第10話 往事渺茫
アウゴは語る。
チャムの歴史は二千年。元々は名もなき村だったが、それよりも遥か昔から忌み地として知られていた。
しかし、生贄の風習を始めた頃から、この地域での生活は豊かになった。 漁はもちろんのこと、本来は海岸沿いでは育たぬはずの種類の作物ですら毎年豊作となり、飢餓で苦しむことはなく、歴史上、幾度も蔓延してきた流行り病も避けるようだったという。そのため、遠方から移住してくる者達も少なくはなかった。その結果、漁村と銘打ってはいるが、実質的には港町と呼べる程には人口が多くなった。
ただし、不思議な出来事は常に発生していたという。それは気のせいで終わる程度のものから、明らかに異質な出来事などが続き、それでも人々は飢餓や疫病よりはずっと良いと気にすることはなかった。
それでも長い年月の中で異変に興味を持つ者、生贄と繁栄の関連性を調査する者は少なくはなかったが、全ての謎が解けることはなかった。
しかし、一つだけ分かったことはある。
それは四千年ほど前、大半の者達が失踪、または飽きて調査をやめる中、数日間、行方不明となっていたものの見事に生還したフィリップスという研究者が残した文献には、『この土地が初めから異常な場所だったのか、何か切欠があったのかは定かではないが、この海には太古の神がいた』と記されていたからだ。
この時のフィリップスの肌は魚の鱗のように変化し、潮の香りに満ちていた。
そのため、『生臭いのは仕方がないが、気持ち悪いは言い過ぎではないだろうか? むしろ、神秘的だとすら思える。いや、思えるということ自体が何らかの精神的な干渉を受けているのか? どちらにしても興味には尽きない。しかし、時間がない。私が私である内に全てを書かなければ』という不満も記されている。
その後、彼は幾つもの手記を部屋に残した後、深い海の奥底に沈んでいったとされている。
遺書には『彼ら曰く、命は巡るという。例え記憶を失おうとも、我は神の名を、数多ある世界の何処かで語り継ごう』と記されていたという。
そして、古の神がどのような存在なのかは分からないが、ここ二百年ほどの年月の中で、過去に例を見ない異常事態が発生することとなった。
「なるほど……そのような歴史があったんですね」
アウゴの話を聞いたナギヒコは頷きながら、その場を後にする決断をした。
『やばたにえん』
ブルースも何かを察したようにそう呟いた。
『帰りたにえん』
ナギヒコもすかさず逃走の意思を示した。
『同意たにえん』
ナギヒコ達の様子がおかしくなりつつある理由は、アルゴの話を聞く中で、オカルト好きならまず間違いなく連想する不穏な存在が頭を過ぎったからだ。
「いやぁ、本当に素晴らしいお話でした。あぁ、もうこんな時間ですね。続きはまた後日ということで……」
ナギヒコは身に付けてもいない腕時計を確認するような素振りを見せながら、ゆっくりと後退する素振りを見せた。
しかし、アルゴは老体とは思えない速さでその腕を掴む。
「そして、ここからが今現在のチャムの異常についてなのですが、今から一年ほど前から突如として村人達が笑顔になったのです」
「えっ、力強っ」
「初めは数人、気が付けば数十人と増えてゆき、今では人口の九割が笑顔を浮かべながら生活しております。更に会話もおかしい。挨拶などを繰り返すばかりで、意思疎通も取れなくなりまして。やがて突然殴り合いを始めたり、かと思えば円になってよく分からない歌を合唱し始めたり、最早何がなにやら……生贄を捧げても戻りませんでな」
「その生贄が原因なのでは? 後、帰ろうとしないので手を放して貰っても良いですか?」
「いえ、しばらくはやめておりました。数年は相応しい者がおりませんでな」
アウゴはナギヒコの腕を離すと、深く溜息を吐いた。
「あぁ、そういえば贄にも条件があるような言い方でしたね」
