開演
教会に少しずつ人が通される。
一人、また一人と増えていくごとに室内の気温が上がっていく。集まってくる奴隷は静かだ。それはもちろん、監察官に先導されているのだから騒ぐことなんてできない。ただし、奴隷の視線は私に突き刺さってきた。みんな私のことが嫌いだって顔に書いてある。
すごく孤独で、それもいいよね。
奴隷が一通り先導されると、今度は監察官が壁を作るように一につき、彼らに守られるように共産党の面々が姿を現した。彼らはとても背が高く精悍で活き活きとしていた。この場で彼らだけは雑談が許され、楽しげに話しながら最前列にやってきた。
人種が違うな、と思った。いや、エルフォイドだからとかそういう意味ではない。彼らは人生に疲弊しておらず、世界が自分のために回っており、自分が満足するためにすべてが存在しているのだと感じているような。なんて考えるのは卑屈すぎるだろうか。いずれにせよ、彼らはニッポニアの奴隷なんかゴミ以下としか思っちゃないだろう。
その中で、妙な人を見つけた。全体的にムオンの衣服は落ち着いた色合いが多い中で、一人ピンクの外套を纏う長髪の男がいる。なんだか顔の血色がよく、遠くからでもその顔がはっきりとわかった。ムオンは同調圧力が強い国だと聞いたことがある。まぁそれはニッポニアも同じだけど。その中で、一人だけ全然違う存在であることが許されている。
ああ、彼こそがネクタリオ=ハックツァーなんだ。共産党のナンバースリーで、ここに視察にきた張本人。今日は彼にどれほど刺さるかにすべてがかかっている。
最前列に陣取る人たちはほとんどが朗らかな表情を浮かべる中で、彼は少し浮かなそうだ。
「始まるわよ〜。準備はできてる?」
雲が言う。
「リズムは任せて!」
桜が元気に答えた。
「当たり前でしょ。このときを待ってたんだ」
すべての観客が礼拝堂の位置についた。何がきっかけというわけではないが、少しずつ雑談の音が小さくなって、そして瞬間水を打ったように静かになった。
雲がスイッチを操作し、舞台をスポットライトが照らす。
これでみんなから私が見やすくなったでしょ。からだ中に刺すような痛みが走る。いや、錯覚だけど。視線を感じて、息が止まりそうになる。
ここにいるのはみんな敵だ。
共産党員と監察官はムオン人だし、ニッポニアの奴隷仲間はみんな私を憎んでいた。ここは死地。でも私は、手に持ったマイクをみんなに一度掲げて見せた。
「ごめんね。今日も私が歌うよ」
この一言で、タガが外れた。
「ふざけんな!」「誰もお前なんて求めてねーよ」「お願いだよ。桜、歌ってよ」「悪夢だ」「山猫なんて敵だ。殺してやる」
それぞれがそれぞれの言葉をもって私を殺しにくる。みんな、必死だ。罵詈雑言と、微かな希望にすがる嘆きは台風みたいに徐々に勢力をまして、神聖な教会を汚言で埋め尽くした。
でも、たくさんの殺意でボルテージは上がっている。
誰かが「死ーね」とコールと手拍子を始めた。それは当然のように周りを巻き込んでどんどんと大きなうねりに育ってゆく。
「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」「死ーね」
恨みつらみ。負の結晶。
負け犬の鳴き声が私を殺そうとする。しかし、そのコールに溶け込む音がある。それは重低音の体をふるわす音で、きっとコールをしている人たちは自分の声が大きくなったと錯覚するだろう。
バスドラムだ。
その音はごく小さな音から始まって、そして徐々に大きくなってコールを飲み込んだ。いつの間にかコールは音に負け始めた。その瞬間を見計らってととととたたたたぱん、とオーソドックスなフィルインが決まると、みんな今まで何をしていたのかさえ忘れたかのようにコールが止まった。
凄い。
桜が、観客を掌握して見せた。静かになった教会は本来の厳かさを取り戻しつつあり、やっと私は二言目を喋ることができた。
「最高のいつもを君に」
タイトルコールして、静まり返った教会に雲のギターソロが走り出した。その細かなアルペジオは少なくとも興味を引くには十分で、観客の息を飲む音さえ伝わってくるようだ。『邪魔したい』を微かに上回る『聴きたい』という想いにつけ込み、何もない空間へ雲の音が自由の絵を描く。
