第8話 憤怒の系譜
「なるほど、やっぱり相当悪い奴だったんですね。不幸中の幸いでした」
ナギヒコはエーゴに貰った薬を患部に塗りながら、ほっとしたようにため息を吐いた。赤く腫れている肌はそのままだが、痒みは早くも治まり始めている。あまりにも効き目が早過ぎて怖いくらいだが、エーゴ曰く、ナギヒコが刺された虫はコマルンといい、蚊に近い魔物で、吸血した際に傷口に魔力の残滓が残り、それが痒みを生み出しているに過ぎないため、その魔力さえ消せばすぐに治るとのことだった。
そして、コマルンを含めて虫型の魔物というのは身近でありながらも恐ろしい存在でもあるため、冒険者界隈では『剣を忘れても、虫除けは忘れるな』という格言がさえあるという。
「えぇ、そうです。こいつは無情のディックスなんて呼ばれていましてね。遠い国の貴族を手に掛けたとして有名ですよ。その後、こそこそと殺し屋なんてことをやっていたんでしょうね。これはあくまでも元冒険者としての知識や経験からの予想ですが、いつもは変装や偽名を使っていたと思います。王族に手を掛けた以上、逃げてさぁおしまいとはなりませんからね。現にこの辺りでさえ、賞金首として手配書も出回っていますし。人のいない森の中、更には絶対に勝てると思って調子に乗ったんでしょう。まぁ、そこでシャークマン……いや、ナギヒコ殿に瞬殺されたわけです」
「まぁ、これじゃあ、せっかくの賞金も駄目でしょうがね」
「……そうですねぇ。顔がここまで潰れている以上、残念ながらディックスだと証明する手段がありませんからね。身体に明確な特徴があったり、特定に繋がる所持品でもないと、なかなか……それも違う国ですし」
「ですよねぇ」
そんな会話をしながらナギヒコとエーゴは苦笑し合う。
しかし、今でこそ和やかに会話しているが、ナギヒコがディックスを倒した後、エーゴ達に視線を向けると、そこにあったのは恐怖の二文字だった。
それもそのはず、エーゴ達からしてみれば大型の獣に襲われていたら、上空から飛来した竜がそれを踏み潰したようなものだから仕方がないと言えるだろう。
更に言うのであれば、ヒーローを名乗るには無理がある言動と容赦のないパウンド。誰がどう見てもヒーロー対ヴィランというよりも、チンピラ同士の喧嘩に泥酔した全身青タイツの変質者が乱入してきたような状況だった。
「皆さん、俺は悪者じゃないので安心してください……シャーオフ」
エーゴ達の前で変質者が謎の呪文を唱えると、想像していたよりも遥かに年若い男の姿が現れたが、それはそれとして恐らく全身にとぐろを巻いている黒い炎の蛇が怖過ぎて、新たなる混乱を招いた。
『ブルース。完全に誤解されているよな?』
『誤解というか、単純に混乱しているのさ。殺し屋から守ってくれたものの、相手は全身タイツの変態。しかもそれを脱いだと思ったら、中から反社会的勢力の輩みたいなのが出てきたわけだし、感情がジェットコースターなっても仕方がないよ』
『俺の事情を説明しても問題ないか?』
『基本的には隠す必要ないよ。ただ、相手が権力者などの場合、厄介ごとに巻き込まれかねないから注意が必要だよ。後は地域によってはナギサを女神のように信仰している人達もいたりするから、良くも悪くも騒動になる可能性は考慮しておいてね』
『なるほどな。分かったよ、ありがとう』
ナギヒコはエーゴ達に自分の生い立ちとフリーベルにやって来た目的を話した。三人はブルースの声が聞こえないため、初めこそ疑わしい目を向けていたが、彼らにとっては異世界である地球の話について質疑応答を繰り返している内に、ナギヒコを信用できると判断したようだった。
答えられるものは淀みなく答え、知らないのは知らないと正直に答える。その真っ直ぐな対応も信憑性を増したのだろう。
「……それじゃあ、俺らはこれで。どうかお気を付けて」
エーゴが頭を下げると、それにビーレンとシーガルも続く。
「あいつを余裕で倒しちゃうなんて本当に半端なかったっす。ありがとうございました!」
「まさかあのナギサ・サメモリの子孫に助けて頂くなんて夢にも思いませんでした。このご恩は生涯忘れません。ありがとうございました」
それに対してナギヒコも笑いながら答える。
「こちらこそ、痒み止めの薬も助かりましたし、路銀と虫除けの薬も分けて頂いて有難いですよ。皆さん、どうかお元気で」
四人はそれぞれ握手した後、別れを告げた。
「なぁ、ブルース、ギルドがあるのはエーゴさん達がやって来たサイラムって街なんだよな? そこは結構近いのか?」
