第3話 俺の名は
『こっちだよ。そこまで急がず慌てず、しかし、早足くらいで行こう』
ブルースは念話で呼び掛けながら、ナギヒコをアミティ村へと先導する。
『難しい要求。変身しない。平気?』
ナギヒコは装備を解除した後も、全身を痺れのような症状と激しい倦怠感に襲われていたが、それを口には出さずに進む。同時に語るまでもなく、ブルースは察しているのだろうとも思っていた。
『うん、あの装備は君が思っているよりも負担が大きいんだよ。本当だったら今日は休んでも良いくらいさ。君だって自覚しているだろう? それに、まだほとんどその場から動いていない。何かを待っている……いや、もしかしたら戦いの最中かも』
『戦い。盗賊? 魔物?』
『そこまで判別は出来ないね。地球と違ってフリーベルは神々の影響が強く、規制も多い世界だから、歴史の情報を読み取ることが出来ないんだ。でも、僕がこの距離で感知できる気配、いや魔力量となると普通ではないと思う』
フリーベルでの歴史の情報を取り込むことは自殺行為とも言える。過去にも多くの精霊や研究職のような人種が強行しようと試みたが、やがては神々の逆鱗に触れ、悲惨な末路を遂げている。人種の方は精霊とは異なり、神々の存在や干渉を明確に感じ取っているわけではないため、あくまでも知的好奇心による偶然の産物だが、それでも容赦はされなかった。
『熊子は?』
『アレは別格だね。あそこまでゆくと流石に災害みたいなものさ』
『俺と熊子。戦う前に言え。気配、分かっていたはず』
『いや、実力のある魔物や人種は魔力を抑えて気配を消す、擬態という技術を使うんだよ。強過ぎる魔力を持つ者は、知らない内に周囲に警戒心やストレスを与えてしまうからね』
『途中でも良いから言え』
『熊子さんには殺意がなかったし、格上相手に慣れるためには丁度良いかなと思ってね。そんなことより、そろそろだよ』
ナギヒコがブルースの視線の先を追うと、そこには緑色の肌をした人間達が倒れていた。
「……ちょっと念話はやめるわ。何だ、コレ? かの有名なゴブリンってやつか?」
ゴブリン、それはファンタジーではお馴染みの存在。体毛のない緑色を肌を持ち、体長は一メートルを超えている程度のものが大半だ。ナギヒコが数えた限りでは、そんな魔物が十体は倒れている。更に言うのであれば、それは原型を留めていないものは除外した上での数のため、血の痕跡や地面の抉れた先などの茂みを覗けば、更に数は増えるだろう。
「ゴブリンはコロニーと呼ばれる数十体から数百体で構成される群れで活動する魔物。人里の近くで数百体まで繁殖するのは流石に稀だし、この付近に生息していた一つのコロニーが全滅したと見て良いだろうね」
「いや、数十体でも村から近付ぎないか? ……もしかして」
「うん、そうだね。逃げてきたのかもしれない。まぁ、ゴブリンは道具を使う知能はあるけれど、そこまで頭は良くないから、通り掛かった魔物に喧嘩を売ったら反撃された可能性の方が高いかもね」
「人間がやったのか? あぁ、ここでは人種って呼んだ方が良いか」
「いや、このゴブリンを見てごらん。恐らく肩を掴んで持ち上げ、頭部を食い千切った痕跡がある。更にこっちのゴブリンには人種が使う刃物のような形状も混じっている……あぁ、そこに落ちているゴブリンの武器を使ったのかな」
「ゴブリンが拾ったか奪った武器を、今度はそいつが奪って使ったのか。しかし、この場に捨てたってことは肉弾戦に自信ありってところか」
「そうだね」
「一度、村に戻って伝えないとまずいな」
しかし、ナギヒコの声に答えたのはブルースではなく、アミティ村の方から響く轟音だった。
「あっ、幾つかの気配が膨れ上がったね。念のために急ごうか。ただし、相手が一体とは限らないわけだから、周囲の警戒は忘れずにね」
「あぁ、分かっている。これは現実だもんな」
ボスクラスの魔物が個別に出てくるとは限らない。
ナギヒコはブルースに教わった心得通りの行動を意識しながら歩を進めた。
そして、十分後、アミティ村に到着したナギヒコたちを待っていたのは、一体の魔物と倒れ伏す屈強な村人たちだった。
「おっ、また増えたか。おう、何だか奇妙な顔の人種だな? それはお洒落なのか?」
それがゴブリンであることは間違いないだろう。
ただし、体長は二メートルを超え、全身の筋肉は以上に発達し、更にはその逞しい首の上に乗せられているのは鮫の頭部だった。
その正体はゴブリン・シャーク。
マザー・シャークの影響により、三千年前の戦争にも登場した魔物がナギヒコの前に現れた。
