第11話 いつか見た夢
「◎△$♪×¥●&%#」
ソレが第一声、いや、雑音、もしくは鳴き声のような音を発する。
鮫の顔をした半魚人と蛸が混ざり合ったかのようなおどろおどろしい姿を持ち、その体長は三メートルほど、そして、潮の香りとは異なる悪臭を放っている。
しかし、まさしく異形といった姿形よりも、ナギヒコが恐ろしいと思ったのは何も感じないことだった。ブルース曰く、悪意を感じるとは言っていたが、本当に何も感じ取れるものがない。魚類だけに表情の変化には期待出来ないのかもしれないが、魔物である以上は、何らかの反応や思考の一片が動きに出ても良いと思っていたが、ただそれは彼をを見つめるばかりだった。
『ブルース、アレは魔物か?』
『……魔物に分類されるとは思う。でも、嫌な予感がする』
『お前の予想は?』
『地球の神話でもあるように、神は自身の一部から新たな神や生物を生み出すことがある。もしも、アウゴさんやフィリップスがかつては実在し、神に出会ったとしたならば、そこから生まれ出た存在かもしれない。ただ、精霊である僕の思考や認知にすら干渉していたようだけれど、君には破られたし、殴られて吹き飛ぶなんて弱過ぎる。神は吐息で大陸を吹き飛ばせるような存在だからね。全世界の人種や魔物が手を組んだとしても戦闘が成立しないよ。だからアレが神から生まれた存在だと仮定しても、指の一本どころか、髪の一本、もしくは小指の爪の先端くらいの力しかないだろうね』
『なるほど……それでも一般人からしたら化物オブ化物だよな?』
『間違いないね』
『よし……俄然、やる気が萎えた』
ナギヒコは戦い自体を好んでいるわけではないため、とりあえず強い悪意を感じるというブルースの証言を元に殴ってみただけなのだ。
そもそも村人に悪さをしている可能性を考慮しての選択だったが、村そのものが存在していないという展開は話が違うというのが本音だ。
「~~♪~~♪」
ナギヒコがどう動くべきか迷っていると、ソレは歌のような何かを発した。
そして、凪いだ海にはいくつもの水泡が生れ落ちる。
やがて夕陽は眠りにつき、世界が息を飲むほどに美しい星空と月明かりに照らされてゆく中、何かが海面から顔を覗かせる。
「……まずそうだな」
ナギヒコが呟く。
その眼前に広がるのは人の群れ。いや、かつては人と呼ばれていた何かの群れが水面に立っている。
個々の差異はあれども、体の大半は鱗や魚類のような特徴に変化し、そして、裏合掌とでも言うべきだろうか、深い海の底から現れた者達は口元で左右の手を交差させるようにして手の甲を合わせている。
そして……
「「「「「お゛お゛お゛お゛お゛お゛」」」」」
祈りの歌か、怨嗟の声か、無感情な一定の音が夜闇に広がる。
『やばたにえん、その二』
『帰りたにえん、その二』
『同意たにえん、その二』
ブルースとそのようなやり取りをしながら、ナギヒコは刺激しないように後方に下がってゆく。人数差もあるため、ここで海に引きずり込まれようものなら、流石に痛みへの耐性が云々という問題ではないのは明らかだった。
「これが本当の……お憑かれ様でした」
ナギヒコは砂浜を抜けたところで小さく呟く。
その瞬間、音が止んだ。
完全なる静寂が世界を包み、そして、幾拍かの間を置いた後、群れは四つん這いになる。
「……嫌な予感しかしない」
ナギヒコがそう言うが早いか、群れは一斉に駆け始めした。唸るでもなく、叫ぶでもなく、魚類と混ざった無表情のまま、ただ殺意のある爪や牙を剝き出しにして。
「ナギヒコ! とりあえず、逃げよう! ……ナギヒコ?」
「……今、あいつ笑ったな」
「何を言っているの?」
「あの奥のクトゥルフモドキだよ」
「表情は変わっていないと思うけれど」
「いや、俺には分かる。クソむかつく顔で笑いやがった」
