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第8話 僥倖 X 必然

 「流司さん」


 翼はどうしたらいいか解らず、その場で硬直していた。


 「お騒がせしました。翼君、稽古に戻ろう」


 蜷川に一礼し、翼を促すと、取り繕うように、倉田がその重い空気を振り払うため、


 「いやー、若いっていいなぁ、シャア曰く、『若さ故の過ちか』ってねぇー、はっはっは」


 無理矢理にでもおちゃらけて、


 「さぁ、皆さん、稽古ですよ、け・い・こ♪」


 パンパンと、軽快に手を叩くと、周りのスタッフも、ここぞとばかりに作業に戻っていく。


 「相変わらずだな、君も」


 そう言って、蜷川は席に戻ると、稽古は再開された。


 流司の心は平穏であった。


 蜷川に言われなくても、それは解っていたことだ。


 しかし、こんな自分の為に、本気で怒ってくれる翼のためにも、今日限りであろうとも、この代役をやり遂げようと心に決めた。


 舞台のクライマックスの場面で、そんな流司の身に、唐突に、奇跡が起きた。


 主人公が強敵を前に、自分の意志を、周りの仲間に吐き出す場面で、流司は言い知れない感覚を味わっていた。


 それは、演じるキャラクターの設定を論理的に理解するのとは違う、もっと根源的な、まさに、生身の人間が自分と同化する、究極の境地へと流司を誘った。


 そう、流司に授かった魔法の能力『羨望と同調』は、見るもの全てを魅了し、尚且つ、現実、架空を問わず、あらゆるキャラクターとシンクロするというマルチスキルは、演じる者に取って、まさに、最強の組み合わせであった。


 「!」


 思わず椅子から立ち上がり、蜷川は声にならない声を上げていた。


 それほどだった。


 魔法の能力と、それを下支えする、流司の基礎演技力がミックスすることで、誰も見たことない、大袈裟に言えば、その舞台の世界へ引きずり込ませる圧倒的な感覚を、その場にいた全ての人間に共感させていた。


 「ば、化けやがった!」


 倉田はワナワナと、武者震いしながら、流司の演技を見ていた。


 どんなに演技が下手な役者と罵られた素材であっても、突如、その才能を開花する瞬間がある。


 そんなチャンスが一生訪れず、消えてく役者はごまんといるなか、流司の変貌振りに、自分の目は間違っていなかったと、倉田はその演技を永遠に見ていたいと思った。


 とうの本人は、その感覚に困惑しながらも、見事に台詞を言い終わると、周りの役者達は圧倒され、その場でフリーズしていた。


 「あ、あの、次、翼君の台詞だよ」


 と言って、流司は台本で次の順番の翼に声を掛けると、


 「え、あ、あ……」


 翼は自分の感情が溢れ出し、大粒の涙を流していた。


 蜷川は凄い勢いでステージまで駆け寄ると、


 「そ、それだよ!何で今まで出さなかったんだ!」


 鼻息荒く、普段は感情を表に出さない蜷川が、顔を真っ赤にして、流司の肩を叩いて最上級の賛辞を贈った。


 「え?」


 自分でも、経験のない感覚に困惑しながらも、それだけで、なぜ、蜷川が自分をこんなに褒めるのかは、正直、解らなかった。


 それは無理もない。


 同調の能力は、自分にも自覚があり、認知することが出来たが、羨望の能力は、自分からは一切気付けない、外的なスキルだった。


 キャスト、スタッフ一同が、流司の演技に心酔し、憧れの対象として見ている。


 その眼差しを、鈍感な迄に知り得ない流司は、やけに視線を感じるな、と思う程度だった。


 「……私は決めたぞ」


 蜷川が目を見開いて、


 「主役には、この霜月流司君に演じてもらう、配役変更だ!」

 「!」


 舞台関係者が一同に驚きながらも、異論など、出る余地はなかった。


 満場一致の拍手で、流司の主役抜擢を讃えるなか、流司本人はその一言に面食らい、その場で停止していた。


 (ぼ、僕が……主役?え?)


 呆然と立ち尽くす流司の背中を、勢いよく叩き、武史が、


 「やりやがったな、この野郎!」


 自分のことのように、喜んでいる武史の顔を見て、これはタチの悪いドッキリでも、白昼夢でもないことが、ようやく解った。


 そして、泡立つような高揚感が身体に押し寄せてきた。


 それからの動きは速かった。


 宣伝ポスターの仮撮りをキャンセルし、主役の変更を、公式ホームページで告知すると、それまで、主役と決まっていた、俳優のご贔屓の女性ファンから、数千を超える苦情のメールや、電話が事務所に鳴り響いたが、スタッフは根気強く対応した。


 事前にチケットが抽選、販売された後の異例の変更に、転売でひと儲けを狙った、テンバイヤーの怒りは凄まじく、一歩間違えれば、警察沙汰になる案件もあったほどだ。


 しかし、メインキャストの翼が、自身のSNSで、


 『みんな、心配しないで。この舞台に一緒に戦うことになった、霜月流司さんの演技を見れば、絶対、後悔しない。絶対だよ!』


 このコメントが投稿されると、それまで険悪な雰囲気だった当選者は、それなら見てやろうじゃないかと、主役に打って変わった流司を、品定めしてやろうと、そのベクトルが変わっていった。


 舞台当日、異様な雰囲気で殺気立った女性客、特に、前主役の推しの女性達が、少しでも間違えようものなら、舞台をボイコットしようと、Twitterで呼び掛けていることが解ると、興行主が、警備員を配置しようと持ち掛けるなか、蜷川が、


 「その心配はありません。そのような人間を周囲に置くことで、舞台の世界を壊したくありませんから、大丈夫、絶対です!」


 と言って説得した。


 舞台の幕が上がり、流司が登場した瞬間、飲み物を投げようとした女性の手は、止まった。


 その圧倒的な迄の演技力、それ以上に、自身の心を鷲掴みにする、流司演じるキャラクターに、一瞬にして恋に落ちてしまったからだ。


 ザワついていた雑音は、悲鳴のような、黄色い声援に変わっていった。


 主人公以外の、キャラクターを推すファン達も、その演技に酔いしれると、顔は紅潮し、視線は、流司一人に向けられると、ため息のような甘い声を上げていた。

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