第49話 声
ミナトが部屋の中に入っていった。
僕も慌ててその背中を追って入る。途端にむわっと緑の匂いが襲ってくる。日差しなんかないのに草いきれ。
小部屋といっても他の部屋に比べれば小さいというだけで、広さは十分ある。
そしてここにくるまでに通ってきた岩肌むき出しの通路や部屋とは違って、壁には苔が生えていた。
見上げるほど高いイチョウの木が、部屋の出入り口から並木状に生えている。地下一階の床はどこへ行ったのだろう。
紅葉して黄色の葉を落とすイチョウの根元には、腰のあたりまで育ったツツジが花を咲かせていた。
うちの店にくる上級冒険者たちによれば、こういう部屋は他の階にもあるという。
むしろ地下へ行けば行くほど唐突に謎の部屋にぶち当たるのだそうだ。たとえば海や砂漠が広がっていたり、雪が降っていたり。
そしてそういう部屋は、その階層ではありえないレベルや種類の魔物が出現することがあるのだとか。
「ちょっと他の場所より暑いかも……」
流れてきた汗を拭って呟く。緑を眺めていたら、眩暈と吐き気が少し収まった。
ヒマワリが出入り口に向いて黄色い花を咲かせ、かと思えばシクラメンやポインセチアが点在して咲いている。季節感がバラバラだ。
地面には足首くらいまで育った草が生えている。うちの看板猫、ハクが大好きな猫草みたいな、真っすぐに生える牧草のような草だ。
草の合間に魔石が見えるけれど、数は多くなさそうだった。
魔石は小さいから草木の緑に埋もれると見つけづらい。きっと他の場所と違って、魔石狩りの期間中はこの部屋は人気がなかっただろう。
そういえば以前にもここに来たことがある。
その時もこの部屋は季節感がおかしい植物で埋まっていて、緑に埋もれたこの部屋の中で小さな指輪を探すのは本当に大変だった。
「! ……だっ、誰だ!」
草の緑とイチョウの黄色の中に進んでいったミナトが、誰かに怒鳴られて足を止めた。
その怒声が恐ろしかったわけでは決してなくて、僕と一緒であきれたんだろう。気が合うね、さすが幼馴染み。
腰に手を当てて立ち止まったミナトの後ろから覗いてみれば、はらりと落ちたイチョウの葉にすら驚いて後ずさった男が目に入った。
男の髪色はハトの首筋みたいにぎらついた青。ヤマガタ・ディディエだ。
ジュリアンちゃんがヤマガタ・ディディエのために罪無きおっさんたちから金を巻き上げていたせいで、彼は自分がこのボアダムで生きていくには詰みすぎていると自覚しているはずだ。
僕なら誰かが入って来た時点で隠れて逃げる。誰何なんてしない。
相手が誰だって、ヤマガタ・ディディエにとっては災いの種だ。
それを察していなければまじで馬鹿じゃんと思うんだけど、「誰だ」なんてわざわざ声を出したところをみるに……まじで馬鹿なのかも。
ヤマガタ・ディディエは部屋の奥のほう、イチョウ並木の終わり際、赤紫色のアジサイが群生している中にいた。
中腰でこちらを振り返っている。その足元には、猫のアップリケをした布靴を履いた、小さな足。
赤紫色のアジサイに埋もれるように、真っ白な顔をしたミリムちゃんがこちらを向いて横たわっていた。
「……」
案外早く見つかったな。って、僕は思った。
『アーロン君にも……』
小さな爪先を見て一瞬ぼんやりとした僕の耳に、ミナトの声が聞こえた。
『手伝ってほしいと伝言をしておいたのだけれど、来てくれるかしら。早くしないとテラが吸収してしまうわ』
焦ったようなミナトの声に、聞き返そうとして顔を上げる。
視線の先にミナトの姿はなかった。目を見開くヤマガタ・ディディエしかいない。
『護衛? 違うわ。アーロン君にも指輪を探してほしくて呼んだの』
「……? ミナト?」
見えないミナトの声に僕は首を傾げて、それで思い出した。
この場所で、前にも僕はミナトと話をしたことがあった。
金色の髪をしたミナトは、あの時、僕の目を覗き込んで怪訝そうな顔をしていた。
僕が迷宮で探し物をするなら護衛が必要だって言ったから。
僕らが探している間、アーロン君に護衛を頼んだんでしょって。
『何を言っているの? あなただって入り口のオーブで迷宮証憑も得たのだし、あなたのギルドカードを作ったのは私よ。セタは立派な冒険者なのだから、こんな浅い層にいる魔物くらい、魔法で吹き飛ばしてくれるでしょう?』
その会話のあと、この部屋で、結局僕も探すことにして……。
何をだっけ?
