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欲望まみれの僕らの日々は、勇者NAISEI後の世界のせい  作者: 万丸うさこ
2章 人食いの街、混沌街

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第26話 ママのごほうびイッチ

 ヤマガタなんとかさんを茹でエビ門番に任せて、もう一度帰路につく。


 帰ったところで店にアーロン君がいなければ、混沌街の店まで行かなきゃいけない。それでも帰れると思うとほっとした。


 僕はどこかの引きこもりな妖精族の調薬師みたいに、家が大好きというわけではないはずなんだけど、まあゼノビア・ジェーン邸は濃すぎるから。屋敷も濃いし、主も濃い。

 午前中に訪れたラン・ティエンのところも薄暗くて不気味だったし、今日は精神的に疲れて当然だよね。


 この時間になると、依頼や探索を早めに切り上げた冒険者たちがクランの本部へ向かう姿や、部下を何人も連れた商人が宿に向かう姿が見られる。

 いったん宿に入ったはずの商人が一人で出てきて、きょろきょろと辺りを見回しながらウロウロする姿とか、そのあとを布面積の極端に少ない服を着た女の子たちがこっそりついていく姿なんかもちらほら見え始める時間だ。


 僕はこの風景を見ると、街道に出現したホーンラビットを晩飯のために狙う冒険者か狩人をいつも思い浮かべてしまう。

 捕食者と被食者。どっちがホーンラビットなのかは場合による。


 そんな殺伐とした狩りの様子を眺めながら歩いていると、後ろから膝にドンッと衝撃を受けた。


 前のめりに倒れそうになって慌てて足を踏ん張り、勢いよく背中が反ったせいで痛む首の裏をさすりながら振り向く。

 膝カックンをしてきた相手を探してさ迷った僕の目は、ずいぶんと下のほうで犯人を見つけて驚きに見開いた。


「ミリムちゃん」


「セタガヤおねえちゃんこんばんは!」


「こら!」と女性の怒った声が、「こんばんは」と返した僕の声に重なった。


「娘がすみません。お怪我はありませんか」


 パタパタと小走りで近寄ってきたのはミリムちゃんのお母さんだ。

 会うのは魔石狩りの初日に店にきてくれた時以来。


 ミリムちゃんのお母さんは、僕には眉尻と頭を下げつつ謝罪した。

 その下げた頭を上げる瞬間に、しまった! という顔をして僕の膝裏を掴んで固まるミリムちゃんへ、片眉を上げて口を「メッ!」と歪めている。


 ミリムちゃんのお母さんの器用な表情の変化に、僕は親子日常を垣間見て微笑ましい気持ちになった。


「平気ですよ、大丈夫大丈夫」


 謝るミリムちゃんのお母さんにひらひらと手を振って笑うと、彼女はミリムちゃんと同じ麦の穂みたいな金髪をふわりと揺らし、ほっと息をついた。


 この辺りじゃミリムちゃんの膝カックン程度、相手が怪我をしていない限り、謝って許すの一往復で終わるものだ。けれどミリムちゃんの母親が僕へもう一度僕へ頭を下げて丁寧に謝るのは、彼女たちがナビール王国の出身だからだろう。


 隣国は投資家の女王、〝深紅の恩讐〟ゼノビア・ジェーンのことすら〝亜人〟と面と向かって罵るお国柄。

 勇者召喚以前から差別されていた亥人族の母子への風当たりは、きっと僕が想像するよりもっと厳しいものだったに違いない。


 それでもミリムちゃんが僕に……ナビール王国が言うところの〝人間〟の僕の膝へ突撃したミリムちゃんの無邪気さが、迷宮都市ボアダムの住民としては嬉しかった。


 ほつれた髪を耳にかけてミリムちゃんへ手を差し出すお母さんの柔らかなしぐさと、その手へ向かって前のめりに迎えにいくミリムちゃん。

 肩に力の入っていない二人の様子に、僕の肩の力もストンと抜ける。


 薄暗い場所で完璧な美貌で微笑むラン・ティエンと会話したり、ゼノビア・ジェーンの真っ赤な圧に押されたり、南国の鳥みたいな配色の男に付きまとわれたりしたから、知らないうちに肩はガチガチに凝っていたみたいだ。


「おねえちゃんどこにいってたの? 今日はお店にいなかったね」


 僕のズボンから手を放してお母さんの手を取りながら、ミリムちゃんが首を傾げた。


「今日も来てくれたんだ、ありがとね。今日は別の仕事があって出かけてたんだよ」


「ふーん」


 聞いたわりにはそっけない返事をする、ミリムちゃんの自由さよ。

 彼女の興味は、もうすでにお母さんがぶら下げた買い物袋の中に移っている。子供らしい移り気だ。


 今はもうミリムちゃんの速さに追いつけないけれど、このスピード感で世界を見ていた頃が、たぶん僕にもあっただろう。

 ミナトにも、アーロン君にも。同じスピード、同じ目線、同じ距離感で物を見ていた子供時代。なんだか無性に懐かしくなった。


 ちょっとぼんやりしていたら、ミリムちゃんのお母さんがまたぺこりと頭を下げた。


「おねえちゃん見てー!」


 昨日ポシェットから魔石を取り出して見せてくれたみたいに、ミリムちゃんがお母さんの買い物袋から食パンを一斤取り出して、頭の上に掲げてみせた。


「ふかふかの白いパン!」


 おおー! と僕が驚いてみせるのと、ミリムちゃんを止めようとするお母さんの恥ずかしそうな「やめなさい」が、また重なった。


 ミリムちゃんはお母さんの制止をものともせずに、「今日ね、ママのおきゅーりょうびだったの!」と頬をピンクに染めながら、僕が食パンを見やすいように角度をつけて頭上に持ち上げ直した。