それを桜のパーカッションが支える。エイトビートに輪郭を付けられた雲の旋律は、さながら額に飾られて高級になったみたいだ。
ここにいる奴隷の誰もが憧れる雲と。
等身大のみんなの仲間である桜。
その二人が生み出す、ミステリアスでよく知らない異国の音楽。つまりは生まれる、微かな希望。
それを私のベースで叩き壊す。
耳障りのいい最高の盛り上がりのところを、タッピングの雑音で削る。削る。削る。
ちゃんと聴かせてよ。
二人の音が聴きたいんだ。
そんなことをさせてたまるか。最高のメロディーはベースの邪魔のせいでとんでもない駄音へと変化していた。
「ふざけるな」「ベースを止めろ」「どうしてあなたはそこにいるの⁉︎」
しかし観客の悲鳴は、アンプとスピーカーに繋がれた私たちの音に勝てはしない。
だから。
私の声だってはっきりと届くんだ。
【毎日つまらないと思ってるでしょ?】
私が歌い始めると、その声をかき消そうとたくさんの声が襲いかかった。さながら暴動だけど、それでも拡張された私の声に届かないね。いま声を出したって無駄なんだから、少しは黙って聴けばいいのに。ここで声を出せるくらいの、毛ほどの行動力があるなら別のことに使えばいいのに。
本当にみんなわかってないんだろうな。戦争だとか敗戦だとか言い訳しているだろうけど。いまこの瞬間のあんたの感情は、あんた自身が作り出してるんだ。
【同じことの繰り返しで、飽きちゃってしょうがないもんね。いつからだったかわかんないけど、何も探さなくなったしね。新しいことなんて一つも。新しいことなんて一つも】
私はベースの手を休め、雲にギターに間奏を任せた。私の声をかき消そうとする暴徒だって、雲のギターは聴きたいらしくてなんだか声がでないみたいだ。
わかるよ。そこに神聖があるから。まだ縋れると思ってるんだよあんたらは。それが蜘蛛の系にみえるんでしょ?
【石積みが上手くなってもさ。それで喜ぶの嫌いな奴が。最高の皮肉と今生の終戦で。おまえは傀儡としての新たな生を受けたんだ】
聴衆たちの心が逆立っているのがわかる。でもあんたがいま苛立っているのは私のせいじゃない。あんた自身だ。自分が奴隷だなんて、今になったって認めたくないんだよ。
でも、きっと。
きっとそれは奴隷だけじゃない。同じようなことの続く、選べない日々を課せられてるのは、あんただってそうでしょう。
ネクタリオ=ハックツァー。
書記長の息子だからという理由で、いいポジションに置かれてさ。立つべくして立たされた場所は、おまえの選んだ場所じゃないでしょ。
【繰り返せよ使命なんだ】
自分じゃない誰かの想いで置かれた場所に価値を見出す自慰してさ。
【繰り返せよ価値の浪費を】
それもいい人生だったとか、老後に思い返す想像しながら今の不満から目をそらすんだ。
【繰り返せよ摩耗していく運命に感謝しながら】
そして、それは決して悪いことじゃない。いいじゃないか、そんなつまらない人生が自分に最高に似合うっていうのなら。
【同じ明日がやってくる喜びをその魂に刻め】
色とりどりな雲のアウトロは、聴衆がその音楽を噛み締める時間を作る。
あれだけ反発していた聴衆に、少しながら私たちの毒が染み込んでいるのがわかる。確かにまだ必死に、私を殺そうと声を上げているやつもいるが、しょげかえっているのか何も声がでなくなっているやつが大半だ。
一曲目が終了し、私たちの曲が確かにこの場のみんなに通じているのを感じる。
最前列の偉そうな奴らにはどうだろう。
難しそうな表情を浮かべながらこっちを見るそいつらは、いま何を感じているのだろう。
「今日はここにお越しくださりありがとうございました。ニッポニアの奴隷が、どれほど力強いかわかっていただけていると思います。あまり時間がないので二曲目を。『飼い主の厄介』」
16ビートで刻まれる桜が生み出すリズムは、その連続が続くごとに酔うみたいだ。それは正確なハイハットに対してバスドラムがやや遅く、体に気持ちの良い感触がやってこないから。そのビートに、雲がまたしてもふらついたメロディーを乗っける。
酩酊の歩みのその音は、これから歌う私だって不安にさせる。さぁ、みんな聞く準備ができたかな?
