火災の前年
お読みいただきありがとうございます!
第二部の北部編に入りましたが、引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
クレイスだけが。
静かに。
一歩。
前へ踏み出した。
白い服の子どもは。
石碑の向こうに。
立っている。
小さな指は。
まだ。
石碑の裏側を。
示していた。
クレイスが。
ゆっくりと。
石碑へ近づく。
俺も。
リシェルに支えられながら。
その後を追った。
子どもは。
動かない。
俯いた顔は。
白い髪に隠れて。
見えなかった。
石碑まで。
あと数歩。
カラン。
鈴が。
小さく鳴った。
子どもの輪郭が。
薄くなる。
「待って」
リシェルが。
手を伸ばす。
だが。
白い姿は。
森の光へ溶けるように。
消えた。
後には。
何も残らない。
足跡も。
鈴も。
クレイスは。
子どもが消えた場所ではなく。
石碑の裏側を見ていた。
「これを」
「示していたようですね」
苔に覆われた。
石の裏。
その下の方に。
四角い窪みがある。
クレイスが。
膝をついた。
指先で。
苔を払う。
湿った土が。
崩れ落ちる。
その下から。
黒ずんだ。
金属の板が現れた。
「銅板……?」
リシェルが。
俺の隣で。
身を屈める。
石碑の中へ。
深く。
埋め込まれている。
クレイスが。
銀のレンズへ。
指を添えた。
「文字があります」
銅板の表面は。
緑青に覆われ。
いくつもの文字が。
読めなくなっている。
それでも。
深く刻まれた部分だけは。
残っていた。
「王国暦……」
「四一二年」
クレイスが。
静かに読み上げる。
俺は。
石碑の表へ。
目を向けた。
さっき。
苔の下に現れた。
採掘区の印。
その下にも。
数字が刻まれている。
「クレイス」
「こっちにもある」
クレイスが。
立ち上がる。
石碑の表側へ回り。
残った苔を。
丁寧に払った。
古い文字が。
少しずつ。
姿を現す。
「王国暦四一二年」
「ノルデン外縁第五採掘区」
「第三管理所」
リシェルが。
銅板と。
石碑を。
交互に見る。
「同じ年……」
「ああ」
石碑に刻まれた。
建立年。
裏側に隠された。
銅板の日付。
どちらも。
王国暦四一二年。
クレイスは。
再び。
銅板の前へ戻った。
「続きを」
「確認します」
銀のレンズが。
文字を追う。
「ノルデン外縁」
「第五採掘区」
そこで。
一度。
指が止まる。
「全住民移送計画」
「移送……?」
声が。
思わず漏れた。
クレイスは。
小さく頷く。
さらに。
銅板の汚れを落としていく。
「第一段階」
「児童及び負傷者」
「第二段階」
「坑道作業員の家族」
「最終段階」
「全採掘従事者」
リシェルの顔から。
表情が消えた。
「これって……」
「ああ」
ただ。
逃げたんじゃない。
子どもから。
負傷者。
家族。
作業員。
順番まで。
決められている。
事故が起きてから。
慌てて作ったものじゃない。
前もって。
人を逃がすために。
計画されていた。
「でも」
「第五採掘区の大火は……」
リシェルが。
俺を見る。
答えたのは。
クレイスだった。
「王国暦四一三年です」
森の音が。
消えた気がした。
四一二年。
この石碑が建てられ。
移送計画が記された年。
四一三年。
第五採掘区が。
大火で壊滅したとされる年。
「一年前……」
俺の声が。
乾いていた。
クレイスが。
銅板を見つめたまま。
答える。
「少なくとも」
「記された年代が事実なら」
「住民の移送は」
「火災が起きる前から」
「計画されていたことになります」
「火事を」
「知っていた……?」
リシェルが呟く。
「そこまでは」
「まだ断定できません」
クレイスの声は。
いつもと変わらない。
けれど。
銀のレンズの奥は。
明らかに鋭くなっていた。
「別の危険に備えた計画が」
「結果として」
「火災の前年だった可能性もあります」
「ですが」
銅板へ。
視線を落とす。
「偶然として」
「片づけるには」
「計画が具体的すぎます」
子ども。
負傷者。
家族。
採掘従事者。
これは。
ただの避難訓練じゃない。
住民全員を。
第五採掘区から。
消すための計画。
いや。
助けるための計画だったのか。
俺は。
銅板へ。
手を伸ばしかけた。
頭の奥が。
また。
微かに痛む。
雪。
夜。
誰かに。
手を引かれている。
そんな。
形にならない感覚だけが。
胸を横切った。
姉貴。
妹。
二人も。
この順番の中に。
いたのか?
「移送は」
「実行されたのか?」
クレイスは。
銅板の下部を確かめた。
そこには。
横線が。
いくつも刻まれている。
文字の一部は。
潰れていた。
だが。
読み取れる箇所もある。
「第一段階」
「完了」
リシェルが。
息を呑む。
「子どもたちは」
「移されたってこと?」
「記録を信じるなら」
「そうなります」
子どもたちは。
先に。
第五採掘区を出た。
なら。
俺も。
姉貴も。
妹も。
その中に。
いたはずだ。
けれど。
俺は。
第五採掘区で。
火を見た。
雪の中で。
燃える建物を。
確かに。
見たはずだった。
「……おかしい」
声が漏れる。
リシェルが。
俺を見る。
「何が?」
「第一段階が」
「本当に終わってたなら」
「どうして俺は」
「火事の時に」
「第五採掘区にいたんだ?」
胸が。
強く鳴った。
だが。
次の瞬間。
クレイスの指が。
止まる。
「第二段階以降の記録が」
「削られています」
銅板の下半分。
そこだけが。
刃物のようなもので。
深く。
何度も傷つけられている。
実行されたのか。
中止されたのか。
どこへ移されたのか。
読めない。
消されている。
「どうして……」
リシェルが。
削り跡を見つめる。
クレイスは。
答えなかった。
代わりに。
削られていない。
最後の一行へ。
銀のレンズを近づける。
「計画責任者」
文字を。
ゆっくりと追う。
そして。
その手が。
止まった。
「クレイス?」
俺が呼ぶ。
すぐには。
返事がない。
銀のレンズの奥で。
目が。
僅かに見開かれている。
「この名は……」
「誰なんだ?」
クレイスは。
銅板に刻まれた名を。
もう一度。
確かめた。
それから。
低い声で。
読み上げた。
「ヴァルムーア」
その名前が。
森の中へ。
静かに落ちた。
初めて聞いた。
はずなのに。
胸の奥で。
何かが。
激しく。
軋んだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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