第13話 鮫たち
「我は……」
「はいはい、ダゴンね。一生分聞いたわ」
ナギヒコは軽口を叩きながら、ダゴンの触手を回避し、その顔面を蹴り上げる。
「我は……ダゴン」
「もうええて」
ナギヒコの追撃がダゴンの腹部を貫き、緑色の異形はゆっくりと倒れる。
そして、少しずつ夜の闇に身体が溶けてゆく。
ナギヒコは復活や実は生存していたというフラグを圧し折るため、念のため最後まで見届けようと、近くの石の上に腰を掛けた。
すると、再びダゴンは口を開いたが、しかし、今度は先ほどまでとは異なる言葉を発した。
「我は……何者だ」
半魚人たちを吸収した結果なのか、知恵の残り香の影響なのか、ダゴンは本能以外の思考を行うようになっていた。
ナギヒコにはそれが自問自答なのか、自身に向けられた言葉なのか分からなかったが、無視するのは忍びないと思い、石から立ち上がると傍に座る。もちろん、完全に気を許してはいないが、最早ダゴンに余力がないことは明白だった。
「お前はここに生まれたのか?」
「我はここに在った……いつから在ったのかは分からぬ……己がダゴンという名の神であることを知り……ダゴンとしての役目を果たし続けてきた」
「ダゴンとしての役目とはなんだ?」
「この土地の者たちを掌握し、海に捧げ、我が力を取り戻し、いずれは天上の神々に復讐すること」
「……そうか」
恐らく当初は悪人だけを要求していたが、結局は長い歴史の中でアウゴたちのいたチャムを含め、この土地の全員が犠牲となったのだろう。ダゴン本体は神々に消し去られたのかもしれないが、そこは人種が踏み込める領域ではない。
「可哀想に」
ナギヒコは無意識に呟く。いつからダゴンだったのかは分からないが、多くの犠牲を出したのだろう。それでもどこかに同情はあった。残酷な言い方をしてしまえば、目の前のダゴンは極端に劣化したクローンのような存在だったのだろうと、ナギヒコは思ったからだ。能力が劣化しているだけならともかく、ダゴンの思想や記憶だけを引き継いだものの、ほとんど知性が働かず、命令されたことを繰り返す機械のようなものだと。もしも何か一つが違えば、悪神たるダゴンとは別の道を歩んでいた可能性もあったのではないかと。
「我を憐れむか……」
「不本意か?」
「……否……戸惑っている」
ダゴンはそう言いながら、ナギヒコを見つめる。
「そうか。なぁ、次に生まれ変わったら、良い蛸か鮫になれよ」
「……愉快な男だ……お前の名を教えて貰えるか?」
「俺はシャークマンだよ。あっ、ちょっと待て」
ナギヒコはシャークオフと呟き装備を外す。
「改めて、俺はナギヒコ。ナギヒコ・サメモリだ」
「……ナギヒコ。そうか……覚えておこう。我は……我は……」
既に何者でもないことを理解していたダゴンだったはずの何かは、それ以上言葉を続けられなかった。
賢さを得たが故に、自身の存在の曖昧さと儚さを思い知っていた。
しかし、ナギヒコは笑顔で彼の代わりに答えた。
「お前はダゴンだ。間違いない。俺もお前を覚えておく」
「……あぁ、そうだ。我はダゴン……古の……神」
ダゴンは夜明けの狭間の中、どこか満足した様子で消えて行った。
そして、ナギヒコはダゴンを看取った後、そこから立ち上がろうとしたが、瞬時に諦めの溜息をついた。
「駄目だ、これ」
長時間の戦闘によって蓄積された痛みとダメージの波が押し寄せる。そして、そのまま朦朧とする意識の中、誰かに支えられ、ふと視線を上げると見知らぬ女の顔があった。「大丈夫か」と呼び掛ける女の歯と左目の異質さを認識しつつも、意識が途切れる寸前にナギヒコはこう呟いた。
「くっそ美人」
「うーん。気絶しちゃったね。よく頑張ったよ、ナギヒコ」
ブルースは異世界を訪れてまだ二日目とは思えない程のハードスケジュールを熟しているナギヒコの身を案じつつ、恩人のカルカロに頭を下げる。
「カルカロ、君のお陰で助かったよ。僕もナギヒコもこの世界に来て間もないから、残念ながら渡せる物は何もないのだけれど、いつか必ずお礼はさせて貰うね。本当にありがとう」
ブルースはカルカロを伴ってナギヒコの元へと向かう際に、彼がナギサ・サメモリの子孫であることは伝えていたのだ。しかし、本来は何らかの反応があって然るべき発言にも関わらず、カルカロは「そうか」の一言で済ませ、特に興味を示すことはなかった。
(仕方がないとはいえ、あまり他人と良い関係を結べてはいないだろうね)
戦闘時は鮫の血が猛り、溢れんばかりの殺気を滾らせていたカルカロだが、平常時は無表情で声音も冷淡そのもの。生まれついての性格もあるだろうが、それだけではないような気がしていた。
この世界では男尊女卑とは別に、単純に戦う女は好まれない傾向にある。地球よりも広大で、生きる人種の寿命も遥かに長いにも関わらず、人口はそれほど大差ない。少し村や街の外を歩けば悪人や魔物、はたまた自然環境にすら襲われる。つまり、生物として子孫を残し、守る責任が大きい。だからこそ例えば女が冒険者になりたいなどと言えば、家族や周囲に快く受け入れて貰える場合は少ない。
