第46話 とても軽かった
食肉になってもいいから、娘を見つけてください。と、クレアさんは言った。
「クレアさん……」
僕は切なくなって、そして少しの怒りも覚えて、その瞬間はただ小さくミリムちゃんのお母さんの名前を呼ぶしかできなかった。
母親が子を想う愛の塊みたいなクレアさんの言葉を、だけど僕は観念だと感じたから。
彼女は娘が帰ってくることを望み、助けを求めながら、その口で自分の命を差し出したのだ。
それが母の愛だというのなら、ミリムちゃんにとっては悲惨すぎるじゃないか。
もしもミリムちゃんが無事に見つかったらどうするの。
ミリムちゃんを待っているのは、マンイーターの食材となったお母さんだ。
自分のために命を捧げたお母さん。はたから見たら美談かもね。
でもそれって愛なのか。
クレアさんは親子二人で一緒に生きるという未来を、母親自ら閉ざす言葉を吐いた。クレアさんは今現在の、この時の流れの延長線上に、ミリムちゃんとの時間はないと観念している。
つまりミリムちゃんの生存を望みながら、現実にはそれは絶望的だと思っている。
なぜならいなくなってから一日経っていて、その間に魔石狩り会場に入った人間はいっぱいいるのに、クレアさんにミリムちゃんのことを見たと教えた人はいなかった。心当たりをどれだけ探しても、そこに娘がいなかったことだけしか見つからない。
だからクレアさんは、自分たち親子が一緒にいられるほうの時間軸を選んだのだと思う。
娘は死んで、自分も死んで、この世ではないあの世で一緒にいられる時間軸を。
それって愛じゃなくて、欲なんじゃないの。
絶望から命をあきらめたいという欲。最愛の娘がいないという現実から逃げ出して、楽になりたいっていう、欲。
僕はそういうの、あんまり好きじゃない。
「や、なんか誤解してるみたいですけど、僕はそういう食肉関係の仕事はしてませんよ。マンイーターだって、魔導具のメンテナンス業務で話すお客さんなだけです」
僕には、クレアさんの時間を終わらせたりする力はない。その欲を叶える力なんかない。その気もない。
だからそういうお願いは、僕にじゃなくて直接マンイーターに言ってほしい。クレアさんとマンイーターを繋げる気もないけれど、高架下の彼の家のことは知れ渡っているし、一人でも行けるだろう。
マンイーターだって今はジュリアンちゃんを食べて満腹かもしれないけれど、生かしておけば腐らないんだから人のストックは何人あってもいい。喜んで願いを叶えてくれるんじゃないかな。
「気持ちはわからないでもないけど、自殺の手伝いはする気ないんで。そういうのならよそ当たってください」
僕は毒にも薬にもならない、無害で無毒で無味無臭な魔導具屋の店番だ。店の立地と幼馴染みがちょっと物騒なだけ。
「だけどそうじゃないなら、一緒に、探しましょ」
「……っ」
クレアさんは無言で頭を下げ、ミリムちゃんのポシェットを僕へ差し出した。
ポシェットのショルダーストラップが宙で揺れると、その根元に取り付けられた闇なべ通り商店街のレザーチャームも一緒に揺れる。
僕は黄色いポシェットを受け取った。とても軽かった。
ミリムちゃんが肩からかけていた時は満腹の子猫のお腹みたいにぽんぽんだった鞄が、今は飢えたように痩せている。僕はフラップを開けて中を見た。
鞄の中には、小さな櫛、ひまわりの刺繍がしてあるハンカチ、リボンのチャームがついた髪留め、潰れて足のとれたセミの抜け殻がいくつかと、ミリムちゃんが魔石払いのお釣りを入れるのに使っていた小銭入れ。
裏に『みりむ』『くれあ』『のーまん』と名前がたくさん書かれたチラシ。この並びだったら、『のーまん』は……
「ノーマンは、夫の、ミリムの父親の名前です」と、僕がひっくり返して見ていたチラシを見て、クレアさんが呟いた。
そっか、やっぱりお父さんの名前か。ミリムちゃんは家族の名前を書く練習をしていたのか。
僕は鏡文字になった『あ』を指先でなぞった。
そしてチラシを片手に鞄の底を覗き、違和感に眉をひそめる。
「魔石がない」
ポシェットの中には、ミリムちゃんが厳選して自分用に残した魔石が入っていたはずだ。お母さんが〝この国の人になるけんり〟を買うための魔石。
最初にそれを見せてもらった時から、ミリムちゃんが新しい魔石を見つけるたびに見せてもらっていた。
どのくらいのお金になるかなあ? と、大きな魔石や色の濃い魔石を見つけるたびに期待に満ちた顔で聞いてきた、どんぐりみたいな艶やかな茶色の目が脳裏に浮かぶ。
「ポシェットから魔石を出しました?」
クレアさんがわずかに首を傾げて、横に振った。
ミリムちゃんの「ないしょね!」を思い出す。
お母さんに喜んでもらいたかったミリムちゃん。より高額な魔石を得るために、お母さんには内緒の時間に魔石狩りに参加していた。