ブルースは一概に否定しなかったのは、主に精霊を視認できる者には、時に無機物の声すら聞こえる者がいるからだ。いや、声というのは正確ではないかもしれないが、日本で言うところの八百万の神のように、万物に宿る何かを感じ取れる者はいる。
「この世界がオカルト小説や映画じゃないことを教えてやる」
ブルースがナギヒコを見るが、仮面で表情は読み取れない。ただ、それでも録でもないことを考えていることだけは分かった。
「瓦礫……良い感じの瓦礫、よし、これだ」
ナギヒコは半魚人たちから逃げ回りながら瓦礫を拾う。そして、廃墟を縦横無尽に駆け回った後、全力疾走で迂回するように砂浜に向かう。
そして、こっそりと朽ちた石壁から顔を覗かせると、異形の鮫は海上から砂浜に戻ってきていた。
『ねぇ、何をするつもりなの?』
ナギヒコから数百メートルほど先、念話が通じる範囲の上空で、ブルースは尋ねる。
『二度目の不意打ち』
『……まずは逃げなよ』
『大丈夫だ。あの群れはしばらく来ないだろうからな。来たとしても、お前のお陰で全員じゃないだろう』
ナギヒコは無暗に逃げ回っていたのではなく、半魚人たちを冷静に観察していたのだ。
ここで重要になるのはゾンビ映画や一部のモンスターパニック映画だ。創作物の世界では襲う側が何を以って人を感知しているのか、非常に曖昧なものが多い。それは映画の設定としては不純物であり、そこまで細かい設定は不要だろう。変にこだわった場合、必ず矛盾やツッコミどころが生まれてしまうからだ。例えば足音には反応するのに、自然物には反応しなかったり、温度を感知するのに、人の目には視認できないだけで日頃から熱を生んでいる様々な機械には反応しなかったりと、その辺りはご都合主義だ。
しかし、これは現実だ。
ナギヒコは彼らが何を感知しているのか探りを入れていたが、視界と魔力だと判断した。そのため、魔力を持たないナギヒコは、魔力を持つブルースを半魚人たちの手の届かない上空に向かわせて、デコイの役割を頼んでいたのだ。映画なら、とてつもなく冷める展開なのは言うまでもない。
『いや、アクション映画とかで今ならボスを簡単に倒せたでしょ! みたいなシーンあるじゃん。主人公が追う立場でも追われる立場でも、黒幕が高笑いをしがちなやつ』
『あるけれど』
ブルースもナギサの影響で映画が好きだっため、幾つも思い浮かぶ作品があった。というよりも、大半のアクション映画ではお馴染みの場面と言えるだろう。ガルントと共に「銃があるんだから、道を遠回りして戻ったら撃ち殺せたのに」と言ったら、ナギサに「無粋」の一言で終わらされた日を思い出した。
『今の状況ってアレだと思うんだよな。だから、あの鮫蛸野郎に現実はご都合主義じゃ通らないってことを教えてやろうと思って。横っ面にこれをぶち込む』
『相手が人種ならともかく……アレに瓦礫を投げて一撃で倒せたら苦労しないと思うけれど』
『それでも良い。あいつに中指を立てて嘲笑してから逃げる』
『ヒーローとして活動することを忘れているよね? どれだけ腹の立つ表情に見えたのか知らないけれど、沸点が子供過ぎる。極一部とはいえ、神の力を持っている可能性を忘れずにね』
ブルースは下からこちらに手を伸ばしつつ、行ったり来たりしている半魚人たちを哀れな視線を送りながら、やれやれと溜め息を吐いた。
ナギヒコは瓦礫を持って投手のようなフォームを取ると、無言のまま、全力で異形の鮫に向かってそれを投げつける。
そして、装備の効果もあり、強靭な腕力が生み出された投擲は風を切り裂き、そのままソレの横顔に突き刺さった。
「◎△$♪×……逃走していない……攻撃……」
どれ程のダメージがあったのかまではナギヒコにも分からなかったが、異形がぶつぶつと発していた音が、明確な言葉に変わった。
