37:託す気持ち
「もう、待ちくたびれましたよ! ヒローナさん!!!」
スチャと着地する音が聞こえる。
「すまない。でも間に合ってよかった」
「厄介そうなのが来たわね……」
天使も余裕がないのか、ヒローナを見て苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「そんな顔しなくても良いじゃないか」
「ふっ。あいにく、そこで頑張っている坊やのせいで冷静じゃなくてね」
地を這うような声が響いた。同時に、俺のバリアを壊そうとする水圧が更に増す。声の正体は、水を吐き続ける鯨。
「アンコ、セイ。もう少し耐えられそうか。」
鯨の体のあちこちから触手が伸びる。それらは放物線を描きながら、まるで意志を持つかのようにその半分はバリアを張る俺の横に、もう半分はヒローナに向かって際限なく伸びていく。
「ごめんちょっと無理かも!」
「安心しろ、あれは何とかする。君はビームを防ぐ方に集中してくれれば良い」
「それなら……大丈夫だ。でも、あの触手をどうやって何とかするんだ」
俺はパッとは思いつかなかったが、ヒローナは余裕そうに笑う。
「まぁまぁ、見ていてくれ」
彼女は右手を天高く掲げる。
「戻れ! 剣よ!」
彼女が一言そう叫ぶと、地平線から一番星が煌めいた。眩しくて目を細めると、煌めく星から小さな剣が、凄い速度で飛んでくる。その剣は俺を助けたときに投げられたものだった。いくつかの触手を切り裂きながら静かにヒローナの掲げた右手に戻ってくる。剣を握った彼女はひと振りする。
彼女の纏っていた白く神々しい光が、剣の方に流れていく。白い軍服は元の黒い軍服に戻り、綺麗に結ばれていた髪は下ろされた。代わりに、右手に持ったナイフ程の刃渡りしかなかった剣は、神々しい刃を持った立派な大剣に成る。
「大丈夫……やれるさ私なら」
彼女は一歩踏み込むと、あっという間に大剣で俺たちに向かって伸びていた触手を切り裂く。切り裂かれた触手は光になって消えた。天使の黒く濁った光ではなく、もっと純粋な……神々しい光だった。
「すごい力ね……それ」
天使の眉間に、より一層深いしわができていた。
「そうだ……ろ!」
ヒローナは自身に向かって伸びていた触手も切り落とす。
「同志たちよ! 私に祈れ!」
彼女は懐から野球ボールサイズの球を取り出すと、上空に向かって勢い良く投げる。
投げられた球は赤い軌道を描くと、目が眩むほどの赤い光を発した。
一方、濁流を防ぐ俺は押されていた。ヒローナが伸びてきた触手を全て切っても、濁流の勢いは何一つ変わらなかった。絶え間なく感じる衝撃に、地面を抉っていく足の感覚。
―——ピキッ
「まずいかもな」
少しだけ、バリアにひびが入り始めている。
「赤い光……」
俺の右上で両手を突きだしているセイが、ぼそっと呟いた。礼拝堂で杭の天使と戦った時に見た鮮烈な光。あの時と同じで、赤い光に向かってアンジイのいる村の方向から、都の方向から……あらゆる方から彼女を思うあたたかな光が集まってくる。
「まずいわね……!」
『お家に帰りましょう』
光の粒子を散り散りにしようとしてか、鯨から吐き出されていた濁流が、上空に投げられた赤い光に向けられる。
俺たちを押していた力が一気になくなった。
「なんとか……なった?」
「安心している場合じゃないよ、アン! 今の内です! 天使に近づくチャンスです!」
「確かに!」
天使の注意が赤い光にそれた今一発叩き込めるかもしれない。地面を目一杯蹴って駆け出す。
何とはなしに違和感があった。今まで見た祈りの光はどれも叶えられていなかったけれど、セイや親方が俺に祈ってくれたときみたいに届いてはいたはずだ。集まってきている光はヒローナに対して祈った純粋な気持ちで、今殴りに行ったらきっと鯨の水で散り散りになってしまう。行き場を失った祈りがどうなるのか分からないけど、思いが伝わらなかったらきっと虚しい。
「グッ……!」
「アン!?」
俺は、跳躍してバリアを展開していた。濁流から祈りの光を守るために。
「チャンスだったんだよ!」
「ヒローナのために祈られたこれを守りたかった! それだけ! すまんな!」
「もう………アンったら」
てっきり俺を責めるもんだと思っていたけれど、セイは笑っていた。
「勝とうね! アン!」
「もちろん!」
空中にいるはずなのに、これも想像が具現化した結果なのか、濁流がバリアにあたっても体がその場で固定されているかのように動かなかった。
押し流されはしないけど、その分バリアが脆くなっているのかすぐにミシィと音を立てながら亀裂が入る。
「ありがとう。君たちのおかげで勝てる!」
白の軍服に変わったヒローナが天高く飛び上がる。その手には立派な大剣はなく、ナイフみたいな剣が握られていた。
彼女が光に触れた瞬間、バリアが割れた。ガラスが割れたような音に、鋭利な細かい破片が限界を迎えたことを物語っている。
「ああああああああ!」
「きゃーーーーーー!」
俺とセイは濁流にのまれた。正面にまたバリアを展開しようとしても力を使い果たしたのか手のひらぐらいの大きさしか作れない。俺たち二人は為すすべもなくただ流される。この水の勢いでまだ体が無事なのは、きっとセイの祈りで変身したおかげだ。
あまりの水流の強さに目があけられない。今どこまで流されているのかなんて分かるわけもない。
(ちくしょう……)
頑張ったとはいえ、ヒローナが光に触れて何かする時間稼ぎもできなかった。悔しかった。あと少しなのに踏ん張れなかった自分の無力さが。
押し出すような水の勢いが、突然消えた。
「なん………だ……?」
瞼を開くと俺たちを襲った濁流が煙のように線を残しながら空中に消えていた。俺たちもろとも祈りの光を壊したと思って攻撃をやめたんだ。
ぼんやりする頭で落ちていく中、煙でできた線を目でたどっていくと光が見えた。
「………ヒロー……ナ…………」
祈りの光のそばにいた、俺よりも頭二つ分高い彼女でさえも目を凝らさないと見えないほどの距離からでも輝いている。それは、希望に満ちた光。遠くからでもひしひしと彼女を応援する気持ちが伝わってくる。
天使が焦ったのか手を突き出すと、鯨が雄たけびを上げて突進する。
「アン……! 動いて!」
落下していても光から目を離すことはできなかった。夜空にきらめく星々みたいに手に届くはずもないけれど手を伸ばす。バリアが割れる寸前彼女は言った。君たちのおかげで勝てると。
そこまで言われたら信じるしかない。勝つって。
「ダメだよ! 祈っちゃ……へんしん………解けちゃうよ……!!!」
光を視界の中心に捉えたまま、願いは届くかもしれないと思って呟く。
「アン!!!」
『勝ってくれますように』
仕方ないじゃないか。流されている最中にバリアの展開を何度も何度もしてみたけれど、展開されるのは小さいものばかりだし、すぐに壊れちゃうんだから。身体の節々が痛くて動けそうにもないし…………もう託すしかないんだ。
「…もう………」
俺の身体から神々しい光がふわふわと出て、彼女のもとへ行く。セイも彼女のもとへ引っ張られている。背広という服も光になって消えて借りていた白いシャツに戻った。
「バカ!!!」
俺に手を伸ばすセイの表情は必死だった。光が彼女の顔に当たって、泣いているように見えてしまった。なんだか……申し訳ないな……。
ひらひらと服が風で揺られながら落ちるのだった。




