39:セイの言葉
その日の夜は寒かった。濡れた服のままで外にいるからだろう。きっとそうだ。
昼はあんなに雨が降っていて、雲が空一面を覆っていたのに、夜になったとたん少しだけ明るくなった。多分、雲が晴れて月が姿を現したからだ。
(私は無力だ)
不意に私の声が脳裏をよぎる。
「すまない……すまない……」
意味もない謝罪を口にしながら、全壊した家のそばで一人座り込んでいる。
ここは陰になっていて、今の私にはちょうどいい。
「あっ! いたー! もう、探したんだから」
セイの声だ。でも、知らないふりをする。今は一人でいたかったから。
「…ふて腐れちゃって」
仕方ないだろ。私は君の大事な人一人守れもしなかったのだから。
「ねぇ、どうして、ヒローナはそんなに人を助けようとするの」
故郷とアイノのような犠牲者を増やしたくないから。
「私ね、戦っているとき、天使のことも見ていたんだけど、あなたのことも見てた。凄く必死な顔してた。あなたの口から出る言葉と声は余裕があったのに」
だって、皆を安心させたかったから。
「私たちを安心させたいから、だよね」
温かい感触が伝わってくる。彼女の心音がトクン、トクンとリズムを刻んでいて、なんだか心地よい。
「あなたは強い。多分、誰よりも。天使と戦うときは皆から祈られて、頼りにされている。だからこそ、あなたは英雄になろうと必死なんだ」
そうだ。皆から伝わる応援の気持ち、私の無事を、状況の打開を願う祈り。言葉はなくても、気持ちは感じる。だから、私は皆の期待に応えなければいけない。
「私も少しはわかるよ。期待に応えようとするその気持ち」
何が分かるのだろうか。期待に応えようと頑張っても、応えられなければ責められるプレッシャーが。
「知っていると思うけど、あなたに連れ去られる前までね、大教会で聖女をしていたの。あの時はね、毎日のように都の人たちからたくさんのお手紙が来て、全部、不安を綴ったものだったの。小さな不安から大きな不安まで、色々あった。一日じゃ読み切れない程、届くの。でも、時間はかかるけれど、全部、全部読んでる」
大変かもしれないが、期待なんて寄せられていないじゃないか。
「それでね、皆が安心して暮らせるように、礼拝堂で祈るの。祈って……私ね、その人のことを思って祈ると、目の前に行くことができるんだ~。ことが終わったら礼拝堂に戻れるんだけどね」
なんだそれ。
「小さな願い。例えば、『遊び相手がいない』なら遊んで、叶えられる。だけど、大きな願い。『病気が治りますように』なら……私は看病か、看取ることしかできない。病気は治せないから。それで、たまにだけど、酷いこと言われるんだ。……〈あなたを信じて、神を信じて毎日祈っていたのに……〉って。おかしな話だけど、その人からしたら可笑しくないんだよね。神様は何でもできるし、聖女は皆の希望、最後に縋る存在……」
……なんだそれ。
「私だって……普通の女の子なのにね」
温かい体温の他に、少しだけ乾いてきた服がまた濡れる感触があった。
「だから……だからね………あなたは英雄になろうとするけれど、英雄の前に一人の人間なの。誰だって失敗する。小さなことから……大きなことまで。今みたいに落ち込んじゃうことはある。だけど、そんなときには頼って。私もいるし、マックスさんだっている……あなたは、一人じゃない」
あなたは、一人じゃない。その言葉が、胸に溶けていく。故郷が無くなって、一人だった私はマックスの家に居候するようになってからというもの、光を取り戻したかのように楽しかった。困ったときも、苦しかった時も、戦うときも、必ず近くに仲間は居た。
「ねぇ、あなたの声を聴かせて」
温かい感触が離れて、探すようにゆっくりと顔を上げる。すると、聖女が私の前でしゃがんでいた。彼女の瞼は赤くはれていて、きっと辛いことを思い出して泣いていたんだ。
「……私には仲間がいる。一緒に悩んでくれる仲間がいる。ありがとう、君のおかげでまた一歩進めそうだ」
「……良かった」
立ち上がった私を見上げる聖女は微笑んだ。私が手を差し伸べると、聖女は遠慮なく手を取ってくれる。
「アンコを連れ戻そう」
「うん!」
避難所に戻る途中、セイはちょっと待っててと、どこかへ寄り道をする。心配だから私もついて行くと、着いた場所はロケットペンダントが落ちている全壊した家。
彼女は貴重品のように大事にロケットを拾い上げると、私のところに戻ってきた。
