(9)
⒐
「下の階で感じられなかったってことは、まだ比較的新しい……ってことだね」
クラリッサは薄暗いフロアを慎重に進む僕らの少し後ろを歩きながら、何だか少し楽しそうとさえ思えるような口調で言った。
僕には何だかそれが少し腹立たしく感じられてしまう。
「新しいって……どういう意味?」
「決まっているじゃない。これだけの血の臭いをさせるものが、だよ」
「……」
「ごめんごめん、気を悪くしたかい? けど生憎私は五十年前にそういうのは飽きる程見てきたからね。何せ御山の魔術師が一族上げて私を殺しに来たんだもの。ただ私が吸血種の生まれだと言うだけで」
「それだって、他に解決法だってあったんじゃないの?」
「……いえ」
つい咎めるような物言いをした僕の言葉を否定したのは、以外にもララの方だった。
「魔術師の世界に於いて、吸血種殺しは幻想種の討伐に次ぐ名声を上げる材料でした。それほど吸血種と言うものは、恐れられ、同時に狙われる存在でもあったのです」
「そう……なのか」
「ですが吸血種にも性格に個体差は有り、今回のよう積極的に人を襲う者も居れば、そうでない者も居ます。静と私はクラリッサとは敵対することになりましたが、それはクラリッサが防戦のみで十数名を返り討ちにした事をうけての話です」
ララの言う通りだとすれば、クラリッサは自分から人を殺めていないと言う事だ。
「……ごめん。事情も知らずに」
「別に昇クンが謝る事じゃあないよ。それに、自分から仕掛けたケースが無いと言っても、結果的に多くの命を殺めた事は変わりない。おかげでまっとうな倫理観なんてものともオサラバしてしまったわけだし」
「それでもクラリッサ。静は――」
何かを言いかけていたララが、不意に足を止めた。
「……この先、突き当り右の部屋が、臭気の出所のようです」
「……ッ」
息を呑む。
鼓動が早くなる。
この階へ上がってから気分を悪くしていた臭気の大元が、この先に在る。
一歩一歩、歩みを進めるごとに気分の悪さが増してくる。
「昇さん。兵装の使用には大きな力を消費します。長時間の使用は昇さんの身体にも大きな負担がかかりますので、判断は慎重に」
「……わかった」
大きく息を吸い、兵装解放用の術式を頭の中で反芻する。
脳裏に崩れていく吉野先生の姿が一瞬過ぎるのを、頭を振って振り払った。
やがて僕らは廊下の突き当り、建具もついていない右側の開口部まで辿り着く。
「……」
照明も無い、暗い部屋の中をゆっくりと覗き込む。
「――……!」
暗がりの中に見えたのは、人間の足だった。
否。
足だけではない。
全身を力なく投げ出した人間が、床に転がっている。
そしてその周囲には、真っ赤な血だまりが出来ていた。
「うぶっ……!」
吐きそうになるのを、必死でこらえる。
その亡骸の向こうに、何かの影が動くのを見たからだ。
この状況で動くものがあるとしたら一つしかない。
「昇さん! 屍人です! 今なら仕留められます!」
「っ……疎は焔、疎は剣、疎は勇気……邪なるを焼き払い、斬り払い、道を拓くもの――!」
ララの合図で魔術兵装を解放すると、ララの右手に細身の剣が姿を現した。
そして刀身は赤熱し、赤い輝きを放ち始めた。
その輝きが部屋の奥、転がった亡骸の向こうに蹲る屍人の姿を朧気に照らし出す。
「……な……」
そこに見えた屍人の姿に、僕は絶句する。
ララも心なしか顔をしかめて、絞り出すように言った。
「……子供」
子供。
そう、子供だ。
年の頃まだ小学校へ上がったかどうかくらいの女の子が、血だまりの中で、大人の亡骸の傍に蹲っていた。
「……お兄ちゃん、だぁれ?」
その子は、焦点の合っていない目をゆっくりとこちらへ向け、そんな言葉を口にする。
「あ……あの、僕達は――」
「――取り合うな、昇クン。彼女はもう人間じゃない」
クラリッサが僕の背をポンと叩く。
「こんな子が……屍人……」
……そうだ。
ここへ辿り着いたのは屍人の微かな魔力反応を追ってきたからだ。
それに傍で倒れている遺体……大人の身体をこんなふうに出来る普通の子供なんていやしないのだから。
「個体差によって自我の残滓がほんの一部残っているケースもある。昨日の屍人もキミの事を認識していたような素振りだったろう。それでも君を殺そうとした。……言っている意味、わかるな?」
「……」
屍人は、もう人には戻れない。
それも昨日クラリッサから聞かされた事だ。
「ねえ、お兄ちゃん」
女の子がゆらりと立ち上がり、身体ごとこちらへ振り向く。
「……?」
「お母さんとお父さん、どこに行っちゃったのかなあ?」
「……それは……どういう……?」
「取り合うなと言っているだろう……!」
「お買い物してたら、お母さんもお父さんもいなくなっちゃって、泣いてたの。そしたらね、優しいおじさんがおまじないしてくれたの。だからもうかなしくないの」
「優しい……おじさん……? それってどんな人なんだ⁉」
「だけどおなかがすくの。とってもとっても、おなかがすくの。だからごはんをたべてまってるの。おかあさんとおとうさんをまってるの」
「…………」
