第8話 はあ?
今月の給料を嘆きテイマーギルドを呪うアーロン君とぽつぽつ話しながら店番をしていると、視線の先でぶわりと土煙が舞った。
馬車が通った拍子に風で巻き上げられたらしい。
僕は店の奥から椅子に座ったまま、あーーと声を上げて天井を見上げた。
築何十年になるかわからない我が店舗の天井には、じいさんの顔にあるのと同じような茶色のシミが点々と浮いている。見なきゃよかった。
水を張ったタライに突っ込んでいた足を嫌々ながら引き上げて、濡れたままサンダルに突っ込んだ。
健気に動く小型の扇風機の風が、素足についた水滴を乾かしてくれる。
一瞬だけちょっと涼しくなったけど、ひさしの影から一歩外に出るともうその効果は届かない。
水滴はすぐさま蒸発し、ただただ暑い。焼ける。死ぬ。
履いているモスグリーンのハーフパンツに水が飛んで深緑色の丸い水染みを作っていたけれど、それも瞬時に乾いて元の色に戻る。なんなら水が乾く時に布地としての寿命まで一緒に蒸発したんじゃないかなってくらい、生地はパサパサのカサカサである。
だけど店先に並べてあるポーション類の瓶が土埃をかぶったままだと、じいさんが帰ってきた時に間違いなく特大の拳骨を食らうことになる。
人や馬や魔物が通るたびに土埃は巻き上がるのだとしても、その都度それを払いに行かなければならない。
ミリムちゃんが買っていった飴型ポーションを並べたケースも土埃で曇っている。これも拭かないと。
魔導具屋の店番は結構大変なお仕事なのだ。重労働。
手当は雀の涙だけど。おかげで遊ぶ金もない。
そしてもちろんアーロン君は手伝ってくれない。タライに足を突っ込んだまま扇風機を独占して涼んでいる。
働く僕を見るサングラス越しの目は相変わらず死んでいるが、口元は半笑いである。
ひどくない?
はたきで雑に埃を払っていると、遠くのほうからザッザッザッザッと乾いた音が規則正しく聞こえてくる。
何かと思って辺りを見回すと、土埃を巻き上げながら物凄い勢いで通りを走ってくる男が目に入った。
暑さのせいで人気の少ない通りには、男を遮るものは何もない。
あれが通り過ぎればまた土埃が商品にかかることは火を見るよりも明らかで、僕はうんざりした気分ではたきを杖にしゃがみこんだ。
早くタライの水に足を突っ込みたーい。
通りの地面をゆらゆら揺らす陽炎をしゃがんだまま眺めていると、そのまま通り過ぎるかと思っていた足音が僕の目の前で止まった。
ザザーッと音を立てて急停止。
そのせいでよけいに大きく巻き上がった土埃が陽炎を一瞬覆い隠した。細かい土を吸い込んでちょっと咳き込みつつ、しゃがんだままちらりと見上げれば、なんということでしょう。ポーションの棚は土煙で黄土色だ。
ガラスの容器に刻まれた『ポーション』の文字の隙間に砂が入り込んでいる。
元は綺麗な緑色だったのに。はたきじゃなくてちゃんと布で拭いて掃除をしないと汚れは取れないだろう。
思わずため息をつきたくなった。
僕の目の前で足を止めたということはうちの客なのだろうから、ぐっと飲み込んだけど。
もしかしたらオッタヴィアーノさんみたいに、お駄賃をくれるお客さんかもしれないし。
余計な仕事を増やしてくれやがったやつの顔をしゃがみ込んだまま見上げると、このクソ暑いのにプレートメイルを装備した男が、四角い顔を真っ赤にして僕を見下ろしていた。
肩をいからせ、額から汗をダラダラ流しながら僕を睨みつけている。
全身から陽炎を立ち昇らせているかのように、男の体周辺の空間が歪んで見えた。おっかない。
「こっ、このっ、この道具屋はっ!」
「ち、ちょっと! お客さん⁈ 何を⁈」
男はやる気なくしゃがみ込んだままの僕の胸ぐらを掴むと、力任せに引っ張り上げた。
手甲に覆われた拳が、僕の喉仏の下あたりをぐいぐい押してくる。めちゃくちゃ苦しい。
「とぼけおって! この魔導具屋は、客に消費期限切れのポーションを売りつけるのか!」
「はあ?」
おそらく男は冒険者なのだろう。プレートメイルに守られた体は体格がよく、僕の首なんか一瞬でへし折れそうなくらい腕も太い。
「相場の二割引だから怪しいとは思ったが! こちらは命を張って魔物と戦っているのだ。それを支える道具が全く役に立たぬものでは、命がいくつあっても足りぬ!」
「いやーそうは言ってもっ――て、ぐえっ!」
ぐぐっと男の拳が僕の喉仏を押し上げる。
四角い顔についた鼻が大きく横に広がって、ふしゅーふしゅーと息を漏らしているさまは、まるでミノタウロスのようだ。見たことないけど。
たぶん噂に聞く牛の魔物ってこんな感じなんじゃないかな。
僕は絞まっていく気管をどうにかしたくて、金属に覆われた腕を叩く。
太陽に熱せられた銀色のプレートは触っただけで僕の繊細な手のひらを容赦なく焼いてくるけれど、このまま絞殺されるよりましだ。
鼻息の荒いミノタウロスは必死な僕の様子に少しだけ冷静になったのか、地面に投げつけるように勢いよく手を離して僕を解放した。
砂埃を上げて転がった僕は必死に息を吸い、ゲホゲホと咳をしながら熱い地面に手をついてミノタウロスを見上げ、口を開く。
「お客さん、ここがどこか、わかってます?」
冒険者の皮をかぶったミノタウロスは、僕の言葉にあからさまに不機嫌な顔をした。場所くらいわかってるって顔だ。
だけど絶対わかってない。
体格も良いし力も強い。装備も一流。本人の自認も一人前の冒険者なのだろう。
だけど僕には半人前以下の素人にしか見えない。
僕は日の照りつける店先で転がったまま、仁王立ちのミノタウロスを見上げてため息をついた。
いるんだよなー、たまに。
ここがどんな所か知らずに張り切っちゃって失敗する人が。
「ここじゃあ一度決めて手に取った物は、タワシでも食わなきゃならないんですよ」
そう言うと、僕の言葉に聞き覚えがあったのか、男は肩を揺らして動きを止めた。




