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欲望まみれの僕らの日々は、勇者NAISEI後の世界のせい  作者: 万丸うさこ
2章 人食いの街、混沌街

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第20話 あ、やっぱりそれじゃ安すぎます?

「それはロドニー君のために、でしょうか」


 美貌の男はたおやかに微笑んで、僕を見上げた。

 僕は収納の魔導具である鞄をきちんと閉めて、足元に置く。


 椅子を勧めてくれないかなあ。

 ここにくるまで外はすごく暑かったし、中に入ってからも迷路みたいな不気味な家の中を歩き回って、ちょっと疲れてるんだけど。


「そうですね」


 部下であるアーロン君から聞いたのだろう。ラン・ティエンは僕へロドニーのおっさんがどう騙されたのかということを聞いてこなかった。

 騙した側のジュリアンちゃんの詳細も。


「では何を対価にそれを望みますか?」


 サイドテーブルに置かれた真っ赤な魔石を突きながら、ラン・ティエンが問う。


「あ、やっぱりそれじゃ安すぎます?」


 薄暗い部屋の照明でぬめったように輝く赤い魔石を手に取って、ラン・ティエン眉尻を下げて笑った。ふわりと花開くような、優しげな笑み。


 だけど開いた口から出た言葉は辛辣だった。


「街の魔導具屋が扱う魔石としては良い物ですが、この程度の魔石を、ぼくが手に入れられないとでも思っているのですか?」


 成人男性の手のひらより少し大きいくらいの赤い魔石は、称号持ちのじいさんだからこそ仕入れられる最高級品である。

 他国だったら、これを手に入れるために貴族同士で結構深刻な戦争が起こってもおかしくはない。


 だというのに、ラン・ティエンはそれをぽんぽんと片手で上に投げてはキャッチしながら笑う。

 まるで八百屋の店先でちょっと大きなリンゴの重さを量るような、無造作で無邪気なしぐさ。


「ぼくはそんなに無能じゃありませんよ」


 ふっと辺りが暗くなる。

 照明は明滅してから橙色の光に切り替わり、ラン・ティエンの若草色の髪は濁った苔色に染まった。

 雨上がりの透き通った空色の目がオレンジ色を含んで、下水みたいな澱んだベージュ色になって僕を見る。


「魔石の交換予定を少し早めたくらいで特別扱いをしてもらえるほど、ぼくが君を好いているなどと、そんな勘違いはしていませんよね」


「まさか」


 そんなわけがない。

 このまま対価の話はスルーしてくれないかなあなんて、駄目もとでとぼけてみただけだ。


「グリフォン商会も、その背後のナビール王国の闇ギルドも、ナビール王国そのものだって、ぼくにとっては喰いでのない肉に違いありません。抑えようと思えば造作もない。けれどそれをするほどの理由がぼくにはありません。ロドニー君も面白い男だとは思いますが、あの程度の男は他にごまんといるのです」


 君も。と、濁った下水みたいな目で、ラン・ティエンは僕を見て言う。


「真っすぐここまで来て、しれっとぼくへ頼みごとをする。その胆力と能力は面白いですが、無償で力を貸すほどでもありません」


 魔石をもてあそびながら、ラン・ティエンは続けた。


「己の程度と価値。それがわかっているから、アーロンはぼくへ何も望みませんでしたよ。別ギルドの運営する店から女性を一人消す計画を聞かされただけです。面子のための報復行動ならぼくらの日常の範囲内です、ぼくから対価を請求することもない」


 サイドテーブルに魔石を戻し、グッと伸びをしたあとラン・ティエンは首を傾げた。


「君は一般人で、ただの店番です。わざわざ君がぼくへ対価を払って、他国の組織や同業者と事を構える必要はありません。アーロンに任せておけばいいでしょう。闇なべ通り商店街の面子がというのなら、バッカスの女将がそれをするべきです。件の女性が貶したのは、バッカスの従業員なのですから」


「……まあ、そうなんですけど」


 子供を諭すように言うラン・ティエンの黒いスーツの肩へ、薄暗い橙色の光が落ちているのを見ながら僕は苦笑した。


 闇ギルドの金庫番で、鉄道の運営権の一部も持っていて、自らも風俗店を経営する経営者であり、冒険者に投資をする投資家でもある黒スーツ。

 着ているスーツは絶対に高級品のはずなのに、照明のせいでなんだか安っぽく見えるのが不思議だった。


「騙されて、金をとられたのがロドニーのおっさんなんで」


 自己責任と自業自得のこの街で、まんまと騙されたロドニーのおっさんは、本当に馬鹿だと思う。

 だけど僕も子供の頃に犯した失敗を、ロドニーのおっさんに庇ってもらったことがあるし……メアリーちゃんだって商店街の人間で、沽券にかかわるし――……って、アーロン君には説明したし、アーロン君はきっとそれをラン・ティエンへ言ったのだ。


 そしてラン・ティエンはその説明に納得しているんだと思う。

 それで、僕を含めてみんな馬鹿だなって、彼は蔑んでいるんじゃないかな。


 いかにも人好きのする柔らかな笑みを向け、人の痛みのわかる顔でうなずくこの男は、()()ボアダムに長く住む上澄みだ。

 称号持ちでもある彼に対し、その手の長さと異様さに皆が畏怖して距離を取る。


 僕のじいさんもそうだけど、称号持ちは自分の欲に忠実だ。それが称号を得るための条件なのかっていうくらい、自分のためにだけ生きている。

 ラン・ティエンは他の称号持ちよりその気質が強い。自分の欲を満たすために存在していると言っても過言じゃないし、この街の住人はそれをよく理解しているから遠巻きにする。


