33:セイを見つけられますように
鯨を思わせるほど大きな水流が崖下の街に落ちる少し前。
「お待たせしました」
避難所のお姉さんがタオルを手に持って戻ってきた。
「これで拭いてください。風邪を引いてしまってはいけませんから」
「「あがとう」ございます」
差し出されたタオルを俺たちは受け取る。
早速、濡れた髪を拭く。
「サイズが合うかわかりませんけれど、お使いください」
そう言ってお姉さんが手に持っていたものは半袖半ズボンのラフな服と、長袖長ズボンのしっかりとした黒い服だった。
「着替え……ですか?」
「そんなに濡れた服をずっと着ていたら風邪ひきますよ?」
「……じゃぁ、お言葉に甘えて」
「私も、ありがたく使わせてもらうよ」
受け取らない理由が見つからなくて、素直に受け取るしかなかった。
「濡れていないと気持ちが良いな!」
避難所の適当な場所で着替えた後、俺は屋根の下でビチャビチャになった服を絞りながら、新しい服の肌触りを堪能していた。
ヒローナはというと、俺よりも早く着替え終わったのか、お姉さんと一緒に避難所の子供の相手をしていた。特に、お父さんの帰りを待つ少女には積極的に話しかけている。瓦礫をどかしている最中に何か知ったのだろうか。
そう言えば、セイの黒い痣について何も聞いていないな。
服をあらかた絞り終えて、室内の適当な場所に干そうと避難所に戻ろうとする。
一歩を踏み出したところで、地面から黄金に光る粒子が浮上してくる。
『神様どうかお助けくださいお助けくださいお助けください……』
初めて経験する地震に、うずくまることしかできない青年の祈り。
『神様どうか娘が無事でありますように』
倒壊する家の中、愛する子を突き飛ばしてまで助けたお父さんの祈り。
「ウッ……」
他にも多くの声と景色が頭に響いた。そのどれもが助けを求める声で、その中の多くの人が助からないような光景に絶望していた。
この現象、これで三回目だ。一回目は杭の天使が現れたとき、二回目は聖女が俺に祈ったとき。回を重ねるごとに祈った人の心情や見た光景がハッキリと感じられて、胸の中にどす黒い霧が渦巻く。
「オエエエエエエエ……!」
ほんと……祈りってなんだろうと思う。叶ってほしいことがあって祈っているはずなのに、一部を除いて、ほとんど叶っていない。
―——ドゴォ!!!
坂の上の方から体に響くほどの重い音が聞こえた。
「なんだ? 何があったんだ……?」
「アンコ。君はここで待っていてくれ」
坂の上の方を覗いていると、いつの間にか横にヒローナが立っていた。
彼女の着ている軍服みたいにしっかりとした黒い服に、なびかせている真っ黒なマントは不思議と頼もしさを感じる。
「私は様子を見てくるよ。もしかしたら、急を要するのかもしれない」
ヒローナは腰に届きそうなほど長い髪を払いながら続けて言う。
「私に、祈ってくれるか?」
大教会に侵入したときや天使と戦うときにも言われた言葉だ。彼女なら、俺の祈りを叶えてくれる。
「いくらでも祈ってやるよ。だけど、俺も連れて行け」
「危険なことになるが……良いのか?」
「ふっ、今更だろ、そんなこと。それに、セイが帰ってきていないしな」
俺が強がってみせると、彼女は大いに笑った。
「本当に好きだね、彼女のことが。良いね良いね」
彼女はたいそう愉快に笑いながら俺をお姫様抱っこする。
「さぁ、一緒に探そうじゃないか! 祈れ! 私に!」
男の俺がお姫様抱っこされるのはなんか違う気がしたが、ヒローナなら良いかと勝手に納得してしまう。
『セイを見つけられますように』
俺が祈ると、ヒローナは腰を落としてから、飛んだ。俺たちがいた地面はひび割れている。
