チョコ=ヴィッテの決断
食事中のことだ。
「ダメだな、あいつは霞でも食ってるんだ。ぜんぜん衰弱しやしない。もういいだろ」
「いや、単純に誰か飯を与えてるやつがいるんでしょ。その裏切り者を見つけて殺すのが先かもね」
「……それもそうだな」
ビーツたちの話の中で、自分に矛先が向いたのがわかる。悠長にしていたら本当に自分が殺されかねないとチョコは思った。監察官は仲間ではないから。同じムオン国民だったとしても、法を守れない犯罪者たちだ。
「それって山田山猫の話だよね?」
チョコが話に入る。
「なんだチョコ。珍しいじゃないか、こんな話に入ってくるだなんて」
「別に」
ビーツはジロジロとチョコの顔を睨め回した。
「……なにか思うところでもあったのか? 例えば、山猫に餌を与えているやつに心当たりがあるとか、あるいはそれが誰かを知っているとか」
などと言いながら、ビーツは答えがわかっていると言わんばかりだ。
チョコが黙っていると、ビーツはチョコの髪の毛をつかみ、頭がぐらりと揺れた。
「行こうか」
そうやって訪れたのは懲罰房だった。
その檻の中にはうずくまった山猫が入っている。
鍵を開け、山猫に出るように促した。山猫はソンビのように檻からのっそりと出てきて、立ち上がる。しかし立ち上がったその姿勢は、明らかにおかしい。
「おい、なんでお前はそんなに背筋がまっすぐなんだ……?」
一ヶ月以上も背を丸めないと収まらない檻の中からやっと出てきたのだ。そもそも立ち上がるのもやっとのはずで、筋力を感じるその姿勢は本来であればありえない。
「……なるほど。つまり食事だけじゃなく、夜な夜なおまえを出していた奴がいたってことだ。なぁ、山猫。それはさ」
そしてチョコの背中が押された。ドタドタと、一歩前へ出る。
「こいつか?」
しかし山猫は何も答えなかった。そんな彼女に、ビーツはにんじんをぶら下げる。
「もし正直に話せばいますぐ懲罰は終了だ。今後は今まで通り医療部隊としてここで過ごせばいい。でももし嘘がわかるようなことがあれば、おまえはもう一度懲罰房だ。さぁ、話してみるといい」
それはもはや取引でさえない。
ニッポニアとムオンは敵で、チョコを引き渡すことに躊躇う理由も山猫にはない。
ただし、正直に答えたとしても山猫が助かることはないだろう。答えた後に約束を反故にして山猫を処分するだけの話だ。
「どうした……庇ってもいいことはないぞ?」
ビーツがそう言って笑う。山猫はなかなか答えはしない。これから話すことに関して少しくらいは良心の呵責を感じているのかもしれない。下を向き、肩を揺らしている。泣いているのだろうか。
「おい、早くしないと——」
「ふふふ、はっはっは」
違った。山猫は、笑っていた。
何を笑っているんだ。ビーツは山猫に近寄り、頬を思い切り殴った。
山猫の頭が揺れた。しかし再び頭を元に戻し、そしてビーツを見ていた。
「わかった気がするよ」
「なんだ、言う気になったのか?」
「みんなそうしなきゃ生きていけなかったんだ。選んでるんじゃなくて、一本道に縛られててさ」
「……何をいってる」
「自分でそうしたつもりになってるんだよね。
殴ったと思ったでしょ?
殴らされているんだよ。
殺したと思ったでしょ?
殺さされているんだよ。
どいつもこいつも自分の意思のない植物で、神に祈って毎日をやり過ごしてるんだ。
助けてください、助けてください、助けてくださいってさ」
ビーツは再び山猫を殴った。
しかし山猫は言葉を止めない。
「ほらまただ。
殴らされてるんだよ。
監察官が奴隷ごときに。
でもしょうがないよね頭が働かないんだから。
でもしょうがないよね頭が働かないようにされてるんだから。
毎日偽物の神に祈らされてさ、反省してますって刷り込まれてさ。
自分の正義を貫けないから、他人の悪事が許せないんだ。
まずやれよ。
自分が正しいと思ったことを。
その結果を受け入れてみれば。
案外地獄は楽しいかもよ?」
すべてが、間違っている。
あまりにも全部が正しくなかった。
まずはビーツたちが正しくない。雲を痛めつけるために山猫にあたるだなんて、目的に対して手段が倒錯しすぎている。
次に雲が正しくない。毒入り酒を渡されたところで、自分がムオンの監察官を殺すわけがない。あまりにも自分を低く見積もっており、腹がたつ。
そして山猫も正しくない。山猫はこの件に関しては被害者で、彼女自身になんの落ち度もない。一月以上そんな場所に入れられて頭がおかしくなったのを差し引いても、その呪詛はなんの意味もないどころか、自分を死に近づけるだけだとどうしてわからないのだろう。
そして最後に自分自身が正しくなかった。なぜならいまチョコは、何が正しいのかさえどうでもいいと思い始めていたからだ。
「お望み通り、この場で殺してやるよ」
再び振り上げたビーツの右腕。
チョコはその右腕に向かって。
スタップドガンの引き金を引いた。
ぱあんと破裂音が耳を貫き。
反動に負けないようチョコは下半身に力を込めた。
弾丸は見事その右腕に命中し、直後に「ぎやああ」というビーツの悲鳴が響いた。他の二人の監察官は何が起こったか理解できず、なんだなんだと無能の鳴き声を上げた。
ビーツの視線がチョコと合った。
ビーツは驚愕の表情を浮かべて呟いた。
「チョコおまえ、なんでそんなもんを——」
「ビーツ=クバルニア。ムオン憲章第二十五条『戦争における捕虜の保護規定』に抵触する行為を確認したため、おまえを拘束する」
口をパクパクさせるビーツに対して、あるいは仲間の監察官二人に対して言ってやる。
「ムオン共産党内務局秘密警察特別捜査官、チョコ=ヴィッテだ。この件に関して口外すれば、相応の罰があることもまた心に留めておけ」
ニッポニア人を助けるために、ムオン人を傷つけるなんてまったく正しくはない。この程度の暴力など、特段流したって大した問題にはならない。ムオンの脅威たりえない犯罪行為をいちいち取り締まっていたら刑務所がパンクしてしまう。
必要のない正義だなんて、ムオンに対する冒涜だ。
じゃあなぜそれをやったのか。
その先に、楽しい地獄が待っていそうな気がしたから。