「戻りましょう。ヒローナ」
「あぁ。それは、あの子の父親の」
「えぇ。お父さんを忘れてほしくなくて…形見ですし」
彼女は仲の良さそうな写真がはめられたロケットを手に持ちながら、避難所に向かう。
「大丈夫ですか。ヒローナさん」
扉を開けると、いつもの女性がお出迎えしてくれた。
「あ、あぁ。大丈夫だ」
「いやずぶ濡れじゃないですか。ほら、このタオルを使ってください。ちょうど、乾いたところですので」
「すまない。あまり迷惑をかけるつもりはなかったんだが……」
「いいんです。困ったときは協力しないと。そうでしょ?」
「うん。確かに、そうだな。君の名前を聞いても良いか?」
「えっ、フ、フォーネって言います」
「ありがとう。フォーネ」
濡れた服も着替え晩御飯を食べた私たちは床に就いた。
目を覚ますと、太陽はまだ出てきたばかりで、冷えた空気が鼻孔をくすぐる。持ってきていた乾パンを頬張りながら着替えを済ませる。Tシャツは黒色で、パンツも黒色。味気ないかもしれないが、動きやすいし好きな色だから気に入っている。
朝早いからか、皆寝ていた。もちろん外には誰も居ない。昨日に運びきれなかった被災者の遺体を静かに、丁寧に並べ集める。中には目をそらしたくなるほど状態のひどい遺体もあった。一通り集め終え、直接は見えないように布をかぶせる。
「おはようございます、ヒローナさん…これは」
「おはよう、フォーネ。これは災害の犠牲者たち。ずっと野ざらしにされるのは良くないと思ってね」
今日初めて会ったのはフォーネだった。私が寝るまで子供たちを寝かしつけていたはずなのに、ずいぶんと起きるのが早い。
「すみません」
「いやいや、謝らないでくれ。私は震災の被害に遭った地に支援しに来たからね。このぐらいはさせてくれ」
「死者をいたわる余裕もなかったので、本当に助かります。本当に、ありがとうございます」
彼女は深く頭を下げるのだった。
「顔を上げてくれ。私は当然のことをしたまで」
「この地に残された私たちは、あなたたちの栄光を受け、これからの人生も強く歩むことを誓います。どうか、天国で見守っていてください」
あの後、フォーネと話し合って葬式を行うことにした。今、皆の前で祈りの言葉を上げているのは聖女である、セイ・コンケイトだ。
葬式は決して静かなものではなかった。大勢の者は泣いていたし、ご遺体に抱き着いて離れない者もいた。特に、お父さんの帰りをずっと待っていた女の子はずっと…ずっと泣いていた。
私は誰かのために祈れないが、形だけでもと胸の前で4を一筆書きして「お疲れ様でした」と心の中で言葉にする。
葬式が終わった後、皆で近くの山までご遺体を運んだ。生まれ育ったこの大地で安らかに眠ってもらうために、一人ひとり大事に埋めていく。木の板に誰の墓か分かるように文字を彫り、建てつける。立派なものにはできなかったけれど、今の私たちではこれが精いっぱいの弔いだった。
「ねぇ、君」
聖女が、お父さんの墓で泣く女の子に話しかける。
「このペンダント、君のお父さんは最後まで持っていたよ」
そう言って、女の子の手を取って静かに渡し、やさしく語り掛ける。
「パパは君を置いて行ったわけじゃない。送り出してくれたんだよ。未来を歩めるように。今はたくさん泣いてもいい。だけど、落ち着いたら……笑って。パパはもう一緒に歩いてくれないけれど……大丈夫。あなたは一人じゃない。フォーネさんが……皆がいるよ」
「せいじょさま……うん………」
避難所に戻ってきた私は、都に行く準備をする。昨日、天使は「主を召喚する」と言っていたことをセイから聞いて、前の祭りで杭を扱う天使を召喚した都が怪しいと考えたからだ。
「フォーネ。私たちは都に行くよ」
「…そうなんですね」
「安心しろ。数日後には近くの村から支援してくれる人たちが来る。元には戻らないかもしれないが、きっと日常に戻してくれる」
「何から何まで……ありがとうございます」
セイが私のもとに戻ってきた。子供たちは遊び疲れたのか眠っている。
「それじゃあ、私たちはここを出るよ」
避難所の扉を開いて、外を歩く。晴れ渡った空は実に清々しかった。絶対に、アンコを助け出してみせる。強く心に誓って、お天道様が見下ろす大地を踏みしめる。
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