ナギヒコはエーゴ達から色々な情報を仕入れたが、特に冒険者として本格的な活動をするつもりはなく、あくまでも身分証明書と旅費稼ぎのためにギルドを目指していた。冒険者として活動するヒーローは何か違う気がする。そのようなこだわりがナギヒコには芽生えているためだ。
「ここからなら歩いて二時間くらいかな。」
「流石に結構な距離があるな。今日は疲れていないから良いけど、途中には何もないのか?」
「……少し迂回する形にはなるけれど、まぁ、一応……ここからサイラムとの間に村がある。というか、あったはずだよ」
ブルースは明確に他意を含んだ言い方をした。
「何だか気になる言い方だな。何か問題のある村なのか?」
「うーん……まぁ、正直なところ、マザー・シャークに関係した何かが起こっている可能性も考えるなら、立ち寄りたいという気持ちがあるのは嘘じゃない。当時は人口の多い村だったから、小さなギルドもあるはず。ただし、色々と妙な噂がある土地でね。平時には絶対に近付きたくはないって雰囲気だったよ」
「謎の因習、奇妙な村人達、消える冒険者、果たしてこの村には何が隠されているのだろうか……とかだったらなぁ」
オカルト好きには最高のシチュエーションを想像しながら、ナギヒコは心霊動画のナレーターのような
声音を真似しながら期待を言葉にする。
「…………それはないよ」
「何、今の間は……えっ、おいおい、マジかよ。本当にそんな感じなのか? えぇ、ちょっと、待って。どうしよう」
ナギヒコは不意を突かれて微かに動揺したブルースの表情を見逃さなかった。
「駄目だよ。君にはまだ早い。三千年経っているとはいえ、あそこは本当におかしい村だから。いつかは向かわざるを得ないけれど、もう少し心身ともに成長して強くなってからね」
「何を言ってんだよ! 因習村かもしてないんだぞ!? ホラーじゃん! 都市伝説じゃん! うわぁ、しかもファンタジーの世界だから、人怖だけじゃなく、これぞオカルトって感じの何かが出てくるかもしれんし! うわぁ、たまらん!」
「異世界にきて一番テンション上がった理由が因習村って何なの? 流石の僕もそこそこ引いてるよ」
「うるせぇ! お前には俺の気持ちなんて分からないでしょうね!」
「何か既視感あるね。あっ、ナギサの時代にしっとり解説動画で見た『謝罪会見でやらかした人・六選』の号泣議員さんか」
「本当は二次元の世界から飛び出してきたみたいな、めっちゃスタイルの良い美人なお姉さんとの出会いを期待していなかったわけじゃないんだよ! それが祠に落下して爺さんに怒鳴られて、トンチキ生物をボコったりボコられたりして、挙句の果てには全然知らんおっさんを殺すつもりじゃなかったのに殴り殺してんだよ! ぼ、僕は、こ、こんな力が欲しかったわけじゃない……とでも言ってろってか!? ああん!?」
「とりあえず、ものすごくストレスが溜まっていることだけは伝わったよ」
ブルースはそこで少し考えを巡らせる。
ナギヒコは精神が強いが、同時に不安定でもある。しかし、それは高い壁を前にした時に心が折れるという類の不安定さではなく、通常時がダイヤモンドで出来た球体のような心だとすると、それが突如として鋭利な刃に変わるような、暴力的な方向性でのブレだ。
更には今まで喧嘩したことすらなかった子供が持つにはあまりにも強大な力を手にしているため、感情が爆発した際に何かとてつもないことを仕出かすのではないかという心配もあった。
「……そういえば、ナギサにも似たようなところがあったね」
ブルースは小さく零した。ナギヒコの先祖であるナギサは、普段は逆風にも負けない強い心を持った清楚で麗しい乙女だったが、怒りの琴線に触れると信じられない程の感情の大爆発を起こす時があった。その最たるものは、縄で縛った貴族の馬鹿息子を馬に繋いで街中を引き摺り回した事件だ。後にテレビで西部劇を視聴していた際に同様の光景を目撃し、「あっ、これか」と思ったことはブルースにとっては記憶に新しい。それはさておき、ブルースとしては、突然家族や友人がいなくなり、孤独の中で歩むしかなくなった心情を思えば、そのような心の歪みが生まれるのも仕方がないと思っていたが、もしかしたら、ただの血筋の可能性もあるなと頭の中にメモを取った。
「まぁ、仕方がないね。分かったよ」
「良いのか!?」
「ただし、条件がある。僕が逃げろと言ったら、すぐに村から脱出すること。良いね?」
「分かった! ふぅ! 待ってろよ、因習村!」
ブルースは喜ぶナギヒコを呆れながら見つめる。その心中にあるのは、やはり神の介入による影響への懸念だ。
三千年前から不穏な噂があった因習村に、一日一度は介入してイベントを急かしてくる勢いのドパガキの神。
ブルースはまた面倒臭いことが起こりそうだと溜息を吐いた。




