37.未熟なる炎──揺らぐ決勝戦
アデン国 パール城 中庭 巳の刻
黄金の太陽が天頂に差し掛かる頃、中庭の広大な闘技場は、興奮に沸き立つ群衆で埋め尽くされていた。前方には厳かに設けられた王族席と貴族席が並び、その背後には無数の観客が詰めかけている。
中央の戦場では、今日この時を待ち望んでいたかのように、一騎打ちの決勝戦が始まろうとしていた。
「本来ならニヒル様の圧勝だが、あの貴族の若者……」
「そうだ、前の試合を見ただろう!? あの一撃でジローム裁判長を馬ごと吹き飛ばしたんだぞ!」
「賭けの倍率が五分五分になったなんて、こんなこと滅多にない!」
ざわめく民衆の声が渦巻く中、王族席ではのぞみが静かに佇んでいた。彼女の視線はただひとり、闘技場の向こう側を見据えている。
「ゆう君……私が伝えたやり方で能力を出して」
のぞみの祈るような眼差しに応えるように、ゆうは彼女を見つめ、静かに口を開いた。
「のぞみさん……僕が必ず助け出す」
その声には確固たる決意が込められていた。
ニヒルは既に馬に跨り、戦場に堂々と君臨していた。長身の彼は悠然と手綱を握り、王族特有の余裕を滲ませながらゆうを見下ろしている。
一方、ゆうは――本来なら馬に触れたことすらなかった。しかし、前の試合で初めて騎乗し、さらに二日前の狩りで実戦を積んだことで、なんとか乗りこなせるようになっていた。
だが、それだけではない。
彼はヘーラーの力を解放し、さらに自在に馬を操る術を身につけていた。
ゆうは意識を集中し、嫉妬の神へーラーを呼び起こす――
ボッ
黄色い炎が、ゆうの周囲に静かに立ち昇った。
その光を受けて、彼は躊躇うことなく馬へと飛び乗る。まるで炎そのもののように軽やかに――いや、炎の加護を受けた者だけが持つ異質な動きで。
ニヒルがそれを見て、唇の端を吊り上げた。
「ほう……」
観客たちには、ゆうの炎は見えていない。だが、彼のしなやかな身のこなしだけで、民衆の熱狂は爆発した。
「うおおおおおっ!!!」
「すげえ!! まるで風のような動きだ!」
「ジロームを吹き飛ばしただけのことはある!」
興奮が頂点に達したその瞬間、進行役のシャッセが堂々と場の中央へと進み出た。
彼は杖を高く掲げ、観衆に向かって声を張り上げる。
「さあ、ここに集いし民たちよ! これより、アデン国における最高峰の一騎打ちが始まる!」
観客の歓声が地鳴りのように広がる。
シャッセは劇的に右腕を振り上げた。
「一方は、王位継承権を持ち、数々の戦場でその剣を振るい、圧倒的な力を誇る男! アデン国が誇る貴公子――ニヒル様!!」
「殿下! 殿下! 殿下!」
呼び声が城の壁を揺るがすほどに響き渡る。
そして、シャッセは今度はゆうを指し示した。
「対するは――先日隣国ホウコーからアデン国に突如として現れ、貴族ジロームを馬ごと吹き飛ばすという異例の勝利を飾った謎の戦士! その名も――ゆう!!!」
「ゆう! ゆう! ゆう!」
今や、その声援は五分五分に割れていた。
のぞみは王族席からゆうの姿をじっと見つめ、心の中で祈る。
「お願い……ゆう君、ヘーラーの特殊能力を解放して……ニヒルを葬り去って……そして、私たちを現世に連れて帰って……!」
戦場に立つゆうの目は、静かに燃えていた。
この戦いで、全てを決める。
全てを――取り戻す。
進行役シャッセが高らかに声を上げた。
「――始めッ!!」
その瞬間、ゆうとニヒルの馬が一斉に駆け出した。
荒々しく踏み鳴らされる蹄の音が中庭に響き渡る。砂煙が舞い上がり、二頭の馬は一直線に向かい合う。
観客たちは興奮を抑えきれず、拳を突き上げる。
「行けぇっ!!」
「ニヒル様!! 勝利を!!」
「ゆう! ゆう! 前みたいに吹き飛ばせ!!」
ゆうは、のぞみの視線を背に受けながら、剣を握り締めた。馬を走らせる振動が腕に伝わる。しかし、彼の心は揺るがない。
一気に間合いを詰め――
ボッ!!