その純粋さと危うさを心配して、僕はミリムちゃんへ闇なべ通り商店街のレザーチャームを渡したのだ。
「ミリムは、魔石狩りで採った魔石をいつも、夜に全て私に預けてくれていましたけれど……」
娘が魔石をこっそりポシェットにしまっていたことを、クレアさんは知らなかったらしい。小さな子にしてはめずらしく、お母さんに秘密を漏らさなかったようだ。
僕がミリムちゃんくらいの歳はどうだったかな。
両親はいないからわからないけれど、アーロン君やミナトにはなんでも話してしまっていたような気がする。僕はこれだけのことができるんだと自慢したくて。すごいと言ってもらいたくて。
けっこうな量の秘密が詰まっていたはずのポシェットはすっかり軽い。クレアさんがこれを発見する前に、誰かが魔石を盗ったのだろう。
落ちている子供のバッグから中身を盗ろうって手癖の悪いクズどもなら、きっと躊躇なく小銭入れも持っていくはず。だけど小銭入れを振ればチャリンと硬貨がぶつかる音がした。
ならそのクズは、金じゃなくてミリムちゃんの魔石が狙いだったんじゃないかな。
あらためてポシェットについたレザーチャームをよく見れば、踏みつけられたような跡があった。一度踏んで、靴底を強くこすりつけたようだ。レザーチャームをつけたその周辺の布も汚れていた。
足跡には悪意が見えた。
「ふーん?」
この街のどんなクズでも、このレザーチャームを見て鞄の中身に手を出そうとはしないだろう。彼らは闇なべ通り商店街で馬鹿をした者の末路を、よく知っている。ジュリアンちゃんのこともあったばかりだし。
ミリムちゃんは事故ややむを得ぬ何かがあって行方不明になったわけじゃないと、それでわかった。
誰かがミリムちゃんへ悪意をぶつけた。闇なべ通り商店街がどんなところかわかっていて、わざとレザーチャームを踏んだのだ。
そういえばミリムちゃんの顔見知りの冒険者のなかに、ミリムちゃんの魔石を採る才能について、見下しながらも褒めていたやつがいたっけ。
〝魔石採りの才能はある〟って。
「その冒険者って、どういう格好したやつです? 髪の色とかわかりますか」
僕が笑顔を向けると、クレアさんは胸の前で手を組んでごくりと唾を飲み込んだ。
「もしかしてそいつ、口元にほくろがあって、ハトの首みたいなギラギラした青い色の髪してませんでした?」
「は、はい。額に、緑のサークレットをしていて……」
クレアさんから聞き出した特徴は、ゼノビア・ジェーンの屋敷から帰る途中で声をかけてきたヤマガタなんとかさんと一致した。ヤマガタ……なんていったっけ。
そうだ、ヤマガタ・ディディエ。
「そっか。それでそいつはクレアさんへ僕が〝人間を食材として闇ギルドへ卸している〟とか言ったわけね。ふーん。そっか、なるほどねえ」
ジュリアンちゃんがマンイーターの食材となったことは、昨夜の時点ですでにけっこうな噂になっていた。当事者でもあるヤマガタ・ディディエは、同時に自分が八方塞がりの状態になったと理解しただろう。
そういえば彼は、魔剣を欲しがっていた。自分がテラから称号をもらえないのは、装備がパッとしないからだと考えて。
魔剣を作るには金がかかる。だからゼノビア・ジェーンのところを訪れた。だからジュリアンちゃんから金を騙し取った。
ジュリアンちゃんはロドニーのおっさん以外からも金を巻き上げていたみたいだし、自前の魔石を用いた魔剣製作を依頼できるくらいの金は手元にあるのでは。
そして魔剣制作には魔石を使う。質が良ければ良いほど強い魔剣になるし、値も上がる。核となる魔石を自分で用意できたなら、そのぶん価格も抑えられるだろう。
だからミリムちゃんに目をつけた……の、だとしたら?
「……さっき言った通り僕は食肉業者じゃないですし、だからクレアさんを出荷する代わりにマンイーターが持つ力を期待されても応えられません」
ミリムちゃんのポシェットをクレアさんへ返しながら言う。
「冒険者としてもけっこう前にテラで大失敗してて優秀じゃないし、魔力も全然ない。ただの魔導具屋の店番で、すごい戦闘能力やスキルがあるわけじゃないんだけど……」
言っててちょっと笑っちゃった。あんまりにも頼りない。
僕だったらこんなスペックのやつに、大事な娘を探す依頼なんかしない。だけどクレアさんが言ったように、たぶん僕しかいない。
ミリムちゃんから内緒話をしてもらったのは。
そしてごほうびイッチを分ける許しを、ミリムちゃんからもらえたのも。
クレアさんは、ミリムちゃんがもう生きていないと覚悟している。
それを僕もわかっている。僕もそう感じているから。
だけどお母さんとの大事な日常へ、僕に一歩立ち入る許可をくれた優しい子供のために、やれることはあると思う。
なんにも特別なことはできないし、持ってないけれど。
「見つけます」




