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占いの館で彼女を奪われ、異世界で王族の婚約者にされたので、僕は必ず取り戻す  作者: 播磨 颯太


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33. 未の刻の崩壊──暴かれた仮面

アデン国 パール城 中庭 未の刻


澄んだ空に光る月が、中庭の大理石の床に淡い光を落としている。王侯貴族たちは優雅に笑い、金や銀の杯を手に語らい、夜宴の余韻を楽しんでいた。貴族の夫人たちは刺繍の入った扇で顔を仄かに隠しながら、政の話に興じ、騎士たちは城の外れで静かに見守っている。


その中に、貴族の女性として変身したトキュー(ゆう)と、優雅なドレス姿ののぞみがいた。


久しぶりに手を握れた。温かく、確かに生きている温もり。


「ゆう君、元気だったの?」


のぞみは小さな声で囁く。目は潤み、懐かしさと安堵が混ざった表情をしていた。


「うん。のぞみさんは?」


「私は……大丈夫。でも、すごく会いたかった」


二人の手が互いに強く握られる。しかし、ゆうの脳裏には、未の刻を過ぎれば変身の魔法が完全に解けるという、ふわりの言葉が響いていた。


「のぞみさん、僕たちの世界に戻れる方法があるんだ」


ゆうは、そっと懐から透明な蜜の小瓶を取り出し、のぞみに見せた。


「これは……?」


「マムからもらったんだ。占いの館で僕たちが飲んだ蜜と同じもの。これを二人同時に飲めば、僕たちの世界に戻れる」


のぞみはゆっくりと頷いた。


しかし、その時——。


「お二人とも、随分と親しげに話していらっしゃるようですね?」


突然の声に、二人は息を呑んだ。


アナが、貴族らしい優雅な微笑みを浮かべながら、二人に近づいてきた。


「お話し中失礼。ですが、これは良い機会ですわ。トキュー殿、あなたは最近のアデン国の政治状況について、どのようにお考えでしょう?」


「……え?」


「最近の王宮内での権力争い、知っていらっしゃるでしょう?特に、北部貴族派と王党派の間の微妙な駆け引きが続いておりますが、あなたの立場としてはどちらに?」


次々と繰り出される政治の話題。しかも話が妙に長い。


(まずい、時間がどんどん過ぎていく……)


ゆうは内心焦りながらも、なんとか適当に相槌を打つ。


「……そうですね。難しい問題ですね」


「ええ、とても。例えば、ニヒル様の派閥が最近——」


(いや、長い!!)


のぞみもチラリとゆうを見る。小声で「どうするの?」と囁くが、アナがすぐに話を続けるので、それどころではなかった。


さらに——。


「トキュー殿?」


アナがふと、じっとゆうの顔を見つめた。


「……あなた、少し顔が変わってきていません?」


ゆうの心臓が跳ね上がる。


「そ、そんなことはないですよ」


「でも、なんだか……輪郭が違うような? それに……あれ? 声も少し低くなったような気がしますわ」


のぞみは息を呑んだ。目を凝らして、ゆうの顔を見つめる。


(……戻ってる!?)


のぞみは思わず目を見開いた。


トキューの姿だったはずのゆうの顔が、ゆっくりと元のゆうの顔に戻りつつある。魔法が弱まり、効果が切れ始めているのだ。


(まずい!!)


ゆうは、こっそりとマムからもらった小瓶を握りしめる。


「のぞみさん、下から渡すから。受け取って…」


小瓶を袖の内側から滑らせ、のぞみに手渡そうとする。しかし、距離が微妙に届かない。


アナは不思議そうに二人の様子を見ている。


「トキュー殿、少し様子が変ですね?」


「い、いえ……そんなことは……」


焦るゆう。手を伸ばす。


(届いて……!)


のぞみも、そっと手を伸ばす。


あと少し——。


そして、ついに——。


小瓶が、のぞみの手に渡った。


二人は思わず微笑む。


しかし、その瞬間——。


カランッ!


小さな音が響いた。


ゆうの手から、自分の小瓶が滑り落ちた。


(しまった……!)


青ざめるゆう。


落としたものは、従者が拾うのがこの場の作法。しかし、従者が気づけばこの小瓶が何なのか疑われる。


幸い、今のところ誰も気づいていない。


しかし、ゆうは自分で拾えない。拾えば目立ってしまう。


「のぞみさん、早く飲んで」


「でも、ゆう君は?」


「僕のことはいい。のぞみさんだけ戻って!」


「そんなことできない。ゆう君がいない世界に帰るくらいなら、私はここにいる!」


その時、アナがゆうの顔をジロジロと見始めた。


「……トキュー殿、やはりおかしいですわ。顔が……」


ゆうは、危険を感じ、立ち上がった。


「……ちょっと、お手洗いに」


そう言って、城内へ向かう。


歩きながら、涙がこぼれる。


(のぞみさん……早く飲んで……!)