そうだった。
盗られて捨てられた、ミナトの指輪型の収納の魔導具だ。
コスモスの花が固まって咲いている根元に指輪が捨てられているのをミナトが見つけた時には、時間がすごく経っていた。
浅い層だからって周囲の警戒なんて全くせずに、ずっと下を向いて探していたから首が痛かったし、足も痺れかけていた。
「そんなこと、あったっけ……?」
全然知らない記憶に僕はとまどう。この小部屋には来たことがある、たぶん。ミナトと会話もしたと思う。定かじゃないけど。
でも指輪なんて探したことがあったかな。
あったような気がするな。会話も、いかにも僕とミナトがしそうな感じだ。だったら僕が忘れているだけ?
僕がテラへ潜ったのは、五年前にミナトと一緒に潜って、魔力を失う大失敗をした時だけだ。
――そういえばどうして、どうやって、僕は魔力を失ったんだっけ。
いや、突然現れたユニークモンスターに大敗したせいだというのはわかってる。
だけど、でも、どうして僕はテラへ、ミナトと一緒に来たんだろう?
魔力が人より多いから、自分は強いと勘違いして粋がっていた僕がテラに行って、鼻っ柱を折られるという流れはよくわかる。地元住民がさんざん見てきた失敗例だ。
だけどミナトは魔法を使えないし、たとえ使えたとしても実力を試そうだなんて考える性格じゃない。
ミナトの夢は昔から冒険者ギルドの受付嬢になることで、冒険者をサポートするためにテラの情報を集めることはあっても、自分がテラへ潜って成功することに一度も興味を示したことがなかった。
そういう名誉欲とは全く無縁の幼馴染みが、僕とテラへ潜ったのは……なんでだっけ。
『先輩が私のことを嫌っているのは知っていたわ。けれど仕事はできたし、私は業務に差し支えなければ先輩の嫌がらせなどどうでもよかった。まさか私の大事な……』
こんもりと丸く咲いた赤紫色のアジサイに、コスモスが重なった。
アジサイから青みと少しの赤みを抜いたような薄い紫色。糸みたいな葉っぱと一緒に、ペラペラの花びらが風もないのに大きく揺れる。
群生するコスモスの根元をしゃがんで熱心に探るミナトが、千切れた葉と花弁の一枚を金色の髪から払って振り返った。
『この、指輪を盗んで恋人の冒険者にテラへ捨てさせるなんて。そんな幼稚なことをする人だとは思わなかった。職務の倫理に反しているわ。帰ったら上司に報告しなくては』
ミナトがそう言ってしゃがんだまま顔にかざしたのは、僕が作った指輪型の収納の魔導具だ。
ツユクサ色の瞳で真っすぐ指輪を見つめて微笑んでいる。茶色の尻尾が左右に大きく揺れて、草が千切れて飛んでいく。まるで複数の小さなバッタが跳ねているようだった。
それを見て僕は、この植物が茂った中からよくぞそんな小さな物を見つけられたものだと感心して、探すために下を向きすぎてじんわり痛む首筋を片手でさすりつつ、痺れかけた足を支えるために膝にもう片方の手をついて……――
顔を上げた瞬間に、ミナトが千切った草みたいに飛んでいった。