この子には、僕の声はもう届いていない。
この子が人であった時の朧気な思い出、おそらく最後の日の記憶を頼りに、無意識に人間であるかのように振る舞っているだけだ。
ララの剣の炎に照らし出された口元や服についた赤いものが、その全てを物語っていた。
「処断します……!」
ララが剣を振りかぶる。
屍人を救う事はできない。
それを頭では理解しても、僕はその瞬間、声を出さずにはいられなかった。
「ララ! 待ってくれ!」
振り下ろそうとしていたララの右手が停止する。
「……昇さん。言いにくいですがこの子は……」
「どうするつもだりだい? ここで見逃したら、そこに転がってるのと同じものが増えて行くだけだよ」
「……」
僕は震える足に爪を立て、こみ上げる吐き気を抑えながら、おぼつかない足取りで女の子の前まで歩み寄る。
そして一度大きく深呼吸をし、膝をついて彼女の身体を抱きしめた。
「昇さん、危険です!」
「ララ!」
駆け寄ろうとするララを制止する。
「……おにいちゃん、なんだか、おいしそうなにおいがするよ」
「……屍人は魔術適正を持つ人間を好んで襲うように作られている。その子はすぐにでもキミの事を捕食対象として認識するぞ」
「わかってる」
「……」
クラリッサも一度忠告をしてくれたものの、僕がそう返すとそれ以上は食い下がらなかった。
「お母さんと、お父さんには、きっと会える」
クラリッサの言った通り、女の子の瞳は色を失い、そして次の瞬間僕の肩口に歯を突き立てていた。
「ぐ……!」
僕は右手の中に、ララの兵装解放で起動していた簡易術式を展開する。
ララの手にした剣と比べれば二回り以上小さな、炎の短剣だった。
「今すぐには会えなくても、いい子にしてれば、きっといつか会える……」
肩に走る痛みに耐えながら、言葉を絞り出す。
「だから……今は、少しだけ……おやすみ」
炎の短剣を突き刺すと、不思議なほど抵抗を感じる事無くその背に吸い込まれていく。
「あ――」
肩に食い込んでいた力が抜けていくのがわかった。
彼女の身体から赤い火の粉のようなものが立ち上って行く。
それは実体としての炎ではなく、短剣の魔力が屍人の身体を崩壊させていく時の光だ。
身体が崩れて行くのを認識しているのかはわからなかった。
けれど彼女はその瞬間、柔らかな微笑みを浮かべ、僕の耳元で囁くように最後に言った。
「――うん、いいこでまってるね。おやすみなさい」
ざあ、と。
灰のようにその身体は崩れ去った。
「……」
「昇さん。あのような真似は今後は控えてください。気が気ではありません」
ララのは静かな口調だったけれど、声は震えているようだった。
「……ごめん」
「私からもまあ言いたいことは山ほどあるんだが……とりあえず肩の傷を見せなさいな。治癒魔術はそれほど真面目に勉強しなかったけど、その傷は放置するには深いだろう」
クラリッサはそう言うと、あの子が噛みついていた肩に治癒魔術をかけ始めてくれた。
傷を目にすると、改めて痛みが増してくる。アドレナリンで麻痺していたのかもしれない。
「……何故あんな真似をした? 魔導人形があの場で一刀を振るっていれば決まっていた。あの子を救えない結果は変わらないなら、キミが怪我をすることには何の意味もないだろう」
「……よく、わからない」
「……」
「でも……誰かが覚えておかなきゃいけない気がしたんだ。あの子の未来を奪った吸血種が居て、あの子がここで終わりを迎えた事。それに多分、あのままララに押し付けていたら……僕はいつか、どこかで目を逸らしてしまう気がしたんだ」
「……そうかい、っと!」
クラリッサは苦笑を浮かべると、今の今まで治癒をしていた僕の肩を乱暴に叩いた。
「いっつ……!」
「さて、今度はこっちか。魔導人形、その剣、まだ使えるだろう? 処分頼むよ」
「承知しました」
ララが使わずじまいだった剣を一振りすると、亡骸は一瞬で燃え上がり、瞬く間に灰となってしまった。
「僕の短剣と火力が段違いだ」
「段違いと言うか、桁違いだね。まあこの先本格的な屍人との戦闘をやる時は、大人しく彼女をメインに立ち回りなさいな」
「……そうします」
「ですが、昇さん」
ララは意気消沈気味の僕を見て、穏やかな笑みを浮かべていた。
「今ので少し、私はまた昇さんの事がわかってきたような気がします」
「五十年ぶりに誕生した上無市の魔術師は、魔術師らしからぬお人好しだって話かい? ……ならせいぜい忘れないことだね。彼女の最後の姿を憶えておいてあげられる『人間』は、キミだけだ」
「……忘れないよ」
こうして、魔術師として初めて屍人を無に帰した日は暮れて行った。
未だにこの事件の全容は見えてこないまま。
それでも、最後におやすみなさいと口にした彼女の事を忘れまいと思った。十年にも満たない生涯の最後まで両親との再会を夢見ていた少女の微笑みを。
「忘れるもんか」
溢れ出る涙を拭いながら、彼女の最後の笑顔を心に刻んでいた。
次話から第三章です。
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