「そうですとも。昔はどうであったのかは分かりませんが、村がチャムという名を冠してからの贄は悪人と決まっておりましてね。先ほども申し上げた十五歳の娘も、まぁ、酷いものでした」
その言葉にナギヒコは僅かに疑惑の表情を浮かべると、アウゴは敏感に察したようで小さく首を横に振った。
「何を考えていらっしゃるかは分かります。正直、因習と呼ばれるものを背負っているのはこの村だけではおりませんからね。多かれ少なかれ、どこにでもあるような話です。しかしながら、例えば村長や立場の偉い者の私情で悪人と定めたり、貶めたりすることは、少なくとも私の知り得る範囲ではございません。ましてや、女子供ばかりではございませんし……誤解されていたでしょう?」
ナギヒコに返す言葉はない。
地球においても、女子供や老人が犠牲になるのと、中年、特に男が犠牲になるのとでは世間の印象や反応が違う。
戦前にはそういった差別意識から脱却しようとする偽善的な試みや思想もあったが、現代では既に途絶えていると言って良いだろう。
元々、差別反対運動を行う活動家の主張は利権、矛盾や二律背反を孕んだものばかりだったが、第三次世界大戦下において、人間は清らかな生物ではないという本質を認めざるを得なくなった。
セクシズムにしろ、ルッキズムにしろ、善悪ではなく、本能なのだから仕方がないと。もちろん、それらを基準に迫害するのは別問題だが。
しかし、分かりやすく例えるなら、孔雀などの生物がその筆頭であり、多くの生物に備わった本能であるという証。
人間が善の生き物だという夢から醒めた者たちが多く生き残った結果だった。
「宜しいのですよ。人とはそういう生き物ですから。まずは悪人や罪人を贄としていたことを知って頂ければ十分です」
「事情は分かりました。えっと、あっ、そういえば生贄を捧げる際は、何か儀式のようなことをするんですか?」
「いえ、これと言って仰々しいことはございません。縛った贄を海に投げ入れるのみです」
「なるほど……やはり、海が関係しているんですね」
フィリップスの遺した太古の神という言葉が関連してくるのは間違いないだろうと、ナギヒコは思考に耽る。
どうしても最悪の状況が思い浮かぶが、同時に少なくはない違和感を覚えてもいた。
それはチャムで起こっている異常が神の仕業だと仮定したとしても、この程度の影響で済むものなのだろうかという点だ。
『なぁ、ブルース。神ってこういうことするものなのか? 俺はオカルトが好きで、怖い話や因習村の類の話も色々と知っていはるが、冷静に考えると疑問が多いんだよなぁ』
『例えば何だい?』
『神という大仰な名前が付いているのに年に数人程度での生贄で満足したり、起こる祟りが小規模だったりするところかな。今この村で起こっていることも地味じゃない? いや、人間を怖がらせるという意味では正解かもしれないし、ホラー小説には使える。ただ、お前の言う、神は人種を羽虫程度にしか思っていないというイメージと合致しない。俺達は羽虫を潰すことはあっても、ドッキリを仕掛けたり、怖がらせようなんて考えないし』
『うん。まさしくだね。僕も疑問には思っていたところだよ。怒り狂った神はもっと恐ろしい真似をする』
『定義が違うのかもな』
『そうだね。とりあえず、日本で例えるなら一般的な幽霊像や妖怪像に合致しない非現実的な存在を総じて神と呼びがちなのと一緒だね』
『今回は神じゃないってことで平気か?』
『うーん。断定では出来ないけれど、少なくとも僕の知る神ではないだろうね』
『まぁ、乗り掛かった船だし、ちょっと調べてみるか』
『そうだね。どちらにしても、困っている人達がいるのは確かなのだから、ヒーローの活躍の場だよ』
これが二日前に起こり始めたことだとしたら、直接的ではないにしても、神が関与している可能性は高かったけれどね。
ブルースは内心でそう思いながらも、ひとまず想像していた最悪のことは起こらないだろうと安堵した。
そんなブルースの心中を知るわけもなく、ナギヒコはアウゴに言う。
「アウゴさん。とりあえず、少し調べてみますよ。まだ日も明るいですし、海岸の方に行ってきます」
「おぉ、それは有難いことです。何卒よろしくお願い致します」
こうしてナギヒコはチャムに滞在し、この村の異常を調査することとなった。
そして、一時間後、ナギヒコが海岸沿いを歩いていると何処からともなく声が聞こえ始めた。
それは深い海の底から這い上がってくるかのようにおどろおどろしく、そして暗く切ないものだった。
「何だ?」
しかし、ナギヒコが周囲を見回しても、これといって特に異変はなく、遠い水平線を海鳥たちが心地良さそうに泳いでいる。
「……平和だな」
「そうだね。本当に何も異変を感じない」
ブルースは暢気そうに身体を伸ばしながら欠伸をしているが、ナギヒコは海と背後の村を交互に振り返りながら、時折身体に触れて何かを確認している。
「随分と落ち着かない様子だけれど、さっきから何をしているんだい?」
「……うーん。何か、変な感じが消えない。この村に入ってから何か違和感があったんだよなぁ。何だろうなぁ……痛っ」
ナギヒコはこめかみを刺すような激しい痛みを感じて頭を押さえる。
「痛い痛い痛い」
ナギヒコは連呼しながらも考え続ける。常人なら意識を失いかねない様な痛みだが、それでもナギヒコは頭の回転を止めることはない。
「アレ? 痛い……痛くない……痛い……痛くない」
ナギヒコは違和感について考えると痛みが走り、別のことを考えるとすぐに止まることに気付き、それを繰り返している。
「ナギヒコ、ヤンデレの花占いみたいなことを言っているけれど、二つの意味で頭大丈夫?」
「ちょっと待て。今、色々と試しているから」
そして、数分後、ナギヒコはブルースに念話で尋ねる。
『なぁ、ブルース。お前、魔力を感じ取るのが得意だよな?』
『……うん、それがどうかしたのかい?』
ブルースは賢いが故に念話に切り替えたことに対して柔軟に対応する。
『大体で良いから教えてくれ。今、この付近には魔力を持つ者がどれくらいいる?』
『おかしなことを聞くね。ちょっと待ってね……アレ?』
ブルースは感知能力を働かせると共にすぐに異変に気が付く。
『……魔力の塊が一つしかない』
ブルースの感知範囲は半径一キロメートルほどだ。そのため、広大な村の全てを補うのは不可能だが、仮に村人が少量の魔力しか持たないと仮定しても、現在の距離から誰一人として感知できないという状況は有り得なかった。
そして、唯一の魔力の持ち主は、海側に、それもとても近くにいる。
『村の方には魔力なし、距離は十メートルほど先、砂浜と海の境界に何かがいる。それに強い悪意を感じる』
なぜこれほどの悪意に気付かなかったのか、なぜナギヒコは異変に気付いたのか、ブルースは様々な疑問や言葉を飲み込んで、今は彼の支援に徹することにした。
『オーケー。そいつが俺の真正面に来たら教えてくれ』
ナギヒコは何食わぬ顔で歩を進める。
「それにしても、綺麗な海だなぁ」
『もう少し右、そう、そのまま真っすぐ』
「やっぱり文明の進化と自然環境の保護は相いれないって感じるよな」
『そう、そのまま、後五メートル……四メートル……三メートル……二メートル……』
そして、ブルースの『距離は一メートル』という声が頭に響くと同時に戦闘開始の台詞を唱える。
「シャークライ!」
ナギヒコが変身すると共に一撃を打ち込むと、はっきりとした手応えと共に海の上を何かが吹き飛び、大きな水飛沫を上げた。
すると、視界には突如として夕闇が広がり、ブルースが慌てて背後を確認すると、そこには遠い昔の村の面影だけを残す廃墟の群れが佇んでいた。