私は囁くように歌詞を呟いた。
【お尻を拭いてもらうことに慣れすぎちゃった子犬ちゃん。餌が天から降ってくる】
虹色に揺れる地面に立って、せりあがるものを感じながら言葉を呟く。
【お尻を拭いてもらうことに慣れすぎちゃった子犬ちゃん。餌が天から降ってくる】
雲のギターが揺れる。
雲はその不安定な音を百発百中で出す。一体どんな技術がそこにあるのかはわからないが、しかし彼女が安定して不安定な音を出してくれるから、私はそこにただただ打楽器みたいにベースをぶつければいいんだ。
叩かなきゃ、わからないから。みんなの頭なんて、カチ割れればいい。
【お尻を拭いてもらうことに慣れすぎちゃった子犬ちゃん。餌が天から降ってくる】
私は必死にベースを叩く。
でも酔っ払った雲のギターが湖みたいに私の音をいなした。なんでも取り込んでさらに大きくなるその音はそれこそ雲みたい。
揺れる音に紛れるように、またしても奴隷たちの罵声が聞こえ始める。何が気に入らないのか、ってもちろん私だろうけど。死ね、とか、消えろ、とかレベルの低い単語を並べて私を傷つけようと頑張っている。
【お尻を拭いてもらうことに慣れすぎちゃった子犬ちゃん。餌が天から降ってくる】
最前列の来賓様は何を考えているかわからない。
せっかくだから自分ごとにしたらいいのに。怒りのままに怒鳴りつけてくる奴隷の方が人生を楽しんでるかもよ?
声を出したり体を動かしたりしたら、もっと楽しいんだからさ。そのスカした態度が頭にくるみたいだった。自分の声が大きくなるのを感じる。
【お尻を拭いてもらうことに慣れすぎちゃった子犬ちゃん。餌が天から降ってくる】
もっと強く叩く。
もっと強く叩く。
強く叩けば叩くほど、尻尾をふって喜ぶんでしょ?
聞こえる怒声。あるいは涙声も混じっている。やめろという命令と、やめてという懇願が交錯して感情を超えた悲鳴を必死に届かせようとみんなが頑張っている。それをかき消すかのように私たちは力強い演奏を続ける。なんと濃密なコミュニケーション。
もっと頑張ってって、私は思うよ。そうやって頑張ることがなかった結果が今だもんね。
不釣り合いな熱気に支配された教会で、誰かが興奮して乱闘している。奴隷と監察官かなと思ったけれど、奴隷と奴隷が小競り合ってるみたいだった。
蜘蛛の糸をたぐる人と、見当違いの行動を起こす人の対立はなにも産まないと思うよ。
殺伐とした教会だったとしても、前列には落ち着いた偉い人たち。でもあんたたちだって、本当にやりたいことをやっているの? 自分の意思でそこにいるの?
衣食住満たされてさ、何かから目をそらしているんじゃないの?
もしそうならさ。
そうであれば。
別の一歩を踏み出したっていいじゃないか。そうは思わない?




