員だと認識させること程度ならできるのさ」
「……けど何だってそんな事を……」
言いかけた僕の鼻っ面に、クラリッサの人差し指が押し当てられた。
「昇クン。昨日も少し話したけれど、魔術の素養がある人間は屍人にとっては好んで狙う対象になるんだよ。元々、屍人の食欲は取り込んだ生物の生命力を創造主の吸血種に送る効率を上げるために備わっているのだし。だからキミが私や魔導人形の目の届かない場所で長時間過ごすことはリスキーだと言う事を覚えておきなさい」
「いくらなんだって、学校に屍人が乗り込んでは来ないと思うけど」
「五人」
「……?」
「これまでに私と魔導人形、そしてキミが始末した屍人の数だよ。失踪者の合計が十人ちょっとだとしても、これだけの数を削れば相手の吸血種だって流石に何か起きてることに気付く。これからは私達が向こうを探すだけの探偵物語じゃあない。向こうも私達の所在と正体を探り始めるんだ」
「用心に越したことはない……ってことか」
「そういうこと」
「……はあ。わかったよ」
思わず肩を落とすと、クラリッサはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「なになに? もしかして美少女転校生の設定の方がよかった?」
「誰が少女だ、誰が」
「あーしまったなあ、そっちにしておけばもっと楽しめたのか……でも制服調達するのめんどいしなあ」
「し、しなくていいから!」
「さぁて、どうしようかな。……まあともかく私も校内で異常が無いか見ておいてあげるけど、キミ自身も気を付けるんだよ」
からからと笑いながら手を振り去って行くクラリッサの背中を見ながら、僕はこみ上げる疲労感に深いため息をついた。
「……つか、やっぱり自分が楽しくてやってるだろ」




