19:あなたが、帰れますように
「ハハッ…ヒローナ達の場所ってどこだっけな…」
家から逃げ出して、あの焚き火を囲むような家の集まりを探していたが、日常を失ったショックでうまく思い出せずにいた。
今は彷徨った末の近くにあった小川の河川敷に膝を抱えて座っていた。
周りには背の高い雑草が生えていて、一人になるのはちょうど良い場所だった。
小川を眺める中で振り返ってみたが、聖女の誘拐に協力したのは事実だし、もはや捕まっても良い気もしている。
「これからどうすれば良いんだよ…」
文句を口ずさみながらその辺にある小石を小川に向かって投げる。
「急に指名手配犯になるし…親方は殴って来るし…………妹に……怖がられる…………し………」
改めて振り返ると胸が締め付けられる。指名手配されるに至った原因はヒローナなのだが、恩人である彼女を、本人が近くにいないとしても責めたくなかった。
「帰りたい…帰りたい帰りたい帰りたい…...…」
目をギュッと閉じて、膝に埋めるくらい顔を擦り付ける。おでこや鼻が圧迫されるが、今の俺にはむしろ心地よい痛みだった。帰る場所がなくなった痛みよりもずっと良かった。
ズボンと膝が濡れて密着していたけれど、自分自身を慰めようとしているんだと感じて気持ち悪くも思わなかった。むしろ涙の温かさも心地よかった。
「どうやって生きよ…」
俺の生活圏は、故郷の村と都だけ。家族と旅行に何て行ったことないし、覚えていない。お金を稼ごうとしても指名手配されているから働けない。…これからの人生を全くイメージできなかった。
「腹…減ったな……」
まだ生きていたいのに、俺の腹の虫は容赦なく鳴く。
「俺、死ぬんかな…このまま、腹空かせたまま」
空腹で腹は痛いし、走りまくったから疲労がたまって今座っている場所から動きたくもない。
もはや諦めかかっていた。
沈みゆく夕日の中、小川で独り寂しく膝を抱えたまま悩み、空かせるのだった。
「あなた………アン。…………大丈夫……?」
慈愛に満ちた優しい声だった。聞くだけでも自然と心が温まって、希望を抱きたくなるような。
俺はこの声を知っている。どんなに遠く離れたって誰の声かを聴きとれる自信がある。
「………セイ……?」
膝に埋めるくらい押し当てていた顔をゆっくりと上げると、右手を差し出して、瞳を大きくして俺を見てくれる…不安な顔をした聖女がいた。
「なんで、ここに…?」
「暇だったから、小川に沿って歩いていて…そしたら、困っている人が見えた」
だから、話しかけてみたのよ〜。と笑っていた。
「でも、俺は草で見えていないはず」
「そうだね。私も近くまで来なかったら気付かなかった」
セイは膝を抱える俺の手を、絡んだ糸を解くように器用な手つきで握って、包んでくれる。
山々に沈んでいく夕日の灯りで、空は夕焼けと星空が混ざり合っている。そんな空と夕日を背にして、セイは…聖女は微笑む。
「それに、私ね。困った人を見過ごせないの」
優しい声だった。俺は今まで話しかけるだけだったが、聖女は困っている人に声をかけて、多くを救ってきたのだろう。
「ねぇ、アン。私を、信じてくれる?」
セイが急にヒローナみたいなことを言ってきた。
「も………」
もちろん。と言いたかったが、声を出したらそのまま泣き崩れてしまいそうで、うなずくしかなかった。
「そうだよね…無理しなくて良いよ。その一言で…伝わったから」
聖女はそう言った後、目を閉じながら、俺の手を握り直して顔の方にもっていく。
「信じてね…希望を持って、待っててね」
聖女は笑っていた。
『あなたが帰れますように』
聖女は祈った。俺のために。
帰る場所の無くなった俺が帰られるように。
「セ…イ……」
祈る聖女は、俺に寄りかかってくる。
聖女の身体がいつもより重く感じられて、礼拝堂であった出来事が思い出された。
〈礼拝堂の奥で力なく倒れる聖女。その聖女は…死んでいる〉
「……い…いやだ………やだ……」
「セ゛イ゛も゛……い゛な゛く゛…………なった゛ら…」
「俺は………」
俺に寄りかかるセイは力なんて感じられない程に脱力している。
「いなくならないでくれ……」
俺の願いなんて知らないとでも言うように、聖女の身体から白く神々しい光の粒が抜け出てくる。
「いくな…行くな……逝くな……」
俺にはそれがセイの魂に見えて、手でかき集めようとして光の粒に触れる。
『スズメさんが元気になりますように』
それは、世話をする純粋な女の子の祈り。
『話しかけてくれる男の子と話せますように』
それは、内気な女の子の祈り。
『神様、家に帰してください!』
それは、小さな聖女の祈り。
『みんなが……幸せで』
それは、怯える小さな聖女の祈り。
『皆さんが元気でいられますように』
『息子さんが、天国に…行けますように』
『皆さんが元気でいられますように』
『この人が…来世で普通に生きられますように』
『皆さんが元気でいられますように』
それは、皆に愛される聖女の祈り。
聖女の祈りやその時の感情が…光の粒に触れるたびに伝わってくる。
「…………お前も……」
自分のことだけを考えていたが、セイもそうだった。幼少期に連れられて、家を離れて…その後10年くらい大教会に住んでいる。
俺と同じで最初は帰る場所なんて無かった。
そして、毎日毎日人のために祈る日々。
視線を下げると、力なく寄りかかる彼女の姿が映った。
「ごめん…ごめんな……お前のこと知らなくて…知ろうとしなくて……」
俺は彼女に腕を回して、強く抱きしめる。
礼拝堂にヒローナと一緒に入った時、アルマが言っていた。
〈聖女様は生き返る〉と。
礼拝堂でしか生き返らないと言っていたが、セイは信じて待っていてと言っていた。
「セイ…帰ってきてくれ……」
生き返るのを信じて抱きしめ続ける。冷たくなっていく身体が温かくなるまで、その体温の機微を逃さないために。
「い、痛いよ!」
「…っ! 生き返った! 帰ってきた…!」
周囲はもう真っ暗だった。夕日はもう沈み切っていて月が顔を見せていた。
月光によって小川や草が照らされる中、聖女は蘇る。
「は、離してよ~!」
「ごめんごめん」
セイに怒られそうで、急いで手を離した。
「悲しくて…嬉しくて……ついな…」
「悲しい思いをさせたのはごめんだけど…嬉しいって……?」
俺の言っていることが分からないのか、小首を傾げていた。
「…? 昔のことを見せてくれんじゃ?」
「私は、アンがいつの日か自分の家に帰られるように祈ったのだけれど…」
過去を見せたのはセイの筈なのに、当の本人は困惑している。
「ま、まぁ良いわ!」
両者意味が分からないといった状況で、静寂していた空気の中、セイが気を取り直すように俺の手を握って元気に立ち上がる。
「さっ! 帰りましょ!」
「えっ、ちょっ…帰るってどこに?!」
「決まってるでしょ! 私たちの家によ!」
そう言って急にセイが走り出すもんだから、俺も走らざるを得なかった。
暗がりの中、セイに手を引かれて走る俺には一筋の光が見えているような気がした。心が少しだけ軽くなったような…そんな感覚だった。




