28. 静寂の尋問──崩れ落ちる真実
アデン国――パール城、ゆうの部屋。
室内の空気は、重く張りつめていた。
ゆうとカオリは並んで立たされ、その周囲を無言の衛兵たちが半円状に取り囲んでいる。甲冑の擦れる音すら控えられ、わずかな呼吸音だけが静寂の中に浮かび上がる。
扉の向こうから、規則正しい足音が近づいてくる。
やがて、それは止まった。
ゆっくりと扉が開く。
現れたのは――ニヒル。
生きている。
その事実だけで、ゆうの喉は乾ききっていた。
ニヒルは無言のまま室内へ足を踏み入れ、ゆうの正面まで歩み寄ると、ほんのわずかに顎を傾ける。
「……今日は、どこにいた?」
声は低く、落ち着いている。
怒気はない。
だが、その静けさこそが、かえって底知れぬ圧力となって空間を支配していた。
ゆうの心臓が、大きく脈打つ。
(まずい……)
言葉が出ない。
ほんの一瞬の沈黙が、永遠のように伸びる。
「……この部屋に、おりました」
ようやく絞り出した声は、自分でもわかるほど硬い。
ニヒルの目が、細くなる。
「本当か?」
「……本当でございます」
間髪入れずに返す。
だが、次の問いが突き刺さる。
「証明はできるか?」
(……っ)
詰まる。
何も用意していない。
何も考えていない。
思考が白く飛びかけた、その瞬間。
「……従者が、証言いたします」
咄嗟に言葉が滑り出た。
横に立つカオリの肩が、わずかに震えるのがわかる。
ニヒルの視線が、ゆっくりとカオリへ移る。
「従者……本当か?」
沈黙。
カオリは答えない。
いや、答えられない。
その横顔に、細い汗が伝っている。
ニヒルはその様子を見つめたまま、ゆっくりと腰の剣に手をかける。
鞘から抜かれる音が、異様に大きく響いた。
「……偽証した場合、どうなるかは分かっているな」
刃が、わずかに光を帯びる。
空気が冷える。
カオリの喉が、小さく上下する。
「……はい……本当でございます」
か細いが、はっきりとした声。
ゆうの胸の奥で、張りつめていた糸がきしむ。
(……すまない、カオリ……)
だが、安堵するには早すぎた。
ニヒルは剣先をゆっくりと持ち上げ、カオリの顔へ向ける。
「では……何をしていた」
逃げ場はない。
カオリの瞳が、一瞬だけ揺れる。
それでも、視線を逸らさない。
覚悟を決めたように、口を開く。
「……ゆう様の御身体の調整を行っておりました」
言葉は静かだが、その内側に張りつめた緊張が滲む。
「昨日の一騎打ちの後遺で、全身に強い負担が残っておりましたゆえ、衣を緩め、筋と関節を一つずつ整え、呼吸を整える施術を行っておりました」
途切れない。
淀みなく続く。
「途中、強い痛みが走る場面もございましたので、ゆう様は声を抑えておられましたが、確かