第45話 どうか
首を振る扇風機がカタカタと音を立てて室内の空気をかき回し、ミリムちゃんのお母さんの目にかかった前髪がその風に吹かれて飛ばされる。
乱れた髪を整えることもせず、ミリムちゃんのお母さんは僕を見て深々と頭を下げた。
嵐の前に吹く風にざわめくみたいに、ミリムちゃんとそっくりの麦の穂のような金色の髪が大きく揺れてうねっている。
彼女が胸に抱きしめた黄色のポシェットは薄く歪んで、ショルダーストラップが床に向かってだらんと伸びた。
「娘を、知りませんか……っ」
顔を上げたミリムちゃんのお母さんの青ざめた唇には、髪の束からはぐれた金髪がひとすじ、張り付いていた。
◇
僕が椅子を勧めると、ミリムちゃんのお母さんは崩れ落ちるように座る。
そして彼女――クレアさんは、慎重な手つきでポシェットを膝の上に置いて「昨日から娘が行方不明なんです」と言った。
ミリムちゃん親子はいつも、夕方に魔石狩り会場の入り口で待ち合わせて一緒に帰ってくるのだという。
夜も会場は開いているが、いつも夕日が落ちる前には家に帰っていた。子供は寝る時間だし、夜は荒っぽい人たちが多いから、と。
昨日もクレアさんは、仕事終わりに会場へミリムちゃんを迎えにいった。いつもの通り、冒険者ギルドのすぐ近くという人目の多いところで待ち合わせていた。
けれどいつもはうちで買った飴型ポーションを舐めながら待っているはずの娘が、昨日は待ち合わせ場所にいなかった。
そう聞いて、そういえば店番のローザからミリムちゃんのことを聞かなかったことを思い出す。
「しばらく待ってみても来る気配はなくて、次第に日が落ちてしまって」
だからクレアさんは待つのではなく、探すことにしたそうだ。
「冒険者の方に娘を見ていないかと聞いたのですが、〝今日は見ていない〟と……」
クレアさんはうつむいて鼻をすすった。
「そ、そんな、そんなはずは、ないんです。朝、迷宮へ入っていくのを見届けてから、職場へ行きましたから」
「その冒険者がミリムちゃんをよく知らないから、見てないって言ったってことは?」
僕の言葉に、クレアさんはふるふると首を横に振った。
「その方は、娘の話によく出ていた冒険者です。魔石採りの才能を褒めてくれたし、会場内で時間を聞いたら教えてくれた人だって。娘と一緒にご挨拶をしたこともあります」
だからその人がミリムのことを知らないから、適当なことを言ったというわけではないはずです。クレアさんは首を振り続けながらそう続けた。
「じゃあ地上で事件に巻き込まれたのかと思って探したのですが、いなくって……ずっと、明け方まで知り合いや心当たりをあたって、こちらにも何度かお邪魔しましたけれど、店主様に〝見ていない〟と……それで何度か家に帰って、探し回って、だけどいなくって……娘は見つからなくって……っ」
かすれた声でそう言って、クレアさんは膝の上のポシェットをそっと撫でた。
鮮やかな黄色のポシェットは部屋の暗さのせいで薄暗く濁って、湿気を含んだ暑さのなかで、少し緑がかっても見える。
「朝になってもう一度、魔石狩りの会場へ行きました。それでこれを見つけたんです」
クレアさんはもう一度、膝の上のポシェットを撫でた。針を支える指の皮が半透明に盛り上がっていて、第一関節は少し曲がって小さな瘤ができている。
三日月形に凹んで摩耗した中指の爪先が、ピンクの花の刺繍を撫でて震えていた。
「こ、これを見つけたすぐあとに、魔石狩りが終わって撤収の準備をするというので、迷宮から追い出されました。あの子は中にいるんです! 昨日、娘の行方を聞いた冒険者の方に、中を探してほしいと依頼しましたけれど……っ」
刺繍から視線をそらしたクレアさんは、震える声で続けた。
「断られました。冒険者に依頼をするなら依頼料を払え、と。だから、手持ちのお金を全部渡しました。今はないけれど、貯めているお金も全部渡すと約束して……。だけど、お金は返されて、頼みは断られました」
クレアさんは震える手でポシェットを僕へ突き出した。
「お願いします。友人知人はみんな、私と同じ不法移民で……だから、だから、セタガヤさんしかいないんです。私たち亥人族に好意的で、ミリムに親切にしてくれて、笑いかけて、話しかけてくれた……この街の人は、もう、セタガヤさんしかいないんです」
ポシェットを突き出したまま、クレアさんが頭を下げた。
「お願いします。どうか、お願いします。娘を探してください。娘を助けてください。お金も払います。なんでもします。娘のためならなんだって、なんでも!」
細い首には、嵐に倒された麦のような金髪が張り付いている。数日前に真夏の太陽の下で快活に笑っていたミリムちゃんと、その首筋にくっついていた金髪のことを思い出した。
「どうか……」と、クレアさんは長い長い息をついた。
ため息ではない、長い息。
感情を吐き出す息ではなくて、次の言葉を吐き出すための準備の息だ。
「その冒険者の方から、セタガヤさんは人間を食材として、闇ギルドへ卸していると聞きました。それでマンイーターの力を借りて、いろんな……後ろ暗いことをしているんだって」
クレアさんの吐いた息は喉の奥から悲鳴のような音を響かせ、唇を震わせた。
「私たちのような亜人に親切にするのは、そのためだと言われました。肉が欲しいだけなんだ、と。だけど私、それでもいいです。食肉になってもいい。してください。私を。その代わり、」
クレアさんが顔を上げて、正面に座った僕を見た。
「どうかミリムを見つけてください」
涙で何色かわからなくなった真っ暗な目が、僕を見た。




