第42話 性欲にかんぱーい!
ラン・ティエンはこの街に勇者がまだいた頃からずっと、人間の肉を喰ってきた。
だからテラから〝マンイーター〟の称号を与えられたのだ。
ボアダムに悪名を轟かせるマンイーターと、自分が選んだ男が繋がったのか、ジュリアンちゃんの顔色がミノ太郎さんより蒼白になる。
言葉もなく震えはじめたジュリアンちゃんに気づいたラン・ティエンが、笑い声をあげた。
「どうして震えているのですか? 何が怖いのでしょう。君がぼくを選んだのですよ」
そう。ジュリアンちゃんは選んだ。
僕が告げた選択肢の中で、何も条件がないからラン・ティエンを選んだ。
体を半分に分けられたり、ゴブリン討伐のおとりにされたりすることもない。死なないだろうと思ったから選んだ。
優しげに自分に微笑みかける男を、安全だと思って選んだ。
だけどここは迷宮都市ボアダムの混沌街だ。
勇者たちの欲望を煮詰め、それに惹かれてやってきた世界中の人間の欲を吸って発展してきた、なんでもありの繁華街。欲望の街。
そこで男から金を騙し取っていた女が、〝何もない〟を素直に信じて選ぶだなんて。
「や……やだ、やだ……お願い、助けて!」
「え。それ本気で言ってる?」
背後からラン・ティエンに拘束されたジュリアンちゃんが、僕のほうへすがるように腕を突き出した。
なんで僕に言うんだろう?
「この場でジュリアンちゃんを助けようって思ってた人は、タカハシさんだけだったよ。それに気づかないで、最悪を選んだのは自分でしょ」
タカハシさんだけが真っ当に罪を償えと諭し、面倒を見ると言っていたのに。体も心も傷つけず、法に則った償いを勧めていたのに。
だけどジュリアンちゃんは彼の見かけをキモいと言って、かけてくれた言葉を聞きもしなかった。
ロドニーのおっさんを女とやりたいだけの性欲じじいだと決めつけて「うざい」と馬鹿にした時のように、ジュリアンちゃんは見かけと先入観から最も安全で親切な選択肢を自らふいにしたのだ。
たとえばタカハシさんの手を拒否した理由が、警邏に自首すれば自分の悪事が公になることを嫌い、自分の来し方を自ら否定することへの覚悟がないからとか。そういう内面的な理由ならまだ僕も少しは共感したかもしれない。
「うーん?」
いや適当に言っちゃったかも。やっぱり全然共感できないや。
それにもし共感できたからといって、ラン・ティエンが獲物をどうするかについて口出しをする気も全くないけれど。
だって僕は、僕のためにもジュリアンちゃんがラン・ティエンの獲物になることを望んでいたんだ。
廃病院みたいな高架下の家へ訪ねていった時、ラン・ティエンから〝望むものを手に入れろ〟と言われた瞬間からそうしようと思っていた。
彼に喰われて僕の心が痛まない人間なんて、ロドニーのおっさんを騙して馬鹿にしたジュリアンちゃんしかいなかったし。
だからジュリアンちゃんがラン・ティエンを選ぶことを期待して、僕は彼女が最悪を選びやすいように誘導したのだ。つまり僕はジュリアンちゃんをはめたのだ。
でも全然罪悪感なんてない。
ロドニーのおっさんに感謝して流したミナトの涙のぶんまで、苦しんだらいいんじゃないの。
僕は立ち上がって伸びをして、しゃがみっぱなしで疲れたふくらはぎをぽんぽん叩きながらテーブルから降りる。
なんかふくらはぎから下が冷たくて、ちょっと感覚が鈍いな。
「あ、あの、アタシ……タカハシ、様、アタシ……」
痺れかけのふくらはぎのせいでよろめいて、アーロン君に腰を支えられてしまった。
一度意識すると一気に痺れが加速して、もはや一歩も足を動かせない。介護される老人みたい。
そんな僕の背後で、ジュリアンちゃんがタカハシさんを呼んでいる。
「残念ダ」
振り返ればタカハシは触角を下げたまま頭を横に振っていた。この中で一番の紳士はタカハシさんだったのにね。見かけによらず。
でもタカハシさんは善人だけど、間抜けじゃない。
そして彼には、自らラン・ティエンの獲物となった女をこれ以上気にかける理由もない。
「ああ、久しぶりに良い食材が手に入りました」
上機嫌に笑うラン・ティエンの言葉がえぐい。
肉を切り取ったあとも生きていたらセーフなのかな。
そのうち取る部分がなくなったら治癒しておいて、自然に亡くなるとかなら問題ないとか。そういうのを耐えられるようにするのが称号スキルだったり?
