34 束縛の指輪
「そういえば、この預かったままのレッドメイン公の指輪は、どうされますか?姫が持っておかれるのが良いかと思いますが。」
エドガーは、あのジャックが持ってきていた、少し太めの指輪を取り出した。
「そうね………。」
「ちなみに、この指輪にはレッドメイン公がかの国とかわされた密約を国王に伝えるための暗号が内部にかかれていました。ほら、このように少しいじくれば、指輪が3個に別れ、それを、こうして、また組み合わせれば、また別の文字が組み合わされるという仕組みです。」
知恵の輪をとくように、簡単に分解してまたつなぎ合わせてみせた。
「ジャックには、レッドメイン公が今際の際につないだ契約があったんですよ。この指輪を、コーデリアに渡すという。ですが、10年ほどかけて、我が国に戻って来る間に、体の損傷に比例するように、術のほころびがでてきていたようですが。
「そう……。ところで、その暗号は女王陛下には?」
「すでに伝えてあります。」
エドガーはそう言って、指輪を差し出してきたけれど、なぜか受け取るのを躊躇してしまった。
この指輪には、色んな人の思いが詰まっているだけでなく、国家機密まで刻まれている。
そんなに重たいものを、私が受け止められるだろうか。
「姫がいらないなら、私がいただきます。」
エドガーはそう言うと、おもむろに左の手袋をはずし、指輪を薬指にはめてしまった。
「ちょっ!ちょっと待ったーーーー!!!!」
私の制止を無視して、エドガーは指輪がしっかりはまっているのを確認すると、満足そうに微笑んだ。
「なんでエドガーがその指輪を欲しがるのよ……。」
エドガーには何も関わりはないものだ。
「いけませんか?」
まるで自分が持っていることは当然だとでもいった様子で答えてきた。
「いけなくはないけど……。なんでそんなものをもらいたいわけ?むしろあなたにとっては貴族の指輪なんて意味のあるものだとは思えないけれど……。」
「おや、わからないのですか?」
見たこともないくらい意地悪な顔をしてしている。
いや、この顔、ずっと昔に見たことがあるような…… .
「貴族の指輪というものという意味では、たしかに価値はありません。ですが、これには信じられないくらいの秘密がつまっています。」
「なるほど?あの密約の証拠を手にするということで、女王陛下を脅迫でもしようってわけなのね。なかなかやるじゃない。でも、いっておくけど、私は手伝わないわよ。想像しただけで悪寒がするわ。もしかしたら女王陛下は私のためになら……。だめ、やっぱり無理。で、何を引き出すつもりなの?他国の機密とか?いや、まさか……前王朝の幻の埋蔵金のありか?それは興味深いわね。」
エドガーがずっこけた。
エドガーもずっこけることがあるのか。
猿も木から落ちると言うし。
「誰が猿ですか。」
エドガーは乱れた前髪を無造作にかき上げると、ばかばかしいとでもいうようにため息をついた。
「貴方に想像しろと言う方が無謀でしたね。」
そして、ずい、と目の前に指輪がよく見えるように左手を突き付けてきた。
「もっと別の、誰にも知られたくない秘密があるでしょうが。知られると困る、秘密が。」
ひゅっと、のどが音を立てた。
「そういえば、そうだったわね……。」
「……まさか忘れて?」
「るわけないでしょ!!」
「どうだか。」
「でも、その指輪が証拠になんかなるわけないでしょ。」
「もちろん、この指輪は何の証拠にもなりません。」
「自分で矛盾してることいってるじゃない?」
エドガーはとても穏やかに微笑んだ。
朝の礼拝の時に、良く見せていた聖職者の、清らかな笑顔だ。
でも、今わかった。
これは、偽物の笑顔だったのだと。
「もしも貴方が、私から離れていくようなことがあれば、あのことを私は世間に公表します。この指輪は、そのことをいつも貴方に心得ておいていただくための道具です。」
「なっ!!」
「私は元宰相の嫡子です。加えて、各界からの信頼も多く得ています。私の言うことに、多くの人々が疑問を持つことなどないでしょう。」
「私を脅そうというの?」
「脅しなどと。違いますよ。そうですね……、これは未来への約束だとでも思ってください。」
「なんでそんなことを……。私のことが信じられないの?」
「あなたは浮気性ですからね。そして私は心配性なものでして。」
「どの口が……。呆れてものも言えないわ。」