「あの鮫、何だか随分と流暢に話しているぞ」
「ゴブリンシャークだね。あくまでも総称だから知能も強さも個体差が激しいけれど、そこにいる強者を相手に圧勝したようだし、なかなかまずい相手かもしれない」
「強者……あの人達は普通の村人じゃないのか?」
「ナギヒコは先入観で村人を舐め過ぎだよ」
村人という存在は襲われる対象と思われがちだが、この世界には車などのすぐに警察や軍隊のような組織が救援に迎えるような道具はない。だからこそ、魔物の分布が多くなる田舎であればある程、必然的に腕自慢が増える。冷静に考えれば分かることだが、もしも弱者のみで構成されている村などがあれば、とうの昔に滅んでいるとブルースは注釈した。
「生存者は?」
「さぁ、そこまでは分からないけれど、少なくとも五名全員が呼吸をしているように見えるね」
「……そうか、良かった」
ナギヒコが安堵の溜息を吐き出す。
「おかしな紋様を刻んでいると思えば、今度は独り言か。お前は狂っているようだな。私は雑魚にも、狂人にも用はないから早々に消えるといい」
ゴブリンシャークはナギヒコを鼻で笑うと、その視線を別の方向に送る。ナギヒコがその視線の先を追うと、すぐに狙いは分かった。
何故なら倒れ伏している内の一人にバーグがいたからだ。そして、よく見るとその少し離れた場所の地面に水晶が転がっていることが確認できた。
異変を感じ取って、すぐにあの水晶を隠すか、持って逃げようとしたが間に合わなかったといったところだろう。
「なぁ、ゴブリン・シャーク。お前の目的は分かったが、手遅れだぞ」
ナギヒコが投げ掛けると、ゴブリン・シャークは歩み出そうとしていた足を止めて振り返る。
「ふむ……それは、どういう意味だ?」
「もう既にその水晶の役割は終わっているって意味だ」
「……まさか」
ゴブリンシャークはナギヒコを観察するように見つめた後、小首を傾げるような仕草をする。
そして、次の瞬間、素早くナギヒコに迫ると、そのままの勢いで蹴り飛ばした。
「ぐうぉぁぁ!!」
ナギヒコの絶叫しながら地面を転がってゆく。単純な膂力こそあの赤毛の熊には劣るだろうが、その蹴りの威力は確かな技術を感じさせるものだった。
「全く……冗談は顔だけにしておけ、小僧」
ゴブリン・シャークはやれやれとばかりに呆れたような声で呟くと水晶の元に向かう。しかし、そこで何とか意識を取り戻したバーグは、水晶を懐に隠すようにして抱え込む。
「老人。無意味なことをするな。我は強者と戦えれば良い。故にこの声に従っているだけのこと。名ばかりの母などに興味はないが、その望みを叶えていれば必然的に強者と出会えるであろうと思って従っているだけのことだ。水晶を破壊せよとのお達しだが、思いの外、守護者が少なく失望はしているがな」
「げほっ……この水晶は英雄を呼ぶための座標。もう少し待っていれば強者が来るかもしれんぞ」
バーグは唇の血を拭うと皮肉めいた笑みを浮かべる。
「それは我としても望むところだ……しかし、確率があまりにも低い。母を倒せる伝説の武器だの道具だのなら使い手が現れる可能性は高いだろうが、三千年前に異世界に消えた者や血族が再び戻って来るというのはな。正直なところ、ロマンは感じるが、現実的ではないだろう」
「がはは、現実主義者だな。流暢に喋るは、知識はあるわ。お前さんは、一体どこで生まれ、どのように生きてきた?」
「老人、時間稼ぎもまた無意味だ。魔力を探知した限り、お前達よりも強い者はこの付近にはいない。残念だが英雄は不在だ」
「……そうかもしれんな。ただ、お前さんの言う通り、この水晶は三千年前の先祖から託された物だ。はい、どうぞと渡せんよ」
バーグは真っ直ぐにゴブリン・シャークを見つめる。その目には一切の恐怖はなく、あるのは男の覚悟だ。
「ふむ。これ以上の説得は無粋か……我の名はバトロス。お前は?」
バトロスと名乗ったゴブリン・シャークは傍らに落ちていた剣を拾う。
これから起こる悲劇を察し、恐々と見守っていた村人達が悲鳴を上げる中、バーグは堂々と名乗る。
いや、名乗ろうとした。
「何だ?」
バーグの声が響くよりも先に、バトロスは全く予期せぬ方からの気配と音を捉え、慌てて振り返る。すると、すぐ目の前に青い衣装に身を包んだ何者がいた。そして、それを認識すると同時に鼻先に衝撃が走り、視界が揺れ、気が付けば大地に倒れ伏していた。
「あぁ、俺の名前が知りたいんだっけ?」
ゆっくりと立ち上がるバトロスを煽るように、青い男は名乗る。
「俺の名は、シャークマンだ」