一瞬で、小さな村だけでなく、崖下にある物凄く大きい街さえも一望できる高さに俺たちはいた。
「どこだ…! セイ!」
俺が見える範囲の家の隙間や物の影に隠れていないか目をかっぴらく。頭を振って、見えづらかったところや通り過ぎて見逃していないか探す。
「セイは見つかったか?」
「見つかんねぇ!」
村を飛んで横断しても、セイの姿は見つからなかった。
「もしかしたら、川の上流に行っているかも知れない。そこにもいなかったらまた街の中を探そう」
「おう!」
さっきの爆音は川の上流の方から聞こえた。きっとそこに向かっていると判断したのだろう。
坂の頂上、川の上流に到着するのに、そこまで時間はかからなかった。
「セイ! セーーーイ!!」
必死に、頭を振って周囲を見渡す。川の近く、木の物陰。そして、崖際。崖際には、びしょ濡れになった修道服を着た少女が立っていた。
「セイ!」
そばを通る川の土手にはひびが入っていて今にも瓦解しそうだった。
「見つけたのか」
「ほら、あそこ!」
俺が指をさすと、流石にヒローナも分かったようだった。
「早く連れ戻すぞ」
「おう!」
ヒローナはまた俺をお姫様抱っこして走り出す。祈りを受けた彼女は風のように速い。世界は一点を中心に引き延ばされたように見えて、すぐにでも到着できそうだった。川の土手からは水が陸に侵入してきていたが、この速さならセイを安全な場所まで連れて帰ることができそうだ。
―——ドォン!
突然、強い風に煽られた。次の瞬間には地面が鈍い音を鳴らす。正体不明な攻撃にヒローナの足が止まる。音がした方を見ると、地面がひび割れていた。くぼんだ所にはさっきまでは無かった大きな水たまりができている。
「どうやら、何者かに攻撃されているらしいな」
「そ、そうなのか……?」
彼女の頬から一粒の滴が落ちる。雨粒だと信じたいほどに嫌な予感が俺の中で駆け巡る。
「もしかして……天使か?」
「多分、そうだろう」
訳の分からない攻撃をする者は、俺の知る限り天使しか知らない。
不穏な雰囲気を感じてか、ヒローナは俺を地面に降ろす。
「君はセイのところへ急げ」
土手の方は目視でも分かるくらいにはひびが広がっている。
「そ、それじゃ間に合わな―——」
「いいから行くんだ!」
「でも」
「でもじゃない! 走れ!」
天使の存在のせいか、今まで余裕のあった雰囲気から一転して、肺が凍り付きそうな程重い雰囲気に変わった。
俺の足じゃ、土手が崩壊する前にセイの下にたどり着くことができるかすら怪しい。でも、ヒローナはすぐ後に起こるであろう天使との戦闘に備えなければいけない。
冷静になり切れない頭を鎮めるために、唇を犬歯で強く嚙んだ。
どうしようもないこの状況で、迷っている暇は無い。
「ヒローナ……頼んだぞ!」
間に合わないかもしれなかったが、それでも俺は走るしかなかった。濡れた地面に足を取られながらも、視界の中心にはセイをとらえたまま必死に前に進む。
「セイ! 俺のところに来い!」
必死に叫ぶが、聞こえていないのか振り向くそぶりすら見せない。もう少しで届きそうな気がして、手を伸ばすが空を掴むだけだった。
―——ズン
身体を揺らす重低音とともに水の音が鼓膜を揺らす。坂を上る川から濁流の音が聞こえる。
大蛇を見た。街一つは軽々と呑み込んでしまいそうなほどの、波しぶきを立てながら暴れる大きな蛇を。
「その聖女ちゃん、セイちゃんって言うのね」
上空から、甘美な声が聞こえた。黄土色の大蛇の尻目に、曇天から覗く泥にまみれた輪っかを頭上に浮かべた、朽ちた翼を持つ少女の姿があった。




