南方へ
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夜明け前の王都は、まだ眠っていた。
けれど。
南門だけは違った。
松明。
軍馬。
鎧の音。
低く交わされる号令。
第7歩兵隊が、そこにいた。
……いや。
なんかもう、別の生き物みたいだ。
昨日まで王城の中で話していた連中が。
今は、完全に戦場へ向かう顔をしている。
ケッヒル大佐が、軍馬の前に立っていた。
短く刈られた灰銀の髪。
頬の古傷。
黒い軍装。
その背中だけで。
兵士たちが黙る。
ローグ将軍が、少し離れた場所からそれを見ていた。
「ケッヒル」
低い声。
「南方巡礼路は、狭い」
「隊を広げすぎるな」
「承知しています」
ケッヒル大佐は、短く答えた。
ローグ将軍の目が、わずかに細くなる。
「死体がない戦場は、普通の戦場じゃない」
その言葉に。
ドルガンの笑みが消えた。
カイゼルも、黙ったまま目を伏せる。
……おいおいおい。
この二人が黙ると、逆に怖ぇんだけど。
クレイスは、地図を確認していた。
銀のレンズに、松明の火が映っている。
「消失地点は三つ」
「いずれも旧巡礼路沿い」
「ただし、最短経路上ではありません」
レオンが眉をひそめる。
「わざと外している?」
「可能性はあります」
クレイスは淡々と答えた。
「本隊を誘導しているのか」
「それとも、何かを避けて動いているのか」
ケッヒル大佐は何も言わない。
ただ。
南の空を見ていた。
まただ。
クレイスは、“何が起きているか”を追ってる。
ケッヒル大佐は、“何が起きるか”を見てる。
なんだかそんな感じがする。
その時。
リシェルが、俺の包帯をそっと確認した。
「痛みは?」
「まあ……」
「歩けるくらい」
「それ、平気って言わないからね」
珍しく強めに言われた。
「アストリア」
ヴェルナ上級剣士が近づいてくる。
「移動中、その子から目を離さないで」
「傷が開いたら、すぐ止血」
「はい」
リシェルが、真面目に頷く。
……いや。
俺、荷物扱いじゃない?
ヴェルナは俺を見る。
「文句ある?」
「ないです」
即答した。
怖ぇ。
グリードが、隣で笑いをこらえている。
「お前、女に囲まれてるのに全然幸せそうじゃねぇな」
「状況見ろよ」
「囲まれてるんじゃなくて監視されてんだよ」
「それはそれで羨ましいだろ」
「羨ましくねぇよ」
その横で、フィオが小さく笑った。
東嶺の双剣使い。
その隣にはルー。
少し後ろに、シンがいる。
東嶺三人は、客将扱いらしい。
クレイスが説明していた。
ヴァルクレイン側から東嶺へ正式に通達を出す、と。
……国とか軍とか。
話が大きすぎる。
シンは、南門の外をじっと見ていた。
「何かあるのか?」
俺が聞くと。
シンは、少しだけ目を細めた。
「まだ分からない」
「だが、風が変だ」
風?
言われてみれば。
南から吹く風に、妙な湿り気があった。
海じゃない。
山でもない。
なんだこれ。
ルーが肩をすくめる。
「嫌な朝ね」
「せっかくなら、もっと明るい旅がよかったわ」
アルスが、爽やかに笑う。
「旅だと思えば悪くないよ」
「行き先が死地なだけで」
ミオが引きつった顔をする。
「全然悪いですよ!?」
ドルガンが、ガハハッと笑った。
「いいじゃねぇか!」
「死地ってのはな、生きて帰るから面白ぇんだ!」
「その考え方がもうおかしいんだよ」
レオンが呆れたように言う。
けど。
その顔は、もう戦う側の顔だった。
昨日までのレオンと違う。
本軍兵士たちが、彼に道を空ける。
何人かは、自然に頭を下げている。
……やっぱり。
扱いが違う。
「レオン」
思わず声をかける。
「お前、ほんとに何者なんだよ」
レオンは、一瞬だけこちらを見た。
「ただの剣士だ」
「いや、それは無理あるだろ」
レオンは少しだけ口元を歪めた。
「なら、面倒な剣士だ」
なんだそれ。
でも。
それ以上は聞けなかった。
その時。
南門の上から、鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
門兵が叫ぶ。
「南門、開門!」
巨大な門が、軋みながら動き始める。
冷たい風が、一気に流れ込んだ。
フィナの顔が、ふと浮かぶ。
「シュトック、またいなくなる」
あの言葉が。
耳に残っている。
またって、なんだよ。
俺は。
どこかへ行ったことがあるのか。
誰から。
どこへ。
考えようとした瞬間。
頭の奥が、少しだけ痛んだ。
「シュトック?」
リシェルが俺を見る。
「大丈夫?」
「……いや」
「なんでもない」
嘘だ。
全然なんでもないことない。
でも。
今それを言っても、何が変わるわけでもない。
ケッヒル大佐が、馬上から振り返る。
「出るぞ」
低い声。
第7歩兵隊が動き出す。
軍靴が揃う。
馬が鼻を鳴らす。
鎧が鳴る。
王都ヴァルクレインの南門を抜ける。
俺は、振り返った。
高い城壁。
朝焼け前の王城。
その奥にいるはずのフィナとセレーナ。
リシェルが、隣で少しだけ俺の袖を掴んだ。
「また帰ろうね」
小さな声だった。
その言葉に。
なぜか、胸が詰まった。
「……ああ」
南方へ続く道は、まだ暗い。
その先で。
霧が揺れていた。
白い霧。
ただの朝霧のはずなのに。
その奥に。
一瞬だけ。
鎧の音が聞こえた気がした。
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