第10話 アァァ~ワレワレハウチュウジンダアァァァ
タイミングよくミノタウロスの肩に手を置いたのは僕じゃなく、店の奥からにゅっと出てきた大柄な男、アーロン君だ。
奴隷ハーレムを築いた何代目かの勇者の血を引いていて、癖毛をオールバックにした髪はこの世界の人間にはない黒い色をしている。
ということは、勇者が使えるスキルを受け継いでいるということで、つまりそこらの冒険者よりも強い。
僕?
僕は普通の一般人だ。ショートカットの茶髪に茶色の瞳、中肉中背、ごく普通のか弱い魔導具屋手伝いである。
セタガヤという僕の名前は初代の勇者の名前と同じだけれど、僕に勇者の血は一滴も流れていない。
子供の名前を勇者にあやかるのはよくあることで、特に初代勇者のセタガヤって名前は田舎の村に行くと七、八人は必ずいる。
初代勇者は特に人気なので、性別の垣根なくあやかられまくっている。生まれたての子供から妙齢のご婦人、死にかけのじいさんまで、各年代を網羅していることもあるくらいだ。
「いや、あの……」
「お兄さん、店先でヤンチャされちゃあ困りますよ。俺ァ怖くてつい力が入っちまう」
かさついた低い声で恫喝する幼馴染みがミノタウロスの肩に置いた手に力を込めると、光を放っていたプレートメイルの肩当てがメキョッと音を立ててへこんだ。
それがわかった瞬間、ミノタウロスはプレートメイルの中の筋肉を縮こまらせてうめいた。青ざめた顔は死んだ牛みたいだ。
「まあまあ、お客さん。そんな屠殺場で順番待ちしてる牛みたいな目ェしてねえで、話し合いましょうや」
アーロン君はぽんぽんと軽く叩いただけなのに、ミノタウロスの体は上下に大きく揺れている。
僕はそれを横目に見ながら、やれやれとため息をついて店の中へと移動する。直射日光が暑いんだよ。
タライに張った水の中に足を突っ込みながら、アーロン君の大きな手でがくがくと揺らされている男がつけてきた文句について考える。
確か、消費期限切れのポーションだったっけ?
こんな牛似の男にポーションを売った覚えはないんだけどなあ。
タライの中で足を滑らせないように慎重に重心を移動させて椅子に腰かけながら、扇風機に埋め込まれている魔石に触れて風量を最大になるように設定する。
一瞬の間のあと、魔石の中に溜め込まれていた魔力を消費しながら、扇風機の羽根が回転数を上げた。
思わず「アァァ~ワレワレハウチュウジンダアァァァ」と、勇者たちから伝わったとされる伝統の言葉が漏れてしまう。そんな涼しそうな僕の様子に、アーロン君が眉を寄せて睨んでくるのが見えた。
はっはっは、暑かろう。そしてうらやましかろう。
しかし今まで大した用もないのにやってきて扇風機で涼んでいたんだから、こういう時に活躍してくれないと。
「お客さん、ほんとにうちからポーション買いましたー?」
Tシャツをぱたぱたさせて胸元に扇風機の風を送り込みながら、僕はミノタウロスへと問いかける。
ここからミノタウロスのいる店先はちょっと距離があるから、熱い空気を吸って大きな声を出さなきゃいけないのがけっこうしんどい。
案外つぶらでかわいらしい瞳をまたたかせ、ミノタウロスはしっかりとうなずいた。
「間違いない。この店だった。店番はご老人であったが」
「あー。あのじじいめ……」
ミノタウロスの言葉にアーロン君が「なるほど、セタガヤのじいさんか」と斜め上を向いて呟いた。
この店でご老人といえば店長である僕のじいさんしかいない。
というか、店の人間は僕とじいさんの二人だけだ。
じいさんの息子であり僕の親父である男は、僕が生まれてすぐにどこかで死んだ。
母親の話は聞いてない。聞いてないけど、じいさんの様子から察するに、たぶん死んでいるんだと思う。
シミの浮いた皺だらけの顔が脳裏に浮かぶ。身内とはいえあんまり思い出したくない顔面である。すこぶる気分が悪い。
「面倒臭がって商品説明せずに、値段だけ言って売ったな」
じいさんがよくやる悪癖だ。
特に三度の飯より大好きな魔犬レースや野球の四方統一戦なんかが始まる前に客が来たりすると、もう接客はぐだぐだである。
ちなみに野球も勇者が根付かせた文化のひとつだ。東のここらじゃ、スポーツマンシップという言葉よりもスポーツ賭博という言葉のほうが日常的によく飛び交うけど。
「何日前に買いましたー?」
「五日ほど前であった」
「じゃあちょうどボーンウォリアーズ戦があった時かな」
我が東地区のメジャー球団、ローズレッドフェニックスが大のお気に入りのじいさんは、そのライバルである迷宮北の球団ボーンウォリアーズを目の敵にしている。
だから必ずボーンウォリアーズが対戦相手の試合は大門近くにある球場まで足を運ぶ。
雨だろうが雪だろうが猛暑だろうが関係ない。自分が応援に行かなきゃ負けると思っている。
行ったって負けるときは負けるのに。で、帰りは絶対に北の応援団の誰かと喧嘩して帰ってくるのだ。
歳を考えろといつも言うけど聞きゃしない。
わしが死んだらローズレッドフェニックスの練習場に埋めてくれと本気で言うじいさんにとって、それで死んだって本望なのだろう。この上なく良い顔した死体になるんじゃないか。
残される僕は大迷惑だけど。
つまり何を言いたいかというと、じいさんはおそらく試合前の興奮でろくに接客していないに違いない。
アーロン君の死んだ魚みたいな目で睨まれて縮こまるミノタウロスに非はない。
たぶん。おそらく。
一般的には。
まあでもあれだよ。
うちの魔導具屋は闇なべ通りでもスライム並みの攻撃力しかないから、そんなたいそうなことにはならないよ。
なんせうち以外では〝カスハラ死すべし、慈悲はない〟と、何人かの勇者から英才教育を受けた長命種の人間がまだ現役で店主をしている店も多いのだ。
しかしなんなんだろうね、勇者たちのカスなカスタマーへのあの憎悪。
「すみませんねえ、お客さん。うちの店主が言葉足らずだったみたいで」
僕はそう言って肩をすくめたのだけど、せっかくの謝罪にも、ミノタウロスの様子はちっともさえなかった。




