第4話 観測者の憂い
◆◇スティーブ・F・バーゼル◆◇
西暦2XXX年X月X日 某所
一人の青年がパソコンのような機器を見ながら頷いていた。
「所長、資料の整理ですか?」
青年よりも年上らしい女性が、所長、スティーブに向かって微笑みながら尋ねた。
「サーシャ君か」
空中に浮いた椅子が回転すると、スティーブが振り返り、
「これは、あの聖女の記録ですね」
「ああ」
サーシャはディスプレイに浮かび上がったフォログラフィーを見ながら、
「この画像は、覚醒当初の彼女ですか?可愛いですね」
「これからの彼女を思うと、ね」
「……」
この時代に於いても、逸話として語り継がれるほどの有名人である、アリスの一生は、数ある童話の中でも、一番の人気であったが、それは、子供向けに編纂された、一部の美談を纏めた物であり、本質的な出来事を知る者は一握りの知識層、その中でも、スティーブが管轄するラボと上層部以外には、決して公開されていない秘匿事項であった。
「所長、この男性はもしかして」
「ああ、この時代に、希代の黒魔術師として覚醒した人物『フォーエンハイム・ウル・ラスタ』だよ」
「風格がありますね、この当時から」
「そうだね」
スティーブは、フォーエンハイムの人相を確認すると、
「この男の登場で、後の人類が被った影響を考えると……」
「寒気がしますね」
「ああ」
椅子に凭れ掛かると、固かったゼラチン状の背もたれは、グニャンと柔らかくなり、スティーブの身体を優しく包み込んだ。
「時間干渉が出来ない案件なんですよね?納得が出来ませんけど」
「そう言わない、サーシャ君」
スティーブは苦笑いすると、
「僕達が干渉出来るのは、あくまで低レベルの覚醒者の矯正アクセスのみ。それ以外は管理者権限の実権を握る、あの方たちの領域なのさ」
「ですが!」
納得が行かない様子のサーシャに、
「すまないね、非力な上司で」
椅子から立ち上がり、深々と一礼すると、
「や、やめて下さい、所長!」
大慌てでサーシャはアタフタとしながら、スティーブに顔を上げるように懇願した。
「ふふ、冗談だよ、サーシャ君」
と言って、顔を上げたスティーブは笑いを堪えるのに必死だった。
その表情を見て、サーシャは、一気に怒りのボルテージが上がり、
「こ、このガキャー!」
立場上、普段は敬語を使うサーシャであったが、時折見せる、スティーブの悪ふざけには、普段は平静を装って、お淑やかにしているサーシャを烈火の如く怒らせた。
そんな自覚がない本人は、特に悪びれず、定期的に雷を落とされる結果がお約束となっていた。
「い、痛い!痛いよー」
椅子から転げ落とされ、床でサブミッションを決められると、
「まいったか、あん?」
「参りました、折れちゃうよー」
ハァハァと、涙目になっているスティーブを見て、サーシャはフンっと一呼吸すると、関節技を解いた。
「あー痛かったなー、もう」
「所長が悪いんですよ」
一頻り取っ組み合いを終えると、
「もう、汗かいちゃった」
スティーブが指のリングを触ると、四角いロボットがスーッと現れ、パカッと音がすると、冷たい飲み物が入った容器を吐き出した。
「ノ、ノメ、バカ……マスター」
ロボットにしては、人を小馬鹿にしたような態度を取るが、スティーブはお構いなしに、
「ありがとね、ロック」
「相変わらずですね、所長」
「え、何が?」
「ロボット相手に感謝する必要、あります?」
この時代の人間としては、至極当然の意見を述べるサーシャだったが、
「八百万って言葉、知ってる?」
「何ですか?それ」
サーシャは聞き慣れない言葉に、ハテナ顔をすると、
「日本って国あったじゃない。その国では、古来より、万物のあらゆる物には神が宿るっていう思想だよ」
「ああ、極東の」
「ノリ悪いね」
「だって、存在しない国の話をされても、イマイチ反応に困ります」
「はは、見も蓋もないなぁ」
飲み物を一口入れると、
「この案件はね」
と言って話題を元に戻す。
「確か、上層部の方達が、干渉する、しないを、随分と長い間議論していますよね」
「それだけ、因果律のバランスを取るのが大変なんだろうね」
遠い目をして、スティーブは椅子に戻ると、
「イタズラに時間を掛けるくらいなら、いっそ、実行すればいいのに」
サーシャのような、思いっきりのいい性格の人間が、円卓を囲んでいたのなら、目の上のたんこぶが、綺麗に取れるのに、とスティーブは感心していた。
しかし、
「……簡単じゃないんだ」
静かに呟くスティーブの表情は、先程とは打って変わり、真剣で、有無を言わせぬプレッシャーに満ちていた。




