第9話 憧れの因習村
「何か、気持ち悪いな」
ナギヒコの言葉にブルースは沈黙で同意を示した。
その不穏な気配は村人だけではなく、村全体に漂っていた。
潮風の香りは濃密な一日を乗り越えたナギヒコには、どこか懐かしさすら感じさせるというのに、それでいてどこか吐き気を催すほどの死臭を孕んでいるように思えた。
「晴れているよな?」
不意にナギヒコは違和感を覚えて空を見上げる。そこには綺麗に染められた青色は滲むことはなく、真っ直ぐな瞳で下界を見守っていた。
しかし、森を抜け、潮風を感じ、漁村の片隅まで歩を進めると、曇天の翳りが視界に、人に、心に薄闇を落としていることを感じた。
「……本物の因習村か」
ここはチャム。
三千年前から、もしくは更に古の時代から、時に名前や統治者は変わりながらも生贄の風習を続ける忌み深き土地。
そして、ナギヒコは緊張しながらも一歩を踏み出した。
それがある意味では地獄への始まりだとも知らずに。
「こんにちは、チャムヘようこそ」
「えぇ、こんにちは」
このやり取りをしたのは何十回目だろうと思いながら、ナギヒコはうんざりした様子でギルドに向かっていた。別に挨拶することや他者と交流することが苦手なわけではない。日本にいた頃も見知らぬご老人や近所の保育園の子供たちと挨拶を交わすことはあり、穏やかな心地になったものだ。
しかし、出会う村人全員が傍に近寄ってきて笑顔で挨拶してくるのは、回数が増えるほどに恐怖よりも煩わしさを感じる。
強いてナギヒコが恐怖心というよりも戸惑いを覚えているのは、顔の刻印について反応がないことだろう。そんな心中を察したのか、ブルースが笑いながら念話で声を掛ける。
『自分の顔を怖がらないことに対して戸惑っているのは流石に草』
『心を読むな。そんなに分かりやすいのか、俺』
『うん、君はかなり表情に出るタイプだよ』
『我慢しているつもりなのにな』
そのようなやり取りをしながらも、不興を買えば何が起こるか分かったものではない。しかし、煩わしいと無視することも出来ず、ナギヒコは愛想笑いを浮かべたまま、恐らくは村長やギルドであろう、村で一番大きな建物に向かって道を急いだ。
そして、挨拶ラッシュを切り抜けたところで、やはりそこはギルドだったようでシンボルマークの竜と剣の看板が掲げられていた。
村の中では大きくとも、想像の中の冒険者ギルドと比べると頼りない建物。
ナギヒコがその扉を開いて中に入ると、奥に一人の受付嬢らしき女が立っていた。
「あら、まぁ、顔怖い。チャムへようこそ、余所者さん」
「何だろう、ちゃんと顔が怖いって言われて安心した自分がいる。というか、余所者って、そんなフランクな挨拶で使われることあるんだ。大体は『この村から出ていけ』の枕詞かと思っていた」
「ふふ、まぁ、どうぞどうぞ。初めまして。私はリーシャです。本日はどのようなご用件で?」
顔立ちは十代後半から二十代にも見えるが、醸し出す雰囲気はもっと上にも見える年齢不詳な受付嬢は微笑みながら尋ねる。
「あぁ、これはご丁寧に。俺はナギヒコです。実は、冒険者になりたくて来ました」
そうナギヒコが答えると、リーシャは値踏みするような視線を浮かべた後、受付台の上にあったベルを鳴らす。
すると、しばらくして奥から五十代ほどに見える巨漢の男が現れた。
「どうしたリーシャ。うん? うおっ、顔怖っ……白昼堂々と強盗か? んにしても、お前、それを刻むのは痛かっただろう」
フリーベルには都合の良い機械などあるわけではないため、ナギヒコのような紋様や刻印と呼ばれるものを身体に掘る際は、刃物や特殊な植物が使われる。そのため、大きければ大きいほどに激しい痛むのは常識。成人の儀式で行う部族もいるが、痛みによってショック死することもある。
「あぁ、父さん、この人はナギヒコさんと言う余所者さんで、この村で冒険者になりたいんだって」
「正気かよ。あぁ、俺はイヴァンと言って一応ギルド長なわけだが……ナギヒコだったか、お前はこの村がどういう場所か知らないのか?」
「いや、一応、噂程度には知っていますけど」
「はぁ、分かったぞ。さては余所者、アレだろ。お前はオカルト愛好家だろ」
イヴァンは、以前この村にやって来た、はた迷惑な連中のことをつらつらと語り始めたが、そんなことよりもナギヒコには気になることがあった。
「な、なるほど、そんなことが……えっと、ちょっと待ってくださいね」
ここでナギヒコは疑問に思ったことをブルースに尋ねる。
『なぁ、ブルース。ずっと思ってはいたんだけど、俺はこの世界の人達と普通に話せているし、ギルドって文字も読めた。百歩、いや、千歩譲って日本語や英単語が出てくるのは、ご都合主義だと受け入れる。ただ、オカルトという特殊な部類の言葉が出てくるのは予想外なんだけど、これはどういうことなんだ? 本当に日本語を喋っているのか?』
