祭野桜の作戦
手毬は雲の宝物庫で酒瓶を発見したらしい。
その酒瓶を、手毬は倉庫近くの雪の中に隠したそうだ。本来倉庫から出る際に中のものは持ち出し禁止だが、作業後に倉庫から本棟にみんなで移ったあとに『忘れ物をした』と鍵を借りて一人戻って、倉庫の外に隠す。こうすることで、鍵がなくてもいつでもそれを取りにいけるとのことだった。
倉庫の中で、どうやら手毬とその仲間、雲と山猫は別行動らしい。その酒瓶にはすでに毒物が仕込まれている。
ところでアルコールは、ムオンにおいて禁止された薬物だ。監察官たちは普段酒を飲むことはできない。だからこそそれがとても素晴らしいものだという幻想を抱いている。手毬は以前、ビーツが雲に酒を工面してくれないか頼んでいる現場を見たことがあった。そのとき雲は曖昧に断っていた。
手毬は、自分からビーツに自分ならすぐに差し出せると申し出た。すると、ビーツは酒を飲みたい者が大勢いるから、この日に持ち出して欲しいと手毬に提案した。
あとはそこに、毒入り酒瓶を持っていけば任務完了である。
この任務の大半は準備で、それはすでに終わっている。もっとも難しい作業は実際に酒瓶を監察官たちのところに持っていき、そしてなるべく同時に酒に口をつけさせることだ。
うまくいかず、例えば一人だけ口をつけてしまえばその人物を殺すことはできるだろう。しかし、それでは苦しむ一人のせいで毒が露見してしまい、その段階で捕まって殺されてしまうに違いない。
「本当に、あなたがお酒を持っていくの?」
手毬は心配そうに尋ねた。
「ふふふ、ウチは軍人だからね。きっと役に立てると思う」
もし一人二人残っていても、桜であれば戦うこともできる。
「じゃあ、任せるわ。……あの、本当にありがとう」
「ううん」
「でも桜、みんないっぺんに酒を飲ませる作戦はちゃんとあるんでしょうね」
「そこは大丈夫。安心して待っていて欲しい」
手毬は頷いた。
手毬が酒瓶を隠してから三日が過ぎた頃、手毬にビーツから連絡があった。
その日の深夜に酒盛りをする。そこには二十人ほどの監察官が集まるのだが、所長などには絶対にばれてはいけないのでこっそり持ってきて欲しい。場所は、監察官の生活棟近くの納屋で行うので、そこに持ってきて欲しいとのことだ。
その日も滞りなく奴隷仕事を終え、いよいよ深夜がやってくる。
ところで、捕虜の集団房には鍵がかけられているので通常脱出することはできない。しかし、監察官は普段から鍵をかけ忘れることもあった。別に忘れたところで、酷寒の半島であるこの場所から逃げることなどできないからだ。そしてこの日は、あえて鍵をかけ忘れる約束になっていた。
皆が寝静まったころ、桜は立ち上がり集団房を出た。少し遅れて、手毬たちも出てくることになっていた。実行するのは桜だが、手毬たちも陰から見ているとのことだ。
夜の半島はマイナス20度を下回る。木編み靴はぜんぜん防寒してくれないし、共用の外套は臭くてボロボロだ。ただし、満点の星空は現実のものとは思えないほど美しかった。工場地帯ばかりで空気が澱んでいたニッポニアと比べ、ムオンの空気は透明だ。ムオンになんて来たくはなかったなかったが、この景色を見られたことだけは本当に良かった。
手毬に案内され、倉庫の近くの酒瓶を手に入れた。三本ほどあり、どれも開けた形跡はないので注射器でも使って入れたのかもしれない。
私たちは急いで監察官が集まる納屋に向かう。その納屋は薪を貯めておくために普段は使われているらしかった。
「任せたわよ」
手毬が私の手を握った。私は頷いて、酒瓶を持ち納屋をノックした。
ドアが開き、ビーツが顔を出した。
「待ちくたびれたぞ。んん、手毬じゃないのか」
「す、すみません! 代わりに来ました!」
納屋の中を覗くと、二十人ほどの監察官の姿が見えた。ムオンで飲酒は法律違反だし、もっというと宗教的にも飲めないはずだった。それなのに、随分とまぁ不良が集まったものである。
「……まぁいい。それが酒だな。早く渡せ」
「あ、せっかくなのでお酌をさせてください! ウチ、こう見えて酒所出身なのでお酒に詳しいんですよ!」
詳しいからなんだというのだという気がしたが、ビーツは疑うことをしなかった。
「そうか、じゃあせっかくだから注いでもらおう」
中は火が炊いてあり暖かかった。火を取り囲むようにたくさんの監察官がいたので、桜は少し萎縮してしまうが、なんとか自分を奮い立たせた。
三本の酒瓶の蓋がコルクだったためどうやって開けようか悩んでしまったが「ほい」と小さなフォークを投げ渡された。桜はそれを刺して、ゆっくり回しながら引き抜いた。すると、瓶からアルコールの蒸発臭がぷうんと漂った。
「ほら、注ぎな」
「すぐには飲まないでくださいね。乾杯して飲みましょう」
とは言いつつも、もしこれを注いで誰かが飲み始めてしまえばその時点で作戦失敗である。桜は酒瓶を傾けかけたが、やめた。
「おい、どうした?」
「……ところで知っていますか? お酒はとっても匂いの強い飲み物です」
「なんだ、いいから早くしろ」
監察官たちの苛立ちが伝わるが、桜は引かない。
「お酒は匂いも味も強いので、混ぜ物をしてもよくわかりません。そのため、混ぜ物をされることが多いのです」
「何言ってるんだ?」「早く飲みたい」「奴隷風情が、さっさと注げよ」
「ニッポニアでは、目上の方に献上するお酒の場合、絶対に毒味をしなければなりません。これは倉庫にあったお酒ですが、しかし出どころ不明です。おおっと、近づかないで。もし毒が入っていたら、蒸発して気化したお酒に乗ってあなたの鼻に毒が届きますよ」
うまく行った。
監察官たちが微かに動揺の色を浮かべたのがわかったからだ。これで、誰かが毒味をしなければならないことが十分伝わったのだと桜は確信した。
もうあとは。
これを桜が飲むだけ。
桜はムオン人を毒殺なんてしたくなかった。これで桜が死んで毒が入っていたことが伝われば、ムオン人が死ぬことはないだろう。
ニッポニアの仲間が疑われて殺されるのもなんとしても避けなきゃいけなかった。桜自身が命を張って毒味をして死んだとなれば、まさか仲間が毒を入れたと疑われることはないだろう。
自分はきっと、死ぬ。
でもそれが、一番いいのだ。