魔王と魔族が暴れていた時代はともかく、勇者が法を整備した今では、やっていることは明確に殺人と死体損壊なんだけど、ラン・ティエンが捕まらないのは彼の種族が魔導具だからかもしれない。
僕やじいさんが彼のもとへ定期的に訪れるのは、彼の本体が魔石を必要としているからだ。
何代目だったかは忘れたが、彼が勇者の装備していた迷宮産の魔導具だったというのは有名な話だ。
そしてこの街は、スライムだろうが巨大ゲジゲジだろうが――……魔導具だろうが、金さえ払えば市民権を得られる街だ。
マルクスフィットチーネが装備している魔導具のように、この街ではそれがどんなに破廉恥な格好でも魔導具だったら検挙の対象にならない。
そして魔導具の所持を取り締まることは不可能だ。だってみんな大なり小なり暮らしの中で魔導具の恩恵を受けている。
エアコンを見てみなよ。一台あるだけであんなに涼しくて快適なんだから。
ラン・ティエンが人を喰うのも、彼の魔導具としての効果なんだから仕方ないよね。
勇者の装備品時代はその凶悪な効果で敵を屠ってきたのだ。勇者はラン・ティエンの使い方がうまかったんだろう。なにせ自分を喰われることなく、その力だけ使っていたんだから。
あ、もしかして、ラン・ティエンの所有者が一時的にジュリアンちゃんとして登録されているのかもしれない。
魔導具を悪いことに使ったら当然持ち主が処罰されるけれど、分不相応の魔導具を御しきれなくて自爆するやつもよくいるんだ。そういうのは自業自得で、警邏も事故として処理して終わりだ。
だからジュリアンちゃんがマンイーターに喰われて死んだって、事故扱いになるのだろう。
足の痺れが気持ち悪くて、気を紛らわせるためにラン・ティエンの言葉を聞いていろんなことを考えてしまった。
まあどっちにしろこれで僕がラン・ティエンに喰われることはないだろう。
え、ないよね?
まさか今回に限って彼の〝望むもの〟が人肉以外ってことはないよね?
「新鮮なうちに持って帰らなくてはいけませんね。セタガヤ君、これで契約履行とします。食材にならなくてすんで良かったですね」
「うっす!」
あー! よかった! 一瞬不安になったけどよかった!
〝望むもの〟合ってた!
もしかしたらの懸念に引きつっていた僕の顔が緩んだのとは反対に、僕の頭の上でアーロン君の口元が引きつった。
「金庫番が妙に今日の集まりに乗り気だと思ったら! マンイーターと契約ってなんだ、お前。いつそんなことしたんだ。ふざけんなよ。だいたいお前は昔から……」
頭の上から重低音で小言を放ち始めた幼馴染みを、「アーロン」とラン・ティエンが呼んだ。
「明日事務所に寄ってください。二百万ギルを用意しておきますから」
ラン・ティエンがうっきうきで言った言葉に、アーロン君が僕への小言をやめて黙った。
「……うっす」
アーロン君のうなずきを見届けて、ラン・ティエンはジュリアンちゃんを拘束していた手を放して扉の方へと歩き出した。
その後ろを、ジュリアンちゃんが大人しくついていく。顔は恐怖で染まっていて、いやだ、こわい、たすけて、どうして……と呟き続けている。
上半身をひねって見送る僕らへ手を伸ばすジュリアンちゃんの表情は必死だ。
だけど足はラン・ティエンを追って歩いている。たぶんこれは〝マンイーター〟の称号スキルの効果なのだろう。
「おねがい……こわい……わかった、じしゅする……かね、なら、かえすから……おねがい……かえせばいいんでしょ……ねえたすけて……たすけて、たすけて、ねえ、たすけてよ……たすけてってば……ねえ……たすけ……たすけて、たすけろよおおおたすっ」
パタン――と、扉が閉まった。
◇
ラン・ティエンとジュリアンちゃんの姿が扉の向こうの廊下へ消え、個室に残された僕の足の痺れが消えた頃、ミノ太郎さんがぽつりと言った。
「もしかしたらあれが……私の末路だったかもしれぬ」
ぞっと震えた肩を抱き、ミノ太郎さんはしみじみと続けた。
「あの時の魔導具屋殿と、力の使い方を選択する自由をくださったアーロン殿が、いかに優しかったのか」
とくとくとシャンパンをグラスに注ぎ、ゼノビア・ジェーンが笑った。
「タカハシは当然として、あたしもべつに命までは取るつもりはなかったわよ。完全に小娘の自爆だわね。おとりはあくまで仕事。ゴブリンキラーの名誉にかけて、犠牲者なんか出させるもんですか。クランの価値が下がるじゃない。そっちの黒スーツだってそうでしょ」
「それはまあ。餌係ってのは、普通は給餌係の意味ですし」
皿に盛られたフライビーンズをつまみながら、アーロン君がうなずいた。
「え?」と首を傾げたのは、僕とミノ太郎さんだ。
「あ、アーロン殿は、私のときはしっかりと〝餌〟だとおっしゃっていたはずだが……?」
「うそー。うちのお姉様たちは完全に体を半分こするつもりだったよ」
首を傾げる僕へ、アーロン君が苦笑した。
「そらお前のところは闇なべ通りだからな。こっちは脅しも仕事だ。勇者から〝カスハラ死すべし〟って教え込まれたとこからの依頼を適当にすりゃ、ミノ太郎じゃなくて俺の命もかけなきゃならなくなる。なら、言葉通り〝餌〟が妥当だろ」
「え」
短く鳴いたミノ太郎さんへ、アーロン君はワイングラスを握らせた。
「絶倫のおかげで命拾いしたな」
ミノ太郎さんの握りしめた空のワイングラスへ、僕は適当に手に取ったボトルからワインを注ぐ。ブドウの皮よりどす黒い紫色のワインが、どぼどぼと音を立ててグラスに溜まっていく。
「性欲にかんぱーい!」
そして僕がワインボトルを掲げれば、アーロン君は無言でフライビーンズを持ち上げ、タカハシさんは苦笑しながらロックグラスの氷を鳴らす。
ゼノビア・ジェーンは陽気に笑ってシャンパングラスを照明の光に透かし、ミノ太郎さんは化け物を見るかのような目で僕を見た。