その上、人類の天敵となった歴史のある鮫の血と特徴を持って生まれてきたとなれば、どのような酷い仕打ちを受けてきたのか、想像に難くない。
そういった様々な要素が今のカルカロを作り上げたのだろうと、ブルースは考えていた。
「申し訳ないけれど、そこら辺に寝かせておいてくれるかい。僕にも、そこらの魔物程度が相手ならナギヒコを守る手段はあるけれど、生憎腕力はないんだ」
ブルースがそう呼び掛けたが、カルカロは無言だった。というよりも、先ほどから全く反応がないことに気が付いた。
「ナギヒコの顔が怖過ぎて、今になって腰が抜けちゃったのかい」
ブルースは小粋なジョークを挟みつつ、ナギヒコに視線を向けたまま硬直しているカルカロの顔を覗き込む。
すると、そこには乙女の顔があった。
(マジか。ナギヒコ、やるやん)
カルカロは頬を染めるなどの分かりやすい変化ではないが、どこか困惑したような瞳で戦士とはかけ離れた表情を浮かべている。そして、それが好意的な感情から現れたものだということは語るまでもなかった。
「ナギヒコはたまに頭のネジが外れると怖いけれど、とても良い子だよ」
「同意する……殺し合った相手、それも私と比較しても遥かに異形に対しても慈悲を見せていた。話を聞く限り、多くの犠牲者が出ている以上、同情してはならない相手だったのだろうが。しかし……胸に何かを残す情景だった」
「そうだね。欠けた自我に翻弄され、叶うはずもない目的を追い求める。そんな生まれながらの殺戮兵器……いや、人形かな。哀しい存在だったね」
ブルースたちはしっかりとナギヒコとダゴンのやり取りを見届けていたのだ。正確には、ナギヒコがダゴンを倒す数分前には到着していたが、文字通り、横槍は無粋だと判断し観戦していた。
「それにしても……くっそ美人だってさ」
ブルースが試しに呟いてみると、カルカロの全身に震えが走る。
「否定する……私が美人であるはずがない。このような威圧感のある女が美人であるはずがない。私の姿は醜悪。それが世界の事実」
カルカロは自分に言い聞かせるように言葉を並べる。
「多くの人々にとってはそうかもしれないね。でも、ナギヒコにとって、君は美しい。それも事実なのさ」
ブルースは否定することなく、しかし、諭すように告げる。すると、カルカロは少しの間ブルースを見つめた後、再びナギヒコに視線を戻した。
そして、胸に抱いたナギヒコの耳元に唇を寄せると、そっと口を開く。
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き」
抑揚のない声だが、しっかりと熱意を感じる言葉の羅列だ。
「……えっ? 何? 何なの?」
ブルースは何が起こっているのか、すぐには状況を呑み込めなかった。
当然のことながら、先ほどの言葉でカルカロがナギヒコに好意を抱いたことは感じていたが、彼女をチョロインと揶揄する心情にはならなかった。世界でも極めて珍しいであろう、自分を心から美しいと言ってくれる異性と出会ったのだから、それがたった一言であったとしても、心を動かされない方がおかしいと納得できたからだ。
しかし、どうやらブルースの想像よりも遥かに高く、荒々しいまでの感情の波がカルカロの胸には押し寄せているらしい。
「ごめん。君にも色々とあったのだろうけれど、素直に怖い。ねぇ、聞いている?」
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き」
「これ何て言うの? 何ていう属性なの? クールで色々と大きいヤンデレ風お姉さん? 薄い本の八尺様? いや、どちらかと言うと七尺様か」
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き」
「ねぇ、一回、落ち着こう? 言葉にしなくても気持ちを分かって欲しいなんて理不尽な要求を押し付ける人よりも、言葉で伝える君は素晴らしいと思う。でも、伝え過ぎるのもどうかと思うよ。既に呪詛の類だもの。怪談で聞くやつだもの。内容はともかく、絵面がホテルとかで枕元に現れる幽霊だもの」
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き」
「なるほど……この土地は確かに呪われているようだね」
ブルースが「好き」を連呼するカルカロに辟易していると、海の方から何者かの気配を感じた。
そして、ブルースがその方向に視線を向けると、穏やかな朝日に照らされた海の上、幾つもの光の玉のようなものが浮かび上がり、その中の幾つがアウゴたちの姿を模したかと思えば、やがて深々と頭を下げた。
「うん、ナギヒコにも伝えておくよ……おやすみなさい」
その答えが届いたかどうかは分からないが、光の玉はまるで夢から醒めた様にあっけなく、静かに消えて行ったのだった。