しかし、貴族婦人たちがその後ろ姿を見ていた。


そして、驚愕する。


トキューの貴族夫人の衣装が崩れ、巻き髪がほどけ、ゆうの本来の姿が露わになっていく。


貴族婦人たちはざわめき、衛兵たちも異変に気づいた。


ゆうは早足で城内へ向かう。


しかし、城門の前で——。


完全に魔法が解けた。


ゆうの姿が、一気に男性貴族の姿へと戻る。


衛兵たちはその後ろ姿を見て、目を見開いた。


「……!!」


「曲者!!曲者!!」


怒号が、パール城内に響き渡る。


魔法が、完全に解けた。


ゆうが駆け込んだ城内の扉が、重く閉ざされる。その瞬間、のぞみは祈るように目を閉じた。


お願い、生きてて、ゆう君。


息が詰まるような緊張が、胸を締めつける。


もし、あの時――蜜を飲んで、先に現世へ戻っていたら?


そう考えるだけで、のぞみの指先が震えた。


ゆうは、ここに残され、小瓶を拾う間もなく魔法が解けたはず。


そして、衛兵に囲まれ、為す術もなく捕らえられていたに違いない。


その最悪の未来を、ほんのわずかな選択の違いで回避した。


だが、それでも――この場の緊張は、まだ解けない。


「お嬢様、ご無事ですか?」


甲冑の重厚な音と共に、衛兵がのぞみのもとへ駆け寄る。


長槍を携えた男たちは、一斉にのぞみを囲み、その顔には緊迫した色が浮かんでいた。


「怪我はありませんか?」


衛兵の態度は礼儀正しい。だが、その視線は鋭く、疑念を孕んでいた。


のぞみは静かに息を整え、動揺を悟られぬよう、落ち着いた声で答える。


「……ええ、大丈夫です。ただ、突然のことで驚きました」


衛兵たちは、次に視線を交わし合いながら、問う。


「逃げた男――やつはあなたに何をしましたか?」


のぞみの胸が、一瞬だけざわめいた。


正直に話すことなど、できるはずがない。


ゆうを守るために、適当な答えを――


「……何か、貴族の家柄の話をしていました」


「貴族の家柄?」


「ええ。自分は、クカイン家の者だと」


その言葉に、衛兵たちが顔を見合わせる。


「クカイン……?」


「聞いたことがあるか?」


「……いや、初めてだ」


「本当に存在するのか?」


衛兵たちは首を傾げ、互いに意見を交わすが、誰一人として確かな情報を持っていなかった。


それはそうだ。存在しない貴族の名なのだから。


のぞみは、その混乱に乗じて、そっと視線を落とす。


ゆうが落とした透明な蜜の小瓶が、地面に転がっていた。


誰も気づいていない。


慎重に、しかし素早く、その小瓶を拾い上げ、懐へと滑り込ませる。


これで、のぞみのもとには二つの蜜がある――


――――――――――――――――――――――――――――――――


パール城 ゆうの部屋


扉を閉めるなり、ゆうは荒い息をついた。


全力で走ったせいで、肺が痛むほどだった。


「……くそっ……ギリギリだった……」


喉の奥が焼けつくように熱い。


足元の床が、じんわりと揺れて見えるほど、心臓が激しく脈打っていた。


「……どうでした!?」


室内にいたカオリが、驚いたように顔を上げる。


美しい黒髪を揺らしながら、ゆうをじっと見つめた。


「……もう少しのところで、魔法が解けた。追われることになった」


「……!!」


カオリの表情が、一瞬にして凍りつく。


「間もなく、衛兵が聞き込みに来ます……」


「……!」


カオリが瞬時に状況を理解し、息を呑んだ。


ゆうが床に座り込むより早く――


ドンッ!!


扉が激しく叩かれ、次の瞬間、乱暴に開かれる。


「失礼する!」


――衛兵が、入ってきた。


「……何のつもりです?」


カオリの声が冷たく響く。


彼女はゆうの前に一歩進み、鋭い視線で衛兵たちを睨みつけた。


「貴族の部屋だと分かっているのですか?」


その威圧的な一喝に、衛兵たちの顔色が変わる。


彼らは一瞬戸惑い、すぐに姿勢を正し、深く頭を下げた。


「……失礼しました。逃亡者に関する聞き取りを行っています」


「聞き取り?」


「ええ。この時間、トキュー――クカイン家の者だと名乗った男を見ていないかと」


カオリがちらりとゆうを見る。


ゆうはすぐに表情を整え、静かに言った。


「私は、一日中部屋にいた」


それを受けて、カオリもすかさず言葉を重ねる。


「ゆう様は、この部屋から一歩も出ておりません」


衛兵たちは顔を見合わせ、部屋の中を一瞥する。


明らかに逃げ込んだ形跡がないことを確認し、ようやく疑いを解いたようだった。


「……お邪魔しました」


深く一礼し、衛兵たちは部屋を後にする。


ゆうとカオリは、その背中をじっと見送り、扉が閉まると、同時に息を吐いた。


「……助かった……」


「本当に、ギリギリでしたね」


ゆうは椅子に身を預け、疲れ果てたように天井を仰ぐ。


「……あとは、のぞみさんが無事でいてくれることを願うしかないな」


――申の刻、危機は去った。だが、全てが終わったわけではない。

ゆうは拳を握りしめたまま、静かに目を閉じた。

その胸の奥で──重い気配が確かに蠢いていた。

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