黄色い炎がゆうの剣を包み込む。
そのまま、強烈な一撃を振り下ろした。
ギィィィン!!
鋼と鋼がぶつかり合い、火花が弾ける。
ニヒルは涼しい顔でそれを受け止めた。そして、口元に笑みを浮かべる。
「ほう……なかなかの力だ」
剣を押し返しながら、彼は楽しげに目を細めた。
――だが、ゆうはすぐに違和感を覚えた。
(おかしい……)
確かに、今の攻撃には力を込めた。マムから授かった特殊能力をしっかり意識しているはずだ。
それなのに――ニヒルは押されていない。
むしろ、剣を合わせたまま平然としている。
二人の剣戟は止まらない。馬を走らせながら、互いの刃を叩きつけ、弾き、跳ね返す。鋭い打撃音が連続し、観客は絶叫した。
「すげぇ!!」
「ニヒル様に食らいついてるぞ!!」
「こんな戦い、見たことねえ!!」
ゆうは更に剣を振るった。だが、ニヒルも同じだけの速さと正確さで迎え撃つ。
(押し切れない……)
次の瞬間――
ブォッ!!
ゆうは意識をさらに研ぎ澄ませ、ヘーラーの力を解放する。
まばゆい黄色の炎が一気に燃え上がった。
馬のたてがみまでその光を帯び、ゆうの全身が炎の揺らめきに包まれる。
この状態なら、ジロームを吹き飛ばしたとき以上の力を出せる――そう確信し、渾身の一撃を放った。
ゴォォォッ!!
火を纏った剣が唸りを上げ、ニヒルへと振り下ろされる。
しかし――
ガキィィン!!
ニヒルは剣を構え、寸分違わず受け止めた。
「ぐっ……!」
確かにニヒルの馬は少し後退した。しかし――それだけだった。
吹き飛ばない。
ジロームを粉砕したときのような威力は出ていない。
(なぜだ……! 今、出せるだけの意識をしたはずなのに……!)
焦りが胸を締め付ける。
その隙を見逃さず、ニヒルの目が鋭く光った。
「そろそろ……こちらから行かせてもらおうか」
ニヒルの剣が、一瞬にして鋭い弧を描いた。
ギンッ!!
ゆうは反射的に防いだが、衝撃で腕がしびれる。
次の瞬間、ニヒルの猛攻が始まった。
ギィン! ギンッ! ギンッ!!
速い。重い。正確。
ゆうは必死にヘーラーの力を使いながら剣を受け止めるが、押されていく。
ニヒルは笑みを浮かべたまま、冷酷なまでに攻撃を繰り出してくる。
「どうした?さっきの勢いは」
その言葉に、ゆうは奥歯を噛みしめる。
剣を振るうたびに、ニヒルの攻撃が鋭さを増してくる。
馬を操りながら、防ぐのが精一杯だった。
「おいおい、手が止まってるぞ?」
ニヒルの剣が横薙ぎに閃く。
ゆうは反射的に体を仰け反らせ、ギリギリでかわした。
しかし、バランスを崩しそうになる。
観客は沸き立つ。
「ニヒル様が押してる!」
「ゆう! 耐えろ!」
「ここで終わるのか!?」
王族席から、のぞみが拳を握りしめていた。
「ゆう君……!」
ゆうは必死に剣を振るい、防戦する。
だが――このままでは、確実に押し切られる。