「……不可思議な生命体……◎△$♪×¥●」
異形はナギヒコにいる方向に手を伸ばすと、またしても聞き取れない何かを唱える。
「何だ?」
その瞬間、ナギヒコに視界に広がったのは日本、つまりは故郷の光景だった。
家族が友人が笑って、こちらに手を振っている。
「……皆」
ナギヒコがゆっくりとそちらに歩いてゆくと、温和な笑みを浮かべてた祖父が両手を広げて迎えてくれる。
「祖父ちゃん……」
ナギヒコは祖父の前で立ち止まり、一呼吸を置く。
そして……
「行ってらっしゃいじゃねぇんだよ!?」
祖父の顔面にナギヒコの拳が触れると、景色は元に戻り、異形が後方に吹き飛ぶ。
「……何故……この者……情が存在せず……?」
腹部を殴られた異形はすぐさま立ち上がったが、隠せぬ動揺を示した。
「ありがとうよ、鮫蛸野郎。本人を殴れなかった代わりに、すっきり出来た」
「……異常……人種……否……その装備から神の力を感じる」
「正解。俺はシャークマンだ。お前は何処の誰だよ」
ナギヒコが問うと、異形は身体から幾つもの触手のようなものを生やしながら答える。
「◎△$♪×¥●&%#……ダゴン」
ダゴンと名乗る異形を前にして、ナギヒコは特に動揺はしなかった。
「なるほどな。それじゃあ、ダゴン……いや、自分をダゴンだと思い込んでいる魔物さん、対よろです」
ナギヒコが煽るように口にすると、ダゴンの表情には強い怒りが生まれた。
「……我はダゴン……我は古の神……」
ダゴンは自分に言い聞かせるように口にする。
「はいはい、後でお薬だしておきますねー」
「……我はダゴンなりぃぃぃ!!」
ダゴンは触手を操り、その一撃は砂浜を抉ってゆく。
「おーおー、喚くと随分とホラー感が薄まるなぁ。というか、精神干渉系能力頼りなのかと思ったら、普通に戦えるのかい」
ナギヒコは流石に足元が砂では戦い辛いと判断し、触手を避けながら廃墟の方に後退する。
そして、瓦礫を投げつけると、ダゴンはすかさず触手で防ぐ。しかし、ナギヒコはその隙に触手の下から懐に潜り込むと、そのまま跳躍し顎を蹴り上げ、更に逸れた胸を台にして再び飛び上がると、ダゴンの顔を地面に叩き付ける様にして殴り飛ばした。
「……◎△$♪×!?」
ダゴンが何かを喚きながら倒れ伏すと共にに砂塵が宙を舞う。
ナギヒコは悩んだ末に追撃をせず、バク転の要領で距離を空けると様子を伺った。
「……我は神……ダゴン」
「それはもう分かったっての」
「……♪……♪」
ダゴンが歌を口ずさむ。
「やばっ」
ナギヒコが慌てて攻撃を行おうとしたが、それよりも早くブルースの念話が届く。
『全体の三十人くらいがそっちへ向かったよ! 残りはまだ百人くらいはこっちにいる』
「全員じゃないのが優しいなぁ。じわじわと甚振るつもり……いや、待てよ? あぁ、そういうことか」
「……我は」
再びダゴンが台詞を繰り返そうとしたところで、ナギヒコは食い気味に待ったをかける。
「ダゴンの搾りカスだろう?」
「……否……我は古の」
「お前、手下を全員を呼ばないんじゃなくて、呼べないんだよな? 搾りカスだから。後、思っていたけれど、触手で戦ったこともないだろ? 精神干渉ばかりに頼っていたから、一撃は強くとも単調で避けやすい。搾りカスだから」
「……我は……ダゴン」
ダゴンはナギヒコの背後から現れた半魚人たちを巻き込みながら触手を振るう。
「何のために呼んだんだよ」
ナギヒコが本末転倒だなと零していると、そこで異変に気が付いた。
ダゴンは触手で刺し殺した者たちを貪り始めたのだ。
そして、月明かりに照らされた影は大きくなり、全身に幾つもの魚類や人の顔が浮かび上がる。
「……俺は……私は……僕は……我はダゴン」
『蛸鮫さんが何か半魚人を食べてパワーアップしたっぽいんだけど』
『ほら調子に乗るから』




