第5話 真の旅立ち
「……うん……うぅ……んあ?」
「やぁ、目覚めたみたいだね。おはよう」
ナギヒコが目を覚ますと、目の前にブルースが浮かんでいた。
「ここは?」
「バーグさんの家だよ。昨日のことは覚えているかい?」
ブルースはぺしぺしとナギヒコの頬を叩く。特に意味はない。
「えーっと……ぐっ……」
「あぁ、無理しないで。本来はそこまで急ぐ旅からね。余計なことを……まぁ、そこは良いや。まだ寝ていた方が良いよ。流石のバケモンでも、まだ本調子まではいかないよ」
「ナチュラルに人を化物呼ばわりをするな」
ナギヒコは、身内が化物ばかりだった影響で、自己評価が出来ていないというのが現状だ。
「いや、バケルトモンスターの方のバケモンだよ」
「どちらにしても人外だろうが。というか、イメージ的にはあっちのバケモンの方がバケモンじゃねぇか。明らかに熊子やバトロスよりもバケモンだわ。今思えば、何であれが子供達の間で流行ったんだよ」
「そんなこと知らないよ。君達の世代は頭がおかしかったんじゃない? それよりも、記憶は正常なの?」
「お前、ちょいちょい暴言を吐くよな。まぁ、良いけどさ……えーっと」
ナギヒコは心身の気怠さに苛まれながらも、思い出せる範囲での記憶を辿る。
到底子供向きとは思えない、クトゥルフ神話の神々のようなデザインとリアルなタッチで描かれたモンスターが浮かぶ。
ナギヒコが生まれる二百年ほど前、文明を停滞させたどころか百年は後退させたとまで語られる、第三次世界大戦の前はデフォルメされたキャラクターが人気だったそうが、小学生時代の流行した作品は妙にリアルな質感のものが多かった。
「違う、そうじゃない。思い出すのは、こっちじゃない」
ナギヒコは頭を振ると、昨日のことを思い返した。
ナギヒコの拳を受けて、ゆっくりと後ろに倒れたバトロス。
「……ハァ……あー、しんどい。クッソしんどい。マジやばい」
ナギヒコは勝利したとはいえ、まだ気を抜くには早いことは分かっていたため、根性という曖昧で神秘的な力により、何とか意識を保っていた。全身は痛み、疲労が押し寄せ、瞼を閉ざそうと迫るがそれらを押し退けながら、バトロスに近付いてゆく。そして、顔を覗き込みながら尋ねる。
「お前、まだこの村で暴れるつもりか?」
正直なところ、ナギヒコとしては拳を握る余力もなく、動きたくもない。出来ればもう諦めて欲しいというのが本音だった。例えるなら徹夜明けで精神が不安定になり、災害レベルの地震が起こったとしても
『うるせぇ! 俺は寝るんだよ!』とベッドから起き上がることすらしないという、そんな余裕のないサラリーマンのような状態だった。
「いや、既に戦う気はない。我は敗北を認める」
バトロスはゆっくりと立ち上がると、ナギヒコを見下ろしながらそう答えた。
「そいつは有難い。それなら、黙ってこの村から出て行って貰えるか? そもそもお前がこの村にやって来る前には、既に水晶は役目を果たしていたんだから」
「……我を見逃すと?」
「気を遣ってくれるのは有難いんだけど、今の俺にお前のトドメを刺す余裕があるように見えるか?」
「クハハ……あぁ、全く見えんな。今にも崩れ落ちそうな程、既に覇気がない」
「そういうわけだ。ここは引き分けってことで手を打とう。俺は死にたくない、お前も死にたくない。そうだろ?」
「うむ。まさしく……しかし、負けは負けだ。お前が非情であったのなら、先ほど倒れた我の首をへし折る程度の追撃は行えたはずだ」
バトロスの言い分は正しく、ナギヒコは勝利以上のものを望むことはしていなかった。バトロスが村人の命を奪っていないこと、そして、バーグに対しても穏便に説得しようとした行動が、最後の一線に待ったを掛けたと言えるだろう。
「まぁ……否定はしない」
ナギヒコは仮面越しに苦笑すると、それが見えていたかのようにバトロスも笑みを浮かべる。
そして、観戦していた村人達に呼び掛ける。
「村人達よ! 我はこの男に敗北した! 故にここを去り、二度と現れぬ! そして、更に誓いを立てよう! 今後、身を守るためなどの戦わざるを得ない状況以外、人種と争うことはしない! 母なる鮫の意思にも従わん! ただ……」
ここでバトロスはナギヒコを見つめる。
「何れ、再戦を」
バトロスはそう言って口元に笑みを浮かべると、静かな足取りで去って行った。
「勘弁してくれよ、マジで……まぁ、何にせよ……もう無理……」
ナギヒコはその背中に文句を言った後、そのまま意識を失った。
「あぁ、そうだった。俺、勝ったんだよな、一応」
「一応というか、大勝利だよ。紛れもなくジャイアントキリングってやつさ。少なくともバトロスは約束を守るだろうし。まぁ、とてつもなく強くなって現れるだろうけど。犠牲になるのは君だけさ」
「最悪過ぎる。そういえば、装備を解除したっけ? 後、こんな服だったけ?」
初めに着ていた服に似てはいるが、少し色合いが異なっていることに気付き、ナギヒコは首を傾げた。
