祭野桜のブレーキ
桜は驚嘆していた。
まさかこれほど人の心を動かすだなんて。
確かに、山猫の歌声は凄い。それは決して恵まれた人のそれではなくて、悪い言い方をすれば弱者の叫び声だ。それは本当にトゲトゲしていて、それでいて心の隙間に入り込んで、内側から心をズタズタにするみたいだった。
傷つけるのが真骨頂で、そしてそれは効きすぎている。
気づいただけでも、五人ほどが暴れてこっちにやってこようとしていた。ニッポニアの捕虜を挑発するのは予定通りだ。伏線はずっと張っていて、あえて嫌われるような素振りをずっと山猫はしてくれていた。
仲間の捕虜と対立することは絶対必要だった。なぜならムオンの人々は、ニッポニア人をださい田舎者だと思っているから。ダサい田舎者が、たとえ仲間内で崇め奉られたところでそれを素直に認めることなんてできっこない。
一頭地を抜くには、ニッポニアの仲間とは完全対立していた方がいい。音マスは決して、ニッポニアの捕虜の一部であってはダメだ。ダサいから。
そうではなくて、音マスはそこからとき放たれた独立した概念になる必要があったのだ。
そういう意味で、桜がヴォーカルから降りるというのも必要な選択だった。桜がヴォーカルをやるのであれば、きっと音マスの楽曲はまったく別のものになっただろう。観客と一緒に一体感をもって盛り上がるような。
その計画は無事に進行し、前方のムオン共産党の面々にもある程度は利いてはいる。気がする。しかし、人の感情に鋭敏な桜であっても反応の少ない彼らにどれほど刺さったかは測りきれない。
一方で、ニッポニアの捕虜は本当に山猫の声が突き刺さっていた。彼女の一声一声に狂気し、乱武する。近くの仲間を跳ね除けてでも、山猫を引きずりおろさないと気が済まない。そんな人がこの教会に大量に生み出されていた。そのほとんどがなんとか理性を保つ仲間に止められてはいるものの、その均衡がどこまで保つかはわからない。
どころか、理性の側は時間を経るごとにどんどん劣勢になっているのが見てとれた。
これを作ったのは山猫だ。
山猫は、なんと凄いのだろう。
でも、凄すぎたらダメだ。この会場がグチャグチャになったら、目的に歌声が浸透するより先にライブ自体が中止されてしまう。
桜はバスドラムのタイミングをやや遅らせた。体に響く重低音は、タイミングが早ければ曲が走って聞こえるし、逆に遅ければややねっとりとして疾走感を殺すことができる。しかしその程度では観客の感情を止めることができない。
今度はスティックの打ち付ける力を強くして、すべての音量を一段あげた。山猫の声を、音を殺せれば感情は快方へ向かうかもしれない。が、これは始めた瞬間ダメだと悟る。山猫の発声がさらに強くなり、より感情的に観客の心に刺さり始める。そのうえ雲のバッキングさえ強くなり、冴えに冴えてすべてが心をえぐる一つの装置へと変質した。
ダメだ。この方法は完全に誤った。
強さに強さで対抗してはならない。それを止めるには、情緒的にいくのだ。
『飼い主の厄介』は歌詞のリフレインが多く、幸い合間の間奏が長い。フィルインに強弱をつけ、必死にドラムを感情豊かに叩いた。
しかし所詮は打楽器である。ビートを刻むことができたとしても、そこには音階もなく音色も限定的だ。こちらがいくら感情を込めようとも、山猫がそれを察知してヴォーカルの方向性を変えてくれなければ観客に伝わるものなど皆無だ。
——歌う?
桜の頭の中でそんな考えが過ぎる。一応マイクを体に結びつけ、スイッチさえ入れればいつでもサポートできる準備はしている。
しかし、それは計画の終了を意味する。確かに桜がバッキングボーカルとして入れば山猫の殺意を削ぐことはできるだろう。そうすれば、いま生まれ始めている暴動を抑えることができるし、ニッポニアの仲間がこの場で大勢殺されるような大惨事を防ぐことはできるかもしれない。
ただしそれは音マスの良さをすべて削ぐことになる。そうなってしまえば、計画は終わりだ。
今まさに、ニッポニアの誰かが誰かを殴って、一列でも前に出てこようと躍起になっている。もしそれが党幹部の護衛のところまで届けば、あるいは監察官のところまでだったとしても殺されることは免れない。
本来であれば彼女の強みを生かしながら、曲を別のところに着地させる必要がある。しかし、それは桜のドラムスでは、あるいはバッキングヴォーカルではできなかった。
もし、できるとすれば。
頭に過ぎるが、もう限界だ。誰かが誰かの顔面を殴り、殴り返そうと拳を振り上げた。
【お尻を拭いてもらうことに慣れすぎちゃった子犬ちゃん。餌が天から降ってくる】
山猫のリフレインを消し去るバッキングヴォーカルを。
もう、躊躇するな。