 そんなラン・ティエンだからきっと、わからないのだ。


 僕がロドニーのおっさんの敵を討ちたいのは、おっさん本人のためっていうのは理由の半分。

 それに加えて、おっさんに救われたことがある人たちのためだってことを、きっとこの美貌の男はわかってないと思う。


 おっさん個人への思い入れだけじゃなくって、許せない気持ちの中には、周りの人間のそういう感情が含まれているんだってことに。


 たとえば僕で言えば、ミナトのためだ。


 五年前、冒険者とその恋人だったギルドの受付嬢が起こした傷害事件を解決したロドニーのおっさん。

 そのころ僕とミナトはテラに挑んで大負けして、僕は魔力の大半を失う怪我を負った。


 子供の時からギルドの受付嬢になりたくて努力して、やっとその職を得たミナトはその事件のせいかすごく落ち込んでいて、見ていられないほどだった。

 だけど僕は怪我で動けなかったし、ミナトのために何もしてあげられなかった。


 自分の力を過信してクソみたいな怪我をした僕は、たぶん、その時に怪我が治って五体満足だったとしても何もできないししなかっただろう。それが歯がゆくてイライラしてた。

 怪我も痛くてしんどくて、失くした魔力のせいか喪失感で腕を持ち上げることすら億劫だった。


 自分が馬鹿だったせいなのに周りの気遣いを跳ねつけて、だけどそっとされたらむかついて。

 ぐちゃぐちゃになった自分の感情と、怪我のことで、ずっといっぱいいっぱいだった。


 ロドニーのおっさんが傷害事件を解決したと聞いた時、息ができないほど包帯であちこちを巻かれて自室のベッドに転がる僕の前で、ミナトは泣いた。


 あのミナトが泣いたのだ。


 透明な、氷の粒みたいな涙だった。


 鼻水を垂らしてハイハイの速さを競っていた頃から、僕はミナトの涙なんて見たことがない。

 嫌なことがあっても、体の傷や病気でしんどいときだって、ミナトはいつも超然としていた。


 アーロン君の泣き顔なんて何万回と見たのに、ミナトの涙を見たのはその時たった一度だけ。

 ロドニーのおっさんが犯人を捕まえたと聞いたあの時だけだ。


 おっさんの失敗を嘲笑ったジュリアンちゃんは、あの時のミナトの涙を馬鹿にしたのと一緒ってことでしょ?

 アーロン君にも言ってないんだけど、僕はそれが腹立つ。


 だから確実にジュリアンちゃんを捕まえて、報いを受けさせたかった。

 あの時のミナトの涙のぶんだけ、泣かせてやる。


「もしも逃げられでもしたら、僕が後悔するので」


 ジュリアンちゃんが逃げるとしたら、店の伝手を頼るだろう。

 彼女が持っているカードの中では一番強いし使いやすい。


 もしかしたら彼女を騙している酒場組の冒険者と一緒に逃げるかもしれないが、獣人蔑視のナビール王国からきた冒険者が鼠人族であるジュリアンちゃんのために、黒スーツのアーロン君と敵対するとは考えにくい。

 もちろんミナトに頼んで酒場組の様子は見張っていてもらうつもりだけれど、そっちは金の切れ目が縁の切れ目という気がする。


 それに加えて、ナビール王国にある闇ギルドの後ろ盾を得て勢いを増したグリフォン商会が、アーロン君の所属する闇ギルドの幹部であるラン・ティエンによってその勢いを抑えつけられていると知ったらどうするだろう。

 ジュリアンちゃんの安全なんて考える余裕なんてないんじゃないかな。


「念には念を入れようと思って」


 天井で光が揺れた。列車が線路を走っていったのだろう。

 照明が揺れ、部屋が揺れて、サイドテーブルに置かれた魔石が小刻みに向きを変えている。


「そんなことのために対価を払ってぼくに頼むとは、君は不思議な人間ですね」


 肩をすくめる僕へ、ラン・ティエンは微笑んだ。


「ぼくは理由には興味がありません。人間はどうせ誰だろうとぼくの獲物なのですから、報酬をいただけるのなら、ついでにそれを喰らうくらいはしてあげましょう」


 その代わり……と、ラン・ティエンは少しだけ考えるそぶりを見せてから、変わらずたおやかな微笑を浮かべたまま続けた。


「君がぼくの望むものを手に入れられず、しくじった場合――」


 パッと照明が瞬いて、濁った橙色の光が薄暗い白に変わる。


「喰われるのは君ですよ」


 側溝からあふれる汚水みたいだった色のラン・ティエンの瞳が、晴れ渡る空の色を取り戻す。


 台風が過ぎたあとの空みたいだ。

 暴風によって壊れた塀や大雨によって崩れた土砂、その被害を見て見ぬふりして晴れた空だけ見上げた時みたいな、不穏さと後ろめたさと怖さを含んだ空色。


「〝ぼくはそんなに無能じゃありませんよ〟」と、目の前の男が少し前に言った言葉を繰り返すと、彼は軽やかな笑い声をあげた。


「期待しています」


 実際、一般人ではどうしようもない闇ギルドをこの男が抑えてくれるのなら、本当にジュリアンちゃんに対して遠慮なく接することができるので、たぶんなんとかなるだろう。


 ならなかったらその時は、この男に喰われるだけだ。

 自分の出来を見誤り、先を読み違えてミスをした。僕が自業自得の馬鹿だったってだけの話。


 ダンジョンに潜るわけじゃなし、どうにかなるさ。たぶん。へーきへーき。

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