「姫、私は、今この瞬間、貴方の未来の時間も手にしていたいのですよ。おわかりいただけますね?」
「なああ~~~~~にが、おわかりいただけますね、よ!!わかるわけないわよ、そんなこと!まったく、私のことを浮気性呼ばわりして!そんなこと言うなら、あなたの秘密も教えなさいよ!」
「私に秘密など、ありませんよ。」
「う~~~~ん、それは、そう、かも?」
「それに、私は心変わりなど絶対にしませんから、ご心配なく。」
「あらそう。」
呆れたふりをして、エドガーから顔を背けた。
エドガーは肩をすくめると、ふっと笑った。
「隙あり!」
「おっと!」
エドガーの隙をついて、彼の左手から指輪を抜き取るためにつかみかかったけれど、あっさりかわされてバランスを崩してしまった。
本当にこの床は狂気的なつるつる具合だ。
顔面から突っ伏しそうになったけれど、またしてもエドガーにタックルするようになってしまった。
助かった、と思ったら、エドガーも倒れ込んでしまった。
またしても、エドガーの上にのしかかることになってしまった。
しかもここはあの明るい朝日の光あびる場所ではなく、薄暗い大聖堂の中。
なんとなく気まずい。
「あ、あら、またまたごめんなさいね。でも、あなたが悪いのよ、私を脅すようなまねをするんだもの。それじゃあ、重いでしょうからさっさとどくわね。どっこいし……。」
エドガーに重いとかリンゴ数十個ぶんとか言われる前に離れようとしたら、ふいに腰を両手でがしっとつかまれた。
「エ、エドガー、さん?」
「まあ、そう慌てずともよいではないですか。私としては、この状況をもう少し楽しみたい。」
「何を言っているのエドガーさん!というか、あなたはほんとにエドガーさんなの!?」
エドガーから離れようとじたばたともがけばもがくほど、腰をつかまれる力が強くなる。
蜘蛛の巣に絡まった小さな虫は、きっとこんな気持ちなんだろう。
「ほんとうに、触れ合いというのはよいものですね。」
「よくない!ぜんぜんよくない!それにほら!私、重いから!すぐにどくから!」
「まあ確かに、ずっしりとほどよい重みを感じます。」
「そこは羽のように軽い、でしょ!」
「ですが、この重みは、姫が今まさにここにいるという証拠ですから。うん、いいですね。これは、何でしたっけ?姫が以前言われていた……。そうそう、むしろご褒美です?」
「いや違うでしょ!あれは猫だからよ!?猫はほら、可愛くてふわふわで、なでたら気持ちが良くて、だからいいのよ!」
「姫も可愛くてふわふわで、なでたらどんなに気持ちがいいだろうかと、そう思いますよ?」
「ひいっ!」
まあっ、とか、ご冗談を……(ポッ)、とかではなく、私の口から出たのは悲鳴だった。
あまりにもいたたまれない。
なんとかここから逃れようとしていると、エドガーがふいに上体を起こしてきたので、座り込んでエドガーにすっぽりと抱え込まれている格好になってしまった。
そして、エドガーはじっとこちらを見つめた後、ゆっくりと顔を近づけてくる。
これは、キスされるんではないだろうか。
驚きと、少しばかりの期待を胸に瞳をぎゅっと閉じた。
近くでエドガーの吐息が聞こえる。
キスされ…………なかった。
そっと目をあければ、エドガーが私の肩口に顔を伏せて肩を震わせている。
こちらを向いたエドガーは、笑いすぎて涙目になっていた。
「まさか、キスされるとでも思ったんですか?」
「今すぐお前の眼鏡を象に踏ませて粉々にしたいわ。」
「残念ながら、私の眼鏡は象に踏まれても壊れません。実証済みです。ちなみに、象は足の裏がとても繊細なので、壊れそうなものはむしろ踏まないようにするそうですよ。まあ、実験の際はこの眼鏡の強度を調べるために、きちんと体重をかけさせましたが。」
「へ、へえ~。」
エドガーの眼鏡の頑丈さと、また生きていくうえで全く必要のない、象は足の裏が繊細という無駄な知識が増えてしまったな、とぼんやりしていると、彼は私の首筋に顔を埋めた。
「ちょっと、何して……。」
「まったく、この甘い香りと来たら。聖職者を堕とすほどの、たちの悪さだ。」
「ん?なに?何言ってるの?」
ぼそぼそとエドガーが何かをつぶやいているけれど、良く聞こえなかった。
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