「前の国にいたときから、おきゅーりょうびにはママがたまごとパンでサンドイッチつくってくれるんだよ! ママのごほうびイッチ!」


 ミリムちゃんが両手でパンを掲げてピョンピョン飛びながら続けた。


「見て見て! すごいでしょ、真っ白でふわふわ! 前にいたところのとか、おきゅーりょうび前は茶色いパンなの。ここにきてからのおきゅーりょうびのパンは真っ白で、ふかふかなんだよ! だからママの甘いふわふわたまご焼きがもっとふわふわになるの!」


「やだミリム、お姉さんは白いパンなんて見慣れていらっしゃるわよ」


 ミリムちゃんのお母さんが言うように、確かに僕は食パンは見慣れている。

 この国の中でもボアダムは勇者の文化がものすごく濃く広まっているから、たぶん僕らみたいな中級市民たちの食卓も豊かなほうだと思う。

 混沌街にはメイドさんがオムライスにケチャップでハートを描く伝統的なニホン式の高級料理店まである。


 ナビール王国は王侯貴族と平民の線引きが明確にあって、貧富の差も激しいと聞く。パンも卵も平民には高価なものだっただろう。

 亥人族であるミリムちゃん親子が、ナビール王国にいた頃から職があって給料をもらえていて、茶色いパンで卵サンドを作れたなんてすごいことだ。


「いいなあ。ママのごほうびイッチ、食べてみたい。うらやましいな」


 僕は誰かが自分のために作ってくれた料理に縁遠いから、けっこう本気でうらやましい。

 じいさんはソーセージをフライパンごと燃やすし、僕も包丁を握っただけで指が血だらけになるレベル。両親が生きていたところで似たようなものだろう。


 本気でうらやましがる僕の言葉を聞いてミリムちゃんは満面の笑みを浮かべたけれど、すぐに雷に打たれたような顔をして食パンを胸に抱えた。


「だめだよ、ママのごほうびイッチはミリムのだよ。おねえちゃんには白いパンを見せてあげただけだから!」


「えー、駄目なの」


 そそくさとお母さんの買い物袋に食パンを隠したミリムちゃんが、残念がる僕へ「うーん」とうなってからそそっと寄ってきて僕のズボンの膝のところをつまんで言った。


「次のごほうびイッチは少しおねえちゃんにあげてもいいよ。こんどママがしょうきゅーするんだって、だから、いいよ」


 ちょっとね。と、ミリムちゃんが顔の前で広げた右手の人差し指と親指の幅は、彼女のピンク色の鼻と同じくらいしかない。

 だけどそのくらい大事なごほうびイッチを、わけてもいいと許されたのが嬉しかった。


「じゃ今度ね」と僕が言うと、ミリムちゃんは真剣な顔で右手の小指を僕に向かって差しだした。


 勇者たちが約束をする時にするしぐさ。


 ゆびきりげんまん。


 僕も屈んでミリムちゃんの小指に小指を絡める。


 うそついたらはりせんぼんのーます。


「……ありがとうございます」


 ゆびきった。


 他愛ない約束にしては激しすぎる罰をお互いに受け入れて、真剣な顔をしてうなずき合う。

 そんな僕へ、ミリムちゃんのお母さんが静かに頭を下げた。


「ミリムと親しくしてくださって……。それだけではなくて、レザーチャームも」


 ミリムちゃんのお母さんの視線は、もう一度買い物袋から食パンを取り出す娘のポシェットについたレザーチャームに注がれている。闇なべ通り商店街のオリジナルグッズ。


「わたしたち親子を混沌街の風俗店で働かせたがっていた近所の男が、セタガヤさんがくださったこのレザーチャームを見た瞬間に逃げていきました」


「ああ、魔除けが効きました?」


「ものすごい効力でした。本当に……一目散に走って逃げていくので、びっくりしました」


 期待した程度の魔除け効果はあったらしい。


 まあ、あれを見てもミリムちゃん親子に手を出そうというのは、ボアダムに来たばかりの田舎者か、ゼノビア・ジェーンやラン・ティエン並みの財力と人脈と武力を持つ有力者か、ただの馬鹿だろう。


 いや、ゼノビア・ジェーンたちは地元の人間と争うことの無益さを知っているから、よほどのことがない限りそんな真似はしない。

 やっぱり田舎者か馬鹿の二通りが正解かも。


「店のオーナーの奥様の意地悪もぴたりと収まりましたし、昇給まで決まりました」


「や、昇給はミリムちゃんのお母さんの努力の結果でしょ」


 あのレザーチャームには、魔除けの効果はあっても金運アップのご利益はない。あるなら僕は今ごろ大富豪だ。


「ママのごほうびイッチはね、ふわふわパンもおいしいけど、ママのたまご焼きがおいしいんだよ!」


「具がサンドイッチのうまさを決めるっていうもんね。ごほうびイッチ、まじで、楽しみにしてますんで」


 卵焼きなんて久しく食べていないから、もしかしたら僕の目は血走っていたかもしれない。

 思った以上に強い声が出た。


「――はい」


 ミリムちゃんのお母さんは、樫の木の枝みたいな色の目を細めてうなずいた。

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どうかこの親娘が幸せなままでいられますように
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