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後日談

 すべてが終わり、ようやく2人きりになれたのはもう翌日になった時分だった。

 侯爵家の娘の結婚式ともなると流石に参加者も多く、披露宴の参加者も正直誰が参加していたのか私は全員を把握していない。

 そう、世間的にはあくまで侯爵家の娘アンジェリカ・エクルストンの結婚という認識であり、もう1人の主役である私――つまり、エリック・ピープスを見ていた者がどれだけいたものだろうか。

 しかも、義父であるレインフォード侯爵が結婚を快く思っていないことは周知の事実である。仮に知らない者がいたとしても、昼間の式の間私を見るたびに冷たい視線を向けるその姿を見れば容易に想像できるだろう。

 そのくせ、その後の披露宴や夜会ではやたらと私に酒を勧めてくるのだ。完全に表情を消した仮面のような顔で。

 すべてが終わったのがこんなに遅くなったのも、夜会が終わった後も居残り粘った侯爵閣下のせいである。

 理由は分かるのだが、この先の付き合いを考えるとなんとも気が重い話だ。


「どうしたの、こんな日に溜息とかついて?」


 ソファーに寝そべっていた私に、いつの間にか近づいていた寝間着姿のアンジェリカが顔を覗き込んでいた。

 いきなりの急接近だったので思わず顔がかっと赤くなってしまう。慌てて視線を下げると、アンジェリカの着る寝間着からは、豊かな双丘が見えていた。

 ああ、『ブラジャー』はつけてないんだな。などと考えてしまったのは混乱しているよい証拠だ。

 主役だっただけにそう酒は飲んでいないはずだが、体全体から熱を感じる。

 そんな私の視線に気づいたのか、アンジェリカはニヤッと笑みを浮かべた。


「んっふふふふ……男の子だねぇ」


 その言葉に私は「アンジェリカの前だからね」などと口にして返した。

 今年で18歳になる身としては「男の子」と言われるのは引っかかるのもがあるのだが、まあそこは我慢できる。

 それよりもこのアンジェリカの余裕ぶった態度をどうにかしてやりたい気分だった。


「うにゃ!?」


 『どストレート』に返され、妙な声と共にアンジェリカの顔が赤くなる。

 これでお相子だ。


「……」


 お互いに顔を赤くしたまま向かい合っていたが、やがてアンジェリカが顔を下げ唇が触れあう。

 本当は自分から行きたかったのだが寝そべった体制からではちょっと無理だった。せめて、と手をアンジェリカの頭に回そうとしたが、それよりも先にアンジェリカの顔が離れた。

 口づけを終えたアンジェリカは、やたらきょろきょろと視線を彷徨わせていた。何か言葉を探しているようだ。……気持ちは分かる。


「ん~……今までも何度もやったし、式でもやったけど……こう、なんか新鮮な体験よね」


 まったくだ。あの冬の日、初めて口づけを交わして以来何度となく行った行為も今日は一段と新鮮に感じる。

 いや、行為だけではない。昼間の純白の衣装を纏ったアンジェリカも、夜の華やかな盛装姿のアンジェリカも、こうして薄い寝間着でそわそわしているアンジェリカも、とても新鮮なものだ。


「そ、それじゃ、そろそろ休みましょうか……旦那様?」


 そこは言い切ってほしかったなと苦笑しつつ、私はソファーから身を起こした。



 花々が咲き誇る季節。その日、私とアンジェリカの結婚式が行われた。

 アンジェリカの学校卒業に遅れる事1年。私の卒業と共に両家は結婚式に向けて動き出し、こうして今日を迎えたのだ。

 レインフォード侯爵家の跡取りと目されていたアンジェリカが男爵家へ嫁ぐという話は貴族間でかなり話題になったようだった。

 おかげで縁の薄い者からも式の参列や披露宴の参加を申し出られたよ、とは父の言葉である。

 侯爵家の娘を迎えるのにあたり、父は男爵家随一の財産家の名に恥じない金の使い方を見せた。式の規模、披露宴の豪華さはまだ良いが、わざわざ新しい屋敷まで建てるのはどうなのだろうかと、今は忌避することなくなった前世の感覚で私はそう感じていた。『小市民』感覚というやつだろうかこれは。

 とはいえ、父が張り切るのも仕方ない面があった。

 実は最初、花嫁の父であるレインフォード侯爵が式から披露宴までの全てを取り仕切ると言っていたのだ。

 結婚には良い顔をしていない侯爵だが、それで溺愛する愛娘の結婚式を疎かにするほど甘い親馬鹿ではない。しかし、かといって侯爵家にすべて任せてしまっては花嫁を迎える側である男爵家の面目が丸つぶれである。侯爵家とのやり取りの末、どうにか式と披露宴は男爵家が取り仕切ることとなり、後日侯爵家主催で祝いの会を行うということで決着がついた。

 だからこそ、父としては一切手が抜けないという事情があるのだ。


 この間、私とアンジェリカは一切口を挟む余地がなかった。しかも学校卒業と同時に、私は式の準備のためあっちに連れられこっちに連れられと碌にアンジェリカと会う機会さえない有様。卒業後の『モラトリアム』など当然ながらなかった。

