38:英雄の失敗
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祈りに込められた声は聴こえなくても、温かさは感じる。私を思うぬくもりを。空にいることさえ忘れてしまいそうなほどに気持ちが良かった。
「ヒローナさん!」
後ろから名前が呼ばれた。ゆっくりと振り返ると、声の主の姿は見えなかった。
「こっちです! ヒローナ!」
この華麗な声は、きっとセイだ。目線を下げると光の粒と一緒に今にも泣きそうな顔で私に向かってくるセイの姿が見えた。
「アンコは」
「あそこです! あそこ!」
彼女が力強く指差す方に視線を向けると、黒い点が落ちている。それはまるで諦めたかのように自然に身を委ねていた。目を凝らすと、アンコだった。
「…!?」
アンコの落ちる先には柔らかそうな牧草は無かった。
「大丈夫だ。安心しろ、聖女様」
右手に持った大剣を足場にして思いっきり跳んだ。
高さもあと二階建ての建物二つ分しかなく、ほんの少し目を閉じれば地面に激突してしまいそうだった。
間一髪、スライディング気味に着地してアンコを抱き上げることができた。
「アンコ! 無事か!」
彼はごにょごにょと小さくうめき声をあげると、ゆっくりと目を開く。あれだけ大きなバリアを長い間張っていて、眠っていてもおかしくないはずなのに……大したやつだ。
「俺……生きてる。助けてくれたのか、ヒローナ」
「はは、キミに何かあったら聖女様になんて言われるか分からないからね」
「ふ、そうかよ」
起きてはいるが、やはり祈りの力を使いすぎたのか声はかすれていた。
「戻れ剣よ」
そう一言呟くと私の剣は手元に戻ってくる。
「ぶへっ」
ゴムみたいに引っ張られたせいか遅れてすごい勢いで地面に激突した。そして、何もなかったようにむくりと私の後ろに立ち上がる。
「コホン……無事で良かったです」
「はは、取り繕えてないぞ」
「う、うるさいです」
聖女はボサボサになった髪を整えながらぷんぷんと怒るのだった。
「まぁ良いです。……それよりも!」
聖女が振り返る先は天使。次の攻撃に備えろと、そう言っているのだろう。
「あぁそうだな。アンコ、立てるか?」
「だい……丈夫だ」
そう言って立ち上がる少年は足が震えていて、今にも倒れそうだった。ゆっくりと立ち上がる姿は弱々しく見えて歩くことすら到底出来そうになかった。
「避難所まで送ろう。そんなにボロボロだと歩くのも精一杯だろ」
「いい。気持ちだけで十分だ」
心配とは裏腹に少年は強く、あっさり断られてしまった。私が差し伸べた手を借りずに、足を引きずって避難所の方まで歩いている。次の天使の攻撃よりも少年のことが不安だった私に、元気よく振り返ってきた。
「そんな事よりも、この村を救ってくれ。ヒローナ」
少年は笑っていた。無理に口角を上げていてすぐに作り笑顔だと分かったが、少しだけ安心してしまう。
天使がまだ街にいる限り私は戦わなければいけない。きっと少年は迷惑をかけたくなくて無理をしてまで一人で避難所まで歩いてくれている。弱々しい背中だったが、かっこよく見えた。
「……ありがとう」
今度は私が振り返って、天使の方をまっすぐ見据える。
「聖女様、これからまた戦いが始まる。別に、アンコについて行っても良いんだよ?」
「いいです。あなたに協力することが今は良い気がするから」
「ふふっ、そうか」
大剣を強く握る。いつもよりも勇気が湧き出てくる感じがして敵の顔がよく見える。
「行くぞ、聖女様」
「心の準備は済んでいます」
空に浮かぶ天使は指先をこちらに向けて戦闘する気概が見て取れる。水の塊はなく、雨も降っていない。天使の後ろで浮かぶ鯨だけが脅威だ。今までの戦闘では、遠距離攻撃くらいしか使っておらず接近さえすれば、大剣を持つ私が有利のはず。
鯨がうんともすんとも動かない。緊張の糸が張り詰める。
「私ができるのは精々周りを見ることだけです。油断しないでくださいね」
「はいよ!」
しびれを切らした私は返事をするとともに駆け出した。
天使に近づくのは簡単だった。何もしてこなかったから。今まで水の紐やビームで激しく攻撃していたのが嘘みたいに静かだった。鯨も動く様子はなく、虚ろな目で私だけを見つめていて、とにかく不気味だ。
渾身の一撃を叩き込もうと大剣を振り上げ
「穢された魂を浄化する剣!」
切り捨てようとしたとき、
「あなた、信頼されているのね」
なにか諦めたような羨ましく思うような声が聞こえた。
切ろうとした手が一瞬止まってしまった。人を大勢死なせた元凶である天使に情が乗ってしまったんだ。
「隙あり」
豪快に地面に蹴り飛ばされた。
「ヒローナ! 大丈夫ですか!」
「あぁ、大丈夫だ」
少し揺れる視界、ズキズキと痛む頭を押さえながら立ち上がる。はたから見たら大丈夫じゃないかもしれないが天使みたいな災害級の理不尽を引き起こす奴らと戦う意思は消えない。水に沈んだ故郷の二の舞にはしたくなかったから。そして、アイノのような被災者を一人でも少なくしたかったから。
「結構強めに蹴ったのだけれど……まぁいいわ」
「このぐらいじゃ私は倒れないさ」
相手はからめ手も情に訴えることも、勝つためなら何でもやる。切ろうとしたときの天使の羨む顔はきっと本心かもしれないが、あいつは多くの人を傷つけた。情に踊らされてはいけない。
「ヒローナ。ちょっといいですか」
どうした。と返事をすると彼女はこそっと話す。
「ヒローナが切りかかろうとしたとき、彼女は蹴って迎撃しました。今までずっと水を操って戦っていたのに。それに彼女の後ろで浮いている鯨をよく見てください」
「鯨?」
天使が作った都の大教会よりも大きく見える水の鯨。何か変なところは無いように思えた。
「しっぽやひれから滴が落ちてきていますよね」
そう言われて目を凝らしてよくよく見ると、かすかだが確かに一滴、また一滴、滴っていた。それに、天使は体力が持たないのか息が上がっていた。
「彼女、限界が近いのかもしれません」
「確かに、そうかもしれない」
そばに落ちていた私の短剣を握る。力を短剣に流すようなイメージで強く握ると、それは立派な大剣に成る。
鯨の形状を保つのに精いっぱいなら、攻めない理由はない。
「今回は退散するわ」
「逃がすか!」
天使を倒す絶好のチャンスを逃すわけには行かず、駆けだした。
助走をつけて天使に切りかかる。今度こそ大丈夫だ。
「この子を連れてね。ふふっ」
私の剣は迷いなく彼女の芯をとらえる……はずだった。水の紐が見えたかと思うと、アンコが天使の前にいた。振りかざした剣を止めることはできず、左に逸らすことしかできない。天使の左腕が光となって消えていく。
「……待てっ!」
「じゃあね。ヒローナさん」
「ヒロー……ナ」
アンコが伸ばした手を掴むことはできず、間に発生した水の球が弾けて濃い霧ができた。
着地したときには、もう天使もアンコの姿も見えなかった。
空に浮かぶ鯨は役目を終えたのか弾けて大量の雨を降らせる。
「くそッ!!!」
油断していた。私が戦っている限りアンコは安全な場所に逃げられると思い込んでいた。あの天使にとって、私は障害でもなかったのか……。いくら咀嚼しても呑み込めないが、ずっと味が続く食べ物みたいに悔しさから出る言葉が胸の中に無限に出てくる。
内に秘めていた光が空中に消えていく。一つ一つが仲間によって祈られた、私のためを思ってくれた光。天使を倒すことができず、アンコは連れ去られた。何も為せなかった今となっては申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。こんなの、全然英雄なんかじゃない。
隣に居てくれたセイは、避難所の方に消えていく。光となっていた彼女はきっと彼女自身の体に戻るのだろう。
ふらつく足で避難所に向かって歩く。私に祈ってくれた女性に、どう顔向けすればよいのか分からなかったけれど、天使が去って行ったことを伝えなければいけない。逃げたい気持ちでいっぱいだったけれど、少しでも安心してもらうためには伝えに行かなければいけない。
「………」
「どうしたんですか!? ヒローナさん……そんな暗い表情……して………」
避難所の扉を開くと、祈ってくれた女性が出迎えてくれた。
「す……。天使はどこかに行ってしまったよ」
「———! そうなんですね! ありがとうございます。ひどい雨もやみましたし……」
続けて、申し訳なさそうに口を開く。
「その、アンコくんは……一緒じゃないのですか………?」
「ん……」
私が行けば大丈夫だと息巻いたのに、アンコは連れ去られた、なんてすぐには言い出せなかった。なんて責められるのかも、容易に想像できてしまって……息苦しさを覚える。
「アンは天使に連れ去られました」
残酷なことをいともたやすく言い放ったのは、ふわふわした服を身にまとったセイだった。部屋の奥から私たちの方に歩いてくると、女性に微笑みかける。
「ありがとうございますね。この服、とても暖かいです」
「………連れ去られた」
女性は見開いた目を向けるが、合わせることはできなかった。
「大丈夫……なんですよね」
「……えぇ、もちろん。必ず助けます。私の、大事な人だから」
「それなら…安心……ですね。———あっ。戦いでお疲れでしょう。今日は泊って行ってください。……その、奥の部屋をお使いください」
「……すまない。すまない…私は外にいる」
連れ去られたのに……私を責めもせず労ってくれる彼女に申し訳なくて、外に出た。




