32:恵みの雨を降らせましょう
湿った空気が肺にたまる。空気は雨が降る前の特有な臭いを纏っている。
セイとヒローナがいた場所に戻ってくると、二人の姿は見えなかった。あるのは家だったもののボロボロな壁と崩れそうな屋根だけで、木片はそこから少し離れた場所に集められていた。
「あの二人どこ行ったんだ?」
きっと、まだ生きているかもしれない人を探しに行ったんだ。
「ウッ」
脳裏に瓦礫の隙間から覗く血だらけの手がフラッシュバックする。上から落ちてきた瓦礫に押しつぶされた光景が容易に浮かんできてしまって身がすくむ。
ポツポツと雨が降ってきた。とうとう、雨が降ってきてしまった。
「あいつら風邪ひいちまう」
休憩もかねて、お姉さんたちのいる建物で休もうと言いに行こう。風邪をひいたら捜索もくそもない。
―——ザーーー!!!
一歩を踏み出したところで急に雨が本降りになった。
「気が早いなぁ! すぐに降らなくてもいいじゃん!」
天気に対して愚痴をこぼしながら俺は二人を探しに走った。
■
私たちは積み重なる木片をどかしています。瓦礫に隠れている人たちを見つけるために。
見つけた人はもう両手では数えられないくらいです。そのどの人たちも血に濡れていました。彼らを押し潰していた木片にも赤黒い跡が付くくらいに。
どれだけ瓦礫をどかしたかもう分かりません。ヒローナも一緒に捜索してくれていますが、生存者は見つけられていないです。
恐怖に歪む顔、絶望する顔。ときどき、ロケットペンダントを握りしめた人もいました。皆さんが感じていた想いが私にも伝わってきて、被災した人たちを見届けなければならないのに、定期的に拭わなければ前が見えません。
「……ぉ〜ぃ」
どれだけ瓦礫をどかしても人の声なんて聞こえません。動く手さえも見ていません。
とんとんと肩を軽く叩かれました。ヒローナさんが何か用があるのかと振り返ると、そこにいたのはアンでした。
「建物にいた人が休憩しに来ても良いって。風邪引くといけないし、休憩しよう」
彼もずぶ濡れていて、そんな優しい事を言うために来たんだと、胸が温かくなります。
けれど、
「大丈夫。私は平気です」
やさしい提案を断るのでした。
「なんでだよ。風邪引いちまうぞ」
「良いんです。私は平気ですから」
「いや、休憩しよう。セイ」
「……!」
休憩、なんてヒローナの口から出るなんて信じられません。さっきまで私と一緒に生存者がいないか探していたのに、彼女は悔しがっているでもなく、悲しんでいるわけでもなく、淡々と言ってきました。その表情は飄々としていて、なぜそんな表情ができるのか意味が分かりません。
「二人は休んでください。私はまだ、探したいので」
「……なんで、そんなに探そうとするんだ……?」
一方のアンは、私を不審に思っている。
「良いでしょう、別に」
「……元も子もないじゃねぇか」
「なにが、元も子もないのでしょうか」
「風邪を引いたら探せなくなるって、分かるだろ」
風邪を引いたら探せない……?
なに甘えたことを言っているんでしょうか。
「風邪を引いても、探すことはできます」
「だとしても、お前は辛いだろ……」
「………!!! 私が辛いから何なんですか! まだ、助けを求めている人がいるのかもしれないのに!」
息が続かない。それでも、溢れ出る悲しみの感情は抑えきれずに擦れた声で続ける。
「今……今捜索しなかったら、瓦礫の下で助けを待っている人はどうなるって言うの!」
最後の方は、金切り声になってしまった。
アンは、困ったような表情をしています。
雨の音しか聞こえませんでした。アンは口をパッと開けては何も言わずに閉じて、また開けて…彼なりに迷ってくれているのだろうと思います。
「だ、だけど」
続きの言葉は、直ぐには出てきませんでした。
「セイが……キミが―——」
「アンコ。今は一人にしてあげよう」
彼女なりの優しさか、アンの話を遮って制止してくれました。アンは何も言わずに俯いたまま、ヒローナと一緒に無事だった建物に向かて歩いて行きます。
『ねぇ、上の方に行ってみない?』
二人の姿が見えなくなった頃、突然女の人の甘美な声が聞こえました。
■
―——トントントン
ザァザァと滝のように降る雨の中、俺とヒローナは無事な建物に着いていた。
「はい」
扉をノックすると、先ほど俺に祈ってくれたお姉さんが扉を開けてくれた。
「あっ、さっきの人。外は雨で大変だったでしょう……って、ヒローナさん!?」
お姉さんが視線を上げるやいなや、素っ頓狂な声を上げた。
「知り合い?」