「いや、意識を失ったと同時に解除されたよ」
「それは便利な仕様だな……あっ、でも普通の睡眠でも解除されるのか? そうなると野宿する時には困るかも」
実質的には一人旅である以上、装備状態で夜を越えなければならない状況を想定する必要があり、そうなると、うたた寝で解除されるとすれば命に関わる問題だというのは間違いなかった。
「うーん、どうなんだろうね。意識の有無なのか、体力や疲労を数値化して判断されているのか、その辺りが分からないから何とも言えないね」
「そうか。まぁ、安全なところで試してみるか」
「うん、そうしなよ。後、着替えさせてくれたのも、元々着ていた服を洗ってくれたのもバーグさんだよ」
「後でお礼を言わないとな」
「それが良い。お漏らしパンツを嫌な顔せずに洗ってくれたんだから」
ブルースの言葉にナギヒコの表情が固まる。
「……ずっと思ってはいたけど、この世界に来てから一日足らずで嫌な事が起こり過ぎている気がする」
「気持ちは分かるけれど、お漏らしくらいで凹む必要はないよ」
「いや、凹んで当然だろ」
「その辺りは価値観の相違……いや、常識の相違かな? 気休めと言うか、一般的な意見だけれど、戦争や個人間や魔物との争いが日常茶飯事の世界では、嘔吐や失禁なんて珍しくもなんともないからね? 殺し合っている最中に一々小便が云々なんて言ってられないよ」
「それは確かにそうか。まぁ、でも恥ずかしいものは恥ずかしいんだよなぁ」
そんな会話をしていると、部屋の扉をノックする音が響き、ナギヒコが返事をするとバーグが顔を覗かせた。
「よう、元気に独り言が言えるようになって良かったな」
「バーグさん、これは独り言ではなく……」
「冗談だ。分かっておるとも。残念ながらワシには聞こえんが、精霊様の声が聞こえる者が何人かいてな。ほれ、お前さんと会話をしたカービーという子供もその内の一人だ」
「あぁ、なるほど。あの子が」
ナギヒコの頭の中に優しい少年の顔が浮かぶ。あくまでも雰囲気に過ぎないが、確かにあの子なら聞こえそうだなと納得しながら頷く。少なくともあの状況でナギヒコの元に向かってくるという選択肢が、良くも悪くも精霊などの変わった存在に触れそうな鍵の一つのような気がした。
「うむ、ずっと心配しているようだから、出てゆく前に声を掛けてやっておくれ。まぁ、それはあの子だけではないがな」
「そうですか……それなら、きっと俺は役目の一つを果たせたということですね。あぁ、そうだ、着替えとか色々とご迷惑……」
ナギヒコは謝罪の言葉を告げようとすると、それを制するようにバーグが頭を下げた。
「この度は命を救って頂いたことを感謝しております」
「ちょっ、やめてください! あの鮫野郎が勘違いしただけですし! 結果的に巻き込んでしまったのは俺の方みたいなもので……」
慌てふためくナギヒコに、バーグは頭を上げると穏やかな眼差しを向ける。
「それは違うでしょう。ブルース様からあなた様の境遇はお聞きしました。村の皆が絶句してしまう様な理不尽さ。我々は英雄というものを、その血筋をどこか人種とは別物として考えてしまっておりました」
「バーグさん……」
「ふぅ……畏まるのも疲れるな。もう良いか」
「って、おい。って、おいだよ、ジジイ」
「がはは! まぁ、もうしばらく休んでおれ。まだ身体も全快とはいかんだろうし、旅立ちは明日でも良かろう。ゆっくりしていっておくれ」
二人と一匹は笑みを浮かべた。
そして、翌朝、ナギヒコはアミティ村の人々に見送られていた。
そこにあるのは笑みだが、ナギヒコが目覚めたという知らせを聞いて一番にやって来たカービーや子供達は寂しそうにしている。
「ナギヒコお兄ちゃん、もう行っちゃうの?」
「あぁ、悪者をやっつけないといけないからな」
「そっか……」
「そんな顔をするなよ。カービー達も俺の、ヒーローの一部なんだぞ」
「僕がヒーロー?」
「そうだよ。カービー達の言葉や思いが俺の背中を押してくれた。だから、そのことを忘れないで生きてくれよ」
ナギヒコはカービーの頭を撫でながら、まだ幼い子供には難しい話かと思いながらも、何かを残そうとした。
「うん……分かった。えっと、また会えるよね?」
「あぁ、きっと会えるさ」
ナギヒコはバーグや村人達を見まわした後、声高く別れの言葉を告げる。
「皆様、三千年間、あの水晶を守ってくれてありがとうございました! 皆様やご先祖様が継いできた思いを無駄にしません!」
そして、そこで言葉を終えようとしたが、未だ口にすべきをことを思い出した。
「俺はナギヒコ……ナギヒコ・サメモリ! 必ず英雄としての、ヒーローとしての役目を果たしてみせます!」
ナギヒコは背を向けると振り返らずに去ってゆく。
ある者は涙を流しながら、ある者は満面の笑顔で、ある者はその後ろ姿を瞳に刻む様に見つめながら、大きな歓声を上げて見送ったのだった。