『彼らは別に日本語を話しているわけではないよ。フリーベルでは言葉や文字が相互理解できる意味に翻訳されるんだ。だから異世界人でも意思疎通に問題はない。ただし、相手に知識がない場合や世界規模で概念が存在しない場合は別で、正しく意味が伝わらない。よほど知能のある魔物でない限り、意思疎通が出来ないのもそれが理由。分かりやすく例えるなら、パソコンはこの世界には存在しないものだから、フリーベル人に言っても未知の言語に聞こえてしまう。ちなみに僕がいた頃は、不思議なことは神の怒りだの何だのという解釈が一般的だったから、オカルトは通じなかったんじゃないかな? 君は痛いほど理解しているだろうけれど、この世界では神の存在証明がされている以上、地球とは感覚が違うだろうからね。恐らく僕がいなかった三千年の間に地球人か、もしくは似て非なる世界の住人がここにきて広めたんだと思う』
『なるほどなぁ。一から勉強しなくて良いのはマジで助かるな。ありがとう』
ナギヒコがブルースとの念話を終えると、その様子を見ていたイヴァンが不意に口を開く。
「余所者。お前、もしかして精霊様と交信してるのか?」
「えっ? えぇ、そうですけど。もしかしてこいつが見えるんですか?」
ナギヒコが右肩を親指で指し示すが、イヴァンは首を振る。
「いや、全く見えん。ただ、俺がまだ現役の冒険者だった頃、仲間に精霊と会話できる奴がいてな。確か念話と言ったか、それをしている時の様子が同じように思えた」
「なるほど……」
「へぇ、ナギヒコさんって、実はすごい人なんですね」
「すごいかどうかは分かりませんがね。えっと、とりあえず、冒険者になることは可能ですか?」
「あぁ、この書類に記入してくれ。その後にギルドカードを発行する」
「分かりました」
こうして、特に問題なくナギヒコは手続きを行い、ギルドカードの発行を待つこととなった。
ナギヒコにしてもブルースにしても、どこか拍子抜けをしている点は見事に毒されていると言えるだろう。
村人の様子はおかしいと言えばおかしいが、マザーシャークとは関係があるとは思えないため、二人は念話で相談した後、ここを去ることにした。
『あれだけ楽しみにしていたのに、随分とあっさりしているんだね』
『村人が全員笑顔なのはありだけれど、挨拶はマジで余計だわ。観光でもしようとしたら、一体何人と挨拶しなきゃらならないんだよ。恐怖よりも登場人物のウザさが気になるのは、駄作のホラー映画でありがちなやつだ。全員が笑顔のまま、無言で俺を見ていて欲しかった』
『ホラーへのこだわりがすごい』
そのような話をしていると、イヴァンが白いカードを差し出した。
「ほら、これで冒険者だ。説明はいるか?」
「あぁ、いや、大丈夫です。基本的になことは精霊に教えてもらっていますので」
「そうか……それで、この村には滞在するのか?」
「いやぁ、正直に言うと身分証が欲しかったのが本音ですので。これで……って、後ろの方はどなたですか?」
ナギヒコはいつの間にかイヴァンの後方に立っていた老人が気が付いて尋ねた。
「うん? あぁ、この人はアウゴ。俺の父であり、このチャムの村長だ。親父、何か用か?」
イヴァンがそう呼び掛けると、アウゴはゆっくりと足取りでナギヒコの前にやって来た。
そして、じっと見つめた後、小さくため息をついた。
「贄にはならんな。坊や、この村は危険だから早く旅立ちなさい」
「贄……生贄ってことですか?」
「うむ……そちらの鮫の精霊様から聞いているのであろう? この村は、この土地は普通ではない」
ナギヒコは精霊とは言ったが、鮫とまでは言っていなかったため、アウゴがブルースを視認していることに気付いた。
それはどうやら家族であるリーシャとイヴァンも同様だったのか、言葉を挟むようなことはしないが、驚いた表情を浮かべている。
「因習ですか」
「うむ。因習と言えば因習なのは間違いないでしょうなぁ。去年も娘を一人、贄に落としました。まだ十五の娘でしたが、致し方ないので」
「……何か彼女ではないといけない理由があったのでしょうか?」
ナギヒコがそう尋ねると、イヴァンは目を見開いた後、「やはり」と小さく呟いた。
「まだお若いというのに、精霊様に選ばれるだけのことはございますな。大半の者達は事情を聞かずに責め立てたるものです。現実を感情ではなく、客観的な視点で見ることが出来る能力は尊いものです」
『残念だったね、お爺さん。この子、客観的に見て危険な場所だと教えてあげたのにも関わらず、溢れ出る感情のままにこの村にやって来たんだよ』
ブルースは言葉を発して会話に参加する気はないらしく、念話でナギヒコを揶揄する。
ナギヒコは言い返そうとしたが、イヴァンが何か重要な話を伝えようとしていることを察して黙っていた。
「何か事情があって、この村にいらっしゃったのでしょう。いえ、分かっておりますとも。精霊様に導かれてこの地を訪れたのは、この村で発生してい異常に関係があるのでしょう……では、まずはこの村の因習についてお話をしましょう」
アウゴは一人で納得すると、万感の思いを表情に出しながらそっと語り始める。
「かつてこの地には……」
『おい、ブルース。何か勝手に納得して、勝手に語り始めちゃったんだけど。今更違いますとは言い出し辛くなる確率百パーセントなんだけど』
『……マザーシャークとは無関係の上、碌でもないことに巻き込まれるのは間違いないだろうね』
ナギヒコとブルースは色々と諦めた表情を浮かべると、アウゴの語りを静聴することにした。