「いや、すまないが思い出せない」
ヒローナは肩をすくめていた。
「ほら、白の猫……探してくれたじゃないですか」
「あ〜! その時のお嬢さんか」
「そうですそうです」
欠けていたピースがハマったのか彼女の顔が明らかに明るくなった。
「シロを見つけてくれたお姉ちゃんってこの人なの?」
てくてくと白い猫を抱えた女の子が姿を見せた。
「そうよ。あ、シロはこの子です」
「ニャー」
お姉さんが指先で猫を示すと、女の子は分かりやすいように白い猫を頭に乗せた。猫はというと、特に暴れる様子もなく女の子の頭上であくびをかいていた。
「わー」
「ささ、上がってください」
「「お邪魔します」」
お姉さんに誘われて、俺たちは中に上がる。今までは玄関で立ち話をするだけで中にどんな人がいるのか知らなかったけれど、壁際で横になっている中年、子供たちと遊んでいる老夫婦がいた。
「あまり気になさらないでください。皆さん、地震で憔悴しているんです」
「そ、そうですか」
「お姉さん~! この人たち誰?」
「さっき私たちに食料を分けてくれた人よ~」
お姉さんは男の子の無邪気な質問に優しく答える。
「パパまだ帰ってこない……?」
「きっと、パパはお仕事で忙しいのよ」
不安で、お姉さんの裾を引っ張る女の子にも優しく慰める。
ふと、ヒローナの方に目を向けた。あの子のお父さんについて何か知っているかもしれないと思ったから。
「また〜?」
ヒローナはその女の子の姿を見ていられないようだった。
「ほら、お客さん疲れてるから、あっちで遊んでてね」
「……は〜い」
女の子は不満そうにしながらも老夫婦の下へ行った。
「あの子のお父さん、地震が起きたあとから帰って来ていないんです。仕事帰りに会うと、いつもあの子の自慢話をしていて……もう三日も経つのに」
部屋の適当な空いているスペースに案内された後、お姉さんは待っててくださいと言って奥の方に消えていった。
■
私は相変わらず、瓦礫をどかしています。
『ねぇ、上の方に行きましょうよ』
「行きません」
甘美な声の主は積極的に話しかけてきます。坂になっているこの小さな村の頂上に行こうやら、聖女がいるなんてねやら呟いていましたが、私は無視しています。
『あなたも理解っているんじゃない? あの避難所になっている建物の中にいる人以外、生きている―——』
「分からないじゃないですか! まだ、生きている人がいるかもしれません」
「ここにも、いない」
『理解らないわ。なんでそんなに必死になるのかしら』
まだ助かる人を救けたいから。
『それに、そんなチンケな場所を探すよりも、この下—崖の下の方が助けを待っている人が多いんじゃないかしら。フフフ』
甘美な声の主は、余裕があるのか笑ってみせます。
「どういう……ことなのでしょうか」
『さぁ? 上の方から見下ろせば理解るんじゃないかしらね』
私は、甘美な声に促されるまま、坂になっている小さな村の上の方を目指して歩いていました。
雨の勢いは失うことを知らないのか、滝に打たれるような感覚を覚えます。坂を登る川の水面は増々上がり、今にも溢れそうです。
『雨、凄いでしょ』
さも自分が降らせているみたいに、自慢げに話しかけてきます
「……あなたは、誰なのでしょうか」
『私? ん〜、もう少しで会えるんじゃないかしら』
もう少しと言うことは、この声の正体は近くにいるということでしょうか。
坂を登って行くたびに灰色の空しか見えなかった景色が変わっていきます。山が見え、高い塔の三角屋根が見えていきます。
「なに…これ……」
坂の頂上に着くと、眼下には割れた地面に倒れている木々に……地面に散乱する大量の石片と木片。
視界の端には、私と同じ崖から漏れる黄土色の川の水。漏れる水は幸い崖下の街にギリギリ届いてはいませんでした。
『やぁ、会えたわね』
甘美な声は街の中心にある高い塔の方から聞こえました。私からはだいぶ距離があるはずなのに、大きさを損なわない程に高い塔……その三角屋根下にある曇ったステンドグラスには、一人の朽ちた翼を持った少女が宙に浮いていました。
遠くてよく見えませんが、宙に浮く少女は私に向かって手を伸ばして、不適な笑みを浮かべているように見えます。
「———恵みの水を降らせましょう」
彼女がそう言って笑った途端、坂を登って流れて、崖から漏れ出ていた川の水が突然噴き出しました。昔読んだ本に載っていた鯨という動物を思わせるほどの宙空に飛び出す大量の黄土色の水。アンジイさんの村で見た綺麗な川の面影なんてありません。
■