 ちなみに、1年早く卒業しているアンジェリカは、神聖帝国旧都や文化都市などをめぐる1年近い海外旅行に出かけており、しっかりモラトリアムを満喫している。


 そうして行われた結婚式は、我がことながら実に盛大なものであった。

 親戚縁者はもちろん、両家と関係にある貴族・準貴族や上級市民。私やアンジェリカの友人や学校関係者。幼いころの家庭教師たち。さらには話を聞きつけた野次馬根性丸出しのあまり関係ない貴族。公爵家からも来ているあたりよほど暇だったのだろう。

 極めつけは王家だ。さすがに王やその家族は来るほど暇ではなかったらしいが、王の名代として王族の1人がやってこられた。

 その時のやたら誇らしげな両家の親の顔が浮かぶが、王家の目当てはアンジェリカの方だろう。私はおまけである。

 それでもやはり誇らしくないと言えば嘘になってしまうが、それよりも嬉しかったのは友人たちである。

 ヴァレンタインは相変わらず惚れ惚れするような礼儀正しさとそつのない態度で、友人の代表として私たちに祝いの言葉をくれた。

 その姿を見ていた他の貴族連中からも感嘆の声があがるほどで、夜会ではさっそく声をかけられている姿が目に留まった。

 一方、やらかしたのはトムだ。妹の死から立ち直りいつもの調子を取り戻していたトムは、よりにもよって夜会の最中私たちの目の前で「アンジェリカ先輩取られたー!」などと半泣きで叫んだのだ。

 「残念だったわね~」とアンジェリカはやらかしてくれたトムに大満足だったようだが、正直洒落になってない。特にそちらを見ずとも分かるほど殺気を放っていた花嫁の父親側では。

 その後友人たちに物陰に連れていかれる姿を最後に、トムの姿は見えなくなったがちゃんと帰っただろうか。


 上は王族から下は郷紳まで、随分身分がごちゃごちゃとした式と会だったが、これだけは私とアンジェリカの数少ない要望である。

 前世の記憶が強いアンジェリカには身分差がうっとうしいと感じるところがあるらしく、せめて結婚式くらいはそういうことを無しにしたかったいという理由から。私は単純に、貴族に限るとトムや他にも呼べない友人が出てくるという理由からだった。

 本当は家の使用人たちにも一緒に祝って欲しかったが、彼らは今回持て成す側なので仕方がない。

 それでも、合間を見ては私たちに笑顔で祝福の言葉をくれた。

 その中でも執事のエドワードは相変わらずの鉄面皮で、「おめでとうございます」とだけ言って持て成しに戻ってしまったが、その鉄面皮がどこか楽しそうに見えたのは気のせいだろうか。


 盛り上がった夜会も終わり、参加者たちも帰ってゆき、最後まで粘った義父を送り出し、ようやく新居の寝室に2人、こうして『ベッド』の上となった。



「さ、最初に言っておくことがあるんだけど……」


 2人でベッドに上がり、私がアンジェリカの寝間着を脱がそうとしたところで、アンジェリカが私の手を抑えそう言った。


「前に言ったけど、私の前世って男なのよね」


 それは知っている。


「で、前世は前世。私とは別って言ったけど……正直言うとまあ影響がないわけじゃないのよ」


 それは、そうだろうな。

 むしろ影響がないとおかしな話だ。で、問題なのはなぜそれをここで言うのかということなのだが。


「……ぶっちゃけるとね、男とヤルのに凄く抵抗があるのよ」


 それは実に困った。が、それよりも、貴族の娘がヤルとか言わないで欲しい。

 しかし……確かに婚前交渉はしなかったので分からなかったが、今まで散々口づけとかしておいてそれを言うのか。

 私がどう反応したものかと困っていると、アンジェリカが慌てて言った。


「あ、でも本当にそうだからか分からないのよ! キスとか大丈夫だったし、もしかすると女だったら誰でもこう抵抗あるものなのかもしれないわ。私、女として生きるの初めてでしょう?」


 普通何度も違う性を生きることはないので何とも言えないのだが。

 半ばあきれた目で見る私に、アンジェリカは顔真っ赤に染めポツリと言った。


「それに……初めてだから。前世も経験なかったし」


 滾った。

 普段のアンジェリカとのこの落差には、こう男心に来るものがあった。ちなみに後半の言葉は無視をする。男の童貞なんぞに興味はない。

 ムン、と鼻息を荒くしてアンジェリカの寝間着を一気に脱がしにかかる。

 真っ赤なまま恥ずかしそうにしているが、アンジェリカも抵抗しようとはせずなすがままだ。覚悟を決めたのだろう。


「と、とにかく……お互い、初めてだから、うまくいかないかもしれないけど――」




 …………は?


「え?」


 思わず手が止まった。

 「お互い」? 「初めて」? 彼女の言った言葉を何度も頭の中で反芻する。

 お互い、つまり私とアンジェリカだ。初めて、アンジェリカは前世から含めて異性との体験がこれが初だという。正直前世はどうでもいいが。で、なんでそこで私も含めてなんだろう。


「…………あ!」


 ジッと私を見ていたアンジェリカだったが、何かに気づいた。

 そうだ。貴族の息子が、この歳まで筆おろしを済ませてないわけがない。

 アンジェリカだって弟がいるのだから知らないはずがないだろう。

 気が動転して忘れていたな。まったくそそっかしい。

 そんなところも可愛いな、などと思い再び手を動かそうとしたところで、


「この、浮気者~~~~~!!!」


 理不尽という言葉が具現化したような拳が私のアゴをとらえた。

 カッと一瞬白い光をまぶたの裏に捉えたかと思うと、次の瞬間私はベッドから吹き飛ばされていた。


 薄れゆく意識の中で、寝間着の胸元を閉め寝具に潜り込むアンジェリカの姿が見えた。

 どうやら彼女を怒らせたらしい。まったくどうしてこうなった。

 せめて毛布くらい掛けて欲しいなと思いつつ、私の意識は闇の中に落ちて行った。



 この1件で、前世の意識による行為への抵抗感が復活したアンジェリカと無事結ばれるまでに2年の月日がかかった。

 その間、ベッドを共にしながら何もできない生殺しの日々を私は味わうことになる。彼女に言わせればそれも1つの罰だとのことだ。

 実に理不尽だが、それでも私は1度たりとも浮気しようとは思わなかったことだけ最後に付け加えておく。







追記:それぞれのその後


エリック・ピープス

 アンジェリカとの結婚の3年後、第一子のシャーリーを授かる。その後もアンジェリカとの間に、5人の子供を残した。

 アンジェリカと彼女似の子どもに振り回されつつ、領主として領地を治める。

 転生者としての知識を活用し活躍するアンジェリカのフォロー役を務めたが、色々と問題を起こす彼女のおかげで気苦労の絶えない人生だっただろうと後世言われている。しかし最終的に曾孫の代まで生きた。

 友人や同級生たちが政治家や軍人、議員となる中で最期までただの領主として、そしてアンジェリカの補佐としての人生を終えた。

 それ以外では、「記憶受容症」に関していくつかの本を残し、後世では第一級研究資料として扱われる。



アンジェリカ・エクルストン

 レインフォード侯爵家の跡取りとしての地位を放棄しての結婚は国中の話題となる。貴族間ではその才能は広く知られていたため惜しむ声もあったが、結婚後もやることは変わらず、ピープス領でも転生者としての知識を活用して様々なことを行った。

 その上、レインフォード侯爵を継いだ弟にも領地経営で色々と頼られたため、2つの領地は実質アンジェリカが治めるようなものだと言われたが、それも夫エリックが地味な裏方仕事を行ってくれていたからである。

 私生活では『ピープス家愛人事件』『テラモ鉱山崩壊事件』『サントリニ山脈遭難』などを引き起こし、家の外では『西方戦争』『花の金曜日事件』『シエナ宮騒動』『議会大乱闘』などその他多くの事件に関わり、過去の有名な「記憶受容症」者と同じく王国の歴史に名を残した。

 派手な人生を送った後、エリックや多くの家族に看取られ天寿をまっとうする。



ヴァレンタイン・パルトロウ

 エリックの友人である彼は、学校卒業後は2年間の国内・海外旅行というモラトリアムを経て大学へと進む。

 大学卒業後は王国で官僚となる道に進むが、貴族院という議会が開催されると議員へと転向する。

 議会では旧貴族側の有力議員として新勢力である新興貴族の権益拡大に真っ向から反対しこれと対立する。そのため最初保守派とみなされがちであったが、中立派のエッリクやアンジェリカ、新興勢力側であるトムとの交際は変わらず続き、また妻も新興貴族の出であったため、後には勢力のバランスを取っていたのではないかと目されるようになる。

 後年その調整力を買われて議長となり、引退後は爵位を引き上げられ子爵から伯爵へと家格を高めることとなった。



トム・ベーコン

 トムは学校を卒業すると実家へと戻り、父の経営する大農場を継ぐため働きながら学ぶこととなる。

 貴族院が開設された際にはその第1期議員となった。議員としては目立った活躍はないが、その性格からやはり目立つ存在となり、一部からは激しく嫌われ一部から大変気に入られるという学生時代のままの対人関係で議員生活を送る。

 エリックやヴァレンタインとは終生仲の良い友人関係を続け、両者の館をたびたび訪問しあるいは自らの農園に招くなどしている。

 アンジェリカには気に入られたままで、2人の仲の良いところをエリックが見て不機嫌そうにすると、更に仲の良さそうなところを見せ付けてからかうという遊びを好んだ。

 個人的なエピソードには事欠かないが、友人たちのように歴史に残るような事件に関わることもなく大勢いる新興貴族の1人としてその一生を過ごす。


 活動報告の方で、友人たちの後日談が読みたいとの言葉をいただいていました。

 何か思いついたら書こうかと思っていましたが、気分転換に4人のその後を。

 しかし、書いたのですがそれだけじゃ物足りないので、1つ話を足してみました。

 よろしければ感想などお願いいたします。

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