本番三ヶ月前
音楽室マスターズから、どうやらチョコは完全に抜けてしまったらしい。あの日以来チョコが音楽室に顔を出すことは一切無くなってしまった。
それでも私たちは止まるわけには行かなかった。一度彼女のキーボードを聞いてしまえば、同じレベルのプレーヤーを今から探すなんて考えられないし、もしいたとしても私はチョコが良かった。だってチョコは、懲罰房でどん底だった私を、リスクを犯して助けてくれた友達だ。雲は以前言っていたじゃん。音マスに誘う基準は、私の友達かどうかだって。
練習が終わって音楽室から出たところで、私は待ち構えていた手毬に尋ねられた。
「ねぇ、最近桜歌ってなくない?」
その日桜は労働だったから、練習していたのは私と雲だけだった。
「今日は練習きてないし」
「いやそうじゃなくて、いる日だって歌ってないじゃん。どうしたの? 喉でも痛めた?」
待ち構えていたのは手毬だけじゃなかった。他の医療部隊のメンバーもそうだし、怪我か病気か、あるいはいい感じの裁量でここにきている捕虜もいた。
黙っておけることでもないので、私は正直に話す。
「実は、ボーカルを降りて貰ったんだ」
「はぁ?」
その声は、早速怒りに震えていた。
「降りて貰った? 桜に? ぜんぜん意味わかんないんだけど」
それはまぁ、そうかもしれない。
手毬は特に、桜の演奏を生で見たことがあるのだし。他のみんなにしたって桜のファンだから、こんな話は簡単に受け入れられないだろう。
「でも、そういうことだから」
「代わりに聞こえるのがあんたの声なんだけど」
「うん。私がヴォーカルになったの」
「ふざけんなよ」
彼女は私の襟首を掴んだ。その怒りが、あまりにも理解できた。
「私たちの命がかかってんだ。桜のヴォーカルならさ、私たちにも希望があるって思ったのに。おまえの汚ねー声で、私たちの希望を! 何の権利があってそんなことを」
「ごめんね。私がリーダーなんだ。音マスの。だからリーダーの権限で、誰が歌うか決めるの」
何も言えなくなってしまった手毬は雲の方に視線をやった。
視線が訴えていた。リーダーは雲でしょ? なんとか言ってよ。しかし雲はそれに取り合わず、掴みどころない笑みを浮かべていた。
ほら、雲は何も言いやしない。このグループを引っ張っていくのは、私なんだ。
だから、言ってやる。
「部外者は黙ってろ」
次の瞬間、手毬が手をあげた。ただしその手は雲に絡め取られ、次の瞬間手毬は組み伏せられてしまった。雲は一瞬で手毬が暴挙に出たのを察知して、私を庇ってくれた。
あの雲が。
珍しい。
殴らせておけば良かったのに。なんで私を助けたんだろ。雲は自分勝手な人で、そんな人助けは似合わない。そう思ったのはきっと私だけじゃない。そこにいた他のギャラリーだってきっとそう思ったはずだ。だって御久遠寺雲は、近づいちゃいけない人だから。
驚くみんなに説明するみたいに、雲は言った。
「リーダーがね、やれって」
「言ってねぇよ」
なんで私が指示したことになってるんだ。
「まさか雲さんまで籠絡されたの⁉︎」「酷すぎる! 私たちの希望は完全に断たれたんだわ」「うわああああ、もうお終いだぁ」
みんなの嘆きは、それなりに私の心を抉りはする。そりゃ、そんなにヘイトを向けられれば傷つくよね。でも、それが必要なんだ。私が何かを成し遂げるとき。それは誰かを踏み躙るときだ。
組み伏せられたままの手毬が恨みがましい目で私を見つめている。そして甘えた呪詛を彼女は呟く。
「私たちの希望を……私物化するの?」
「自分の希望を他人に渡すの? それで願いが叶うと思うの?」
そんなことは、起こらない。
何か希望があるのであれば。強い思いがあるのであれば。自分で立たなきゃならないんだ。
「……もういいよ」
手毬は雲を押しのけ立ち上がると、諦観のように下を向いた。
「ところで最近、あの小さい監察官が私たちのところにきてうるさいんだけど」
小さい監察官?
チョコだろうか。
「ああしろこうしろって、私たちの舞踊に口出ししてくるの、うるさいったらないわ。やめてって言っといて」
それは手毬からすればちょとした発言だったかもしれない。でもなぜか、私の胸はズンと重くなった。なんでチョコが手毬たちのところに? 手毬たちも確か、余興で舞踊を見せるのだったはずだ。チョコはまさか、そっちに入ってしまうのだろうか。
なんだか裏切られたような気がした。
なんなら先に裏切ったのはこっちなのに。
手毬は部屋から出て行った。
雲を見る。彼女はふわふわと笑っている。
「味方を作るのが下手ね!」
「はぁ? 雲に言われたくないんだけど。そもそも、中途半端な味方っていると思う?」
雲の表情が真顔になった。私はもう知っている。それは彼女の本当の笑顔だ。
「いらない」
そうだ。そんな仲間は必要ない。
だって私の目的は。
でもチョコは。チョコは少なくとも私にとって、いまだに友達だと思ってるけど。




