空白の名前
お読みいただきありがとうございます!
第二部の北部編に入りましたが、引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
湿った空気が。
石の下から。
ゆっくり流れ出る。
誰も。
すぐには動かなかった。
古びた鉄箱。
蓋には。
折れた剣と王冠。
ヴァルムーアの紋章。
クレイスが。
静かに言う。
「開けます」
俺とリシェルは。
無言で頷いた。
錆びた留め具へ。
短剣を差し込む。
ギッ……
鈍い音。
長い年月を経た鉄が。
ようやく口を開いた。
蓋の中には。
革で包まれた束。
羊皮紙だった。
クレイスが。
慎重に広げる。
崩れないよう。
一枚ずつ。
静かに。
銀のレンズが。
文字を追う。
「……これは」
リシェルが。
息を呑む。
「名簿?」
クレイスが。
頷く。
「移送記録です」
俺は。
思わず身を乗り出す。
羊皮紙には。
子どもたちの名前。
年齢。
家族構成。
移送先。
几帳面な字で。
並んでいた。
「本物なのか」
「恐らく」
クレイスは。
紙質を確かめる。
「年代も」
「銅板と一致します」
俺は。
一番上から。
目で追っていく。
知らない名前。
知らない家族。
けれど。
どれも。
第五採掘区の住民だった。
「……あった」
思わず声が出た。
俺の知っている姓。
記憶の奥で。
聞いたことがある。
隣人だった。
その子も。
移送されている。
次。
また次。
知っている。
知っている。
知っている。
皆。
いる。
なのに。
俺は?
自分の名前を探した。
シュトック。
エイゼンシュタイン。
何度も。
何度も。
最後まで見た。
……ない。
もう一度。
最初から。
見直す。
それでも。
ない。
「……どうしてだ」
喉が乾く。
姉貴。
妹。
探す。
探す。
探す。
ない。
俺たちは。
誰一人。
載っていなかった。
リシェルが。
小さく呟く。
「そんな……」
クレイスも。
黙ったまま。
もう一度。
名簿を確認する。
見落としじゃない。
沈黙だけが。
流れる。
やがて。
クレイスが。
静かに言った。
「第五採掘区の」
「住民名簿であるなら」
「不自然です」
俺は。
拳を握る。
「俺は」
「そこで育った」
「間違いなく」
「そこで」
「姉貴や妹と」
「暮らしてた」
クレイスは。
否定しない。
その代わり。
羊皮紙の最後を。
指でなぞる。
そこだけ。
何かが。
切り取られていた。
紙が。
不自然に。
破られている。
リシェルが。
息を呑む。
「誰かが……」
クレイスは。
静かに頷いた。
「最初から」
「ここだけを」
「持ち去っています」
俺の胸が。
大きく脈打つ。
偶然じゃない。
俺たち兄妹の記録だけが。
最初から。
消されていた。
その時。
カラン――。
また。
鈴が鳴る。
三人が振り向く。
白い服の子どもは。
もう。
そこにはいなかった。
代わりに。
石碑の向こう。
森のさらに奥へ。
新しい足跡が。
一つだけ。
続いていた。
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