第4話 夢の街、迷宮都市ボアダム
ミリムちゃんは店から帰る道の途中で何度も立ち止まり、その度にポシェットにつけたレザーチャームを確認しては、見送る僕へ嬉しそうに笑って手を振った。かわいい。
僕はミリムちゃんが見えなくなるまで見守って、店のひさしの影に引っ込んだ。
なんだか頭がくらくらする。
この眩暈は降り注ぐ太陽の熱のせいか、ミリムちゃんの素直な喜びを見たせいか、どっちかな。
それからしばらくして次にやってきた客は、買い物後に僕にお駄賃をくれた。
また暑い日差しに炙られるのはうんざりしたけれど、お駄賃は素直に嬉しい。
〝お客様は神様〟という勇者の言葉を噛みしめて、僕はしっかり頭を下げた。
「あざっしたー」
低くなった視線の先で、お客さんの足……というか体というか地面と体の接地面というか……が、深緑色にブルンと揺れた。
常連客のご機嫌な振動を見届けて顔を上げると、目の前には巨大なスライム。
オッタヴィアーノさんである。
ちょっと前に変なものが入ったクッキーを僕に食わせようとした、あのオッタヴィアーノさんだ。
勇者によってエロ特化に育てられた、大型スライムのオッタヴィアーノさんである。
〝粘度アップポーション〟という、実に限定的な効果しかないポーションを買いに来たのだ。
よくもまあしれっと顔を出せたものだと思ったけれど、客は客だ。
そして今回は先日の詫びも込めてと多めのお駄賃をくれたので、僕はまあ許してやろうかね、という気持ちになったのである。けじめは大事だよ。お互いに。
オッタヴィアーノさんの体は夏の日差しに照らされて半透明に波打っていて、藻が繁殖した池みたいな深緑色だった。
そういえばあの時のアヘ顔ダブルヘッドラットの末路はどうなったのだろう。
真緑色のスライムを見ていたらなんとなく息苦しさを感じて、僕は視線を空へと向けた。
見上げればどこまでも高いところに青空はあるのに、夏の暑さとダンジョンから噴き出る魔力がボアダム全体を覆っていて、街ごと押し潰されそうだった。
魔力の発生源は魔石狩りの会場、迷宮テラである。
「今日は特に魔力が濃いわね」
魔石狩りの会場から聞こえてくる音楽とセミの声に気を取られていたら、いつの間にか僕の隣に立ったミナトがそう言った。
「わっ! えー? いつ来たのもー。相変わらず気配ないね」
「……ずっといたわ」
神出鬼没の幼馴染みミナトは、ぐちょぐちょくぱぁといかがわしい効果音を立てながら離れていった大型スライムの後ろ姿を目で追いかけながら言った。
ダンジョンからの魔力漏れはいつものことだけれど、改変期を迎えた最近は特にその濃度が高い。異常濃度の魔力を吸って普段より濃い深緑色になったスライムの後ろ姿は、弾むように揺れている。
ブルンブルンしているその背中に向かって、僕は声を張り上げた。
「またどうぞー!」
僕の声にブルンとひと際大きく震えた背中を見て、他の街なら彼は今ごろ冒険者の討伐対象になっているんだろうなあと思う。
買い物ができて納税する金と能力があっても、他の国ならスライムは人間を襲うモンスターでしかない。というか、ボアダム以外の都市なら、この国でもアウトである。
ナビール王国なんか、彼が通りを堂々と歩いているのを見ただけで国中がひっくり返って怒るんじゃない?
だけど迷宮都市ボアダムは夢の街だ。
知恵と金があれば魔物でも市民権を買える街。
逆にいえば知恵と金がなければ、人間だからといって無条件で人間扱いされるとは限らない、悪夢みたいな街。
さっきのミリムちゃん親子のように事情があって祖国から逃げてきた人たちや、立身出世のためにテラに挑みにきた者や、混沌街へ欲をぶつけにやってくるやつらの夢や希望、欲や必死さを吸い上げて生きる街。
「このテラの放出する魔力量から、冒険者ギルドではダンジョンの構造はもちろんのこと、階層も増えるのではないかと考えているようよ」
ぶるぶる震えながら遠ざかっていく常連客を眺めてぼんやりしていると、ミナトが大きめの声でそう言った。
犬獣人のミナトの立ち耳が、通りの向こうから聞こえる悲鳴にピクピクと動いている。
すらりと長い手足はモデルのようで、銀色のまつ毛が空からの日差しでキラキラと光っていた。頬は粉雪みたいに白い。
夏の日差しに煌めく湖面のようなミナトの銀髪が眩しくて、僕は目を細めた。
こんなに暑いのにミナトの肌には汗一滴見当たらず、冒険者ギルドの受付嬢の制服には皺ひとつない。
僕なんて汗みずくで身なりに気を使う余裕なんてなく、着古したTシャツは首元がよれているっていうのに。
「ふーん。階層がねえ。ま、どうでもいいかな」
ミナトの言葉に僕は肩をすくめて、Tシャツの裾で額の汗を拭う。
汗と一緒にやる気も流れ出てふにゃふにゃになった僕の声に、ミナトはあきれたようにため息をついてこちらに向き直った。
突き出た胸の上で受付嬢のネームプレートがキラリと光り、きゅっと引き締まったウエストとつんと突き出たお尻が綺麗なラインを描いている。
その尻から生えた揺れる尻尾と、騒がしい辺りを警戒するように動く犬耳は曇天のような灰色だ。
「……セタガヤは、まだダンジョンが苦手?」
いつもの呼び方の〝セタ〟ではなく、ちゃんと〝セタガヤ〟と僕の名前を呼んだミナトの静かな声に、僕はうんざりした気持ちで下を向いて息を吐いた。
首筋に流れた汗が吐いた息で冷えて、ひやりとする。
「べつに、普通のダンジョンは平気だよ。でもテラは普通じゃないじゃん」
迷宮都市ボアダムの最強ダンジョン・テラは、人の欲望を糧に成長し続けてきたダンジョンだ。
人間の欲を理解して、その欲を満たしてやれば人間にダンジョンコアを壊されないと知恵をつけた。
だからテラは他のダンジョンに比べて、魔物がドロップするアイテムの質が段違いに良い。宝箱なんて見つけた日には一瞬で大富豪だ。
虫を呼び寄せるために蜜の味にこだわる花。
意志を持って人間の欲を刺激するテラが、僕にはすごく気持ち悪く感じるんだ。
「だからダンジョンが苦手ってわけじゃなくて……」
僕の言葉に、幼馴染みがこちらを向いた。
爪楊枝が何本も乗りそうなまつ毛がパチッと跳ね上がり、僕を真っすぐ見つめてくる。欲のなさそうなサラサラした視線に居心地の悪さを覚えて、僕は凡庸な茶色の目を伏せた。
僕は生粋のボアダムっ子だけど、ボアダムの住民だって一花咲かせたい欲はある。
僕も十八歳で成人した時にはミナトと一緒にテラへ潜って、結果は惨敗。
「テラが、嫌いなだけ」
僕は大怪我を負って、魔力の大半を失った。
それから五年経った今でも魔力は戻らない。生きるのにギリギリの量しか残らなかった。
見るだけで苦い気持ちになるから、ギルドカードの類はあれから一度も確認していない。
だから僕はダンジョンが……テラが大嫌いだ。
テラが見せる夢に魅せられて、実力もないのにいっぱしの気になって分不相応なことをする半端なやつらを見ると、憐れに思う。
つまり、僕は僕が嫌いなのだ。




