38. 偽りの炎──ゆう、ニヒルに屈す
アデン国 パール城 中庭 巳の刻
ゆうは歯を食いしばる。再び構え、炎をさらに強める。黄色は濃く、濁り、まるで光そのものが歪んでいくようだった。
その様子を、闘技場の高みから見下ろす影があった。
マム。
長いローブをまとい、微動だにせず戦いを見つめている。その瞳には、驚きも焦りもない。ただ、すべてを見通すような深い静けさが宿っていた。
その隣に、ふわりと空気が歪む。
「……来ていましたか、マム」
柔らかな声とともに現れたのは、ふわりだった。白銀の髪を揺らしながら、闘技場を見下ろす。
「……あの炎は?」
ふわりが顎で示す。
ゆうの身体を包む炎は、なおも激しく燃え上がっている。しかしその色は、どこまでも黄色く、純粋な輝きとは程遠い。
「へーラーの力が弱い」
マムは答えない。
ただ一瞬だけ、目を細めた。
マムが口を開く。
「ゆうは気づいてしまったようです。……意識して、無理やり引き出そうとしている、へーラーの力を」
その言葉は、断定だった。
「本来なら……あんな色にはならない」
へーラーの力。
それは本来、意思を介さずに発現するもの。無理に掴もうとすればするほど、すり抜けていく――そんな類の力。
「怒りとか、嫉妬とか……そういうので無理やり意識して呼び起こしている」
ふわりの声には、わずかな憐れみが混じる。
「でも、それじゃ……」
その先は言わなかった。
言うまでもない。
視線の先で、ゆうの攻撃はまたも空を裂いた。
ニヒルは、ただそこにいるだけで、すべてをいなしている。
まるで、戦ってすらいないかのように。
「……この勝負」
ふわりは静かに告げる。
「ニヒルが勝つ」
断言だった。
迷いも、揺らぎもない。
その隣で、マムは沈黙を守る。
城の中庭に鳴り響くのは、鋭く交差する剣の音。そして、ゆうの荒い息遣いだった。
──劣勢だ。
ニヒルの猛攻を受けながら、ゆうは歯を食いしばる。ヘーラーの炎を纏い、何度も剣を振るい、何度も攻撃を受け止める。しかし、それでも徐々に押されていく。
「なぜだ……こんなにも強く意識しているのに……!」
額には汗がにじみ、息が上がる。昨夜、あれほどまでにヘーラーの力を解放し、大地を揺るがせるほどの炎を生み出せたというのに、今日の力はあまりに脆い。
──「終わりか?」
ニヒルが不気味に笑いながら、ギロリと目を光らせた。その瞬間、彼の背後から黒い不吉なオーラが舞い上がる。
(これは……あの時と同じ……!)
ゆうの脳裏に、二日前の戦いがよぎる。ニヒルが狩で大猪を一撃で仕留めたとき、まさに今と同じ黒い闇が背後に渦巻いていた。ただの剣技ではない。 この男は何か異質な力を持っている──!
「ギャアアアアア!!」
ニヒルが突如、獣のような奇声を発し、猛然と斬りかかる。
「くっ……!」
ゆうは全意識を集中させ、ヘーラーの能力を発動。炎が剣に宿り、迎え撃つ。剣と剣が激しくぶつかり合い、火花が飛び散る。だが、次の瞬間──
ドンッ!!!
ゆうの全身に衝撃が走った。受け止めたはずの一撃に、馬ごと吹き飛ばされる。
「う、あぁぁっ……!」
身体が宙を舞い、次の瞬間、地面に叩きつけられた。石畳が砕けるほどの衝撃。視界が揺れ、肺から空気が一気に押し出される。
「ゆう君!!!」
のぞみの悲鳴が響いた。彼女は思わず立ち上がる。
「なぜ……!? 昨夜はあんなに強かったのに……!」
ゆうの意識が遠のいていく。体は重く、指先すら思うように動かない。
そして、一瞬の静寂。
──次の瞬間、観客席が総立ちになった。
「おおおおお!!」
大歓声が轟き渡る。戦いの決着を見届けた者たちは、熱狂に包まれていた。
「勝者、ニヒル様!」
戦場の中央で、ニヒルが悠然と馬上に立ち、勝ち名乗りを上げる。その顔には、微塵の驚きも、焦りもない。
──すべては最初から 予定通り だったかのように。
カツン、カツン。
ニヒルは馬に乗ったまま、ゆうに近づいてきた。倒れたままのゆうを見下ろし、剣をすっと突きつける。
「……命だけは助けてやる。」
ゆっくりとした、冷徹な声。
「捕えろ。」
その一言で、衛兵たちが動いた。
「はっ!」
甲冑が鳴る音。二人の衛兵がゆうの両脇を抱え、引きずるようにして立たせる。
「ま、待って!!」
のぞみが叫ぶ。彼女は混乱し、涙を滲ませながら駆け寄ろうとするが、衛兵たちがすぐに道を塞いだ。
「なぜ!? どうして捕えられるの!?」
のぞみの視界が歪む。涙が溢れるのを止められない。
「なぜ……!」
そんな彼女の前に、再びニヒルが歩み寄る。
「……お前のためだよ。」
「え……?」
ニヒルは嗜虐的な笑みを浮かべ、のぞみの耳元で囁いた。
「今夜の初夜の儀のためだ。」
のぞみの全身が凍りつく。
「な……何を……」
「お前が私に逆らわなければ、そいつの命は助かる。」
「……っ!!」
のぞみは膝が崩れそうになるのを必死でこらえた。脂汗が全身を濡らしていく。
「そんな……なんて卑劣な……!」
震える声で呟いた。
ニヒルは満足げに薄笑いを浮かべ、のぞみの顔をじっと見つめる。そして、そのまま何事もなかったかのように向こうへ歩き去っていった。
のぞみは、牢獄へ引きずられていくゆうの姿を見た。
彼は ぐったりとしたまま 、力なく引きずられていく。
「ゆう君……!」
のぞみの唇が震えた。
目の前で、大切な人が奪われる。
力なく、何もできずに。
──絶望が、のぞみの心を深く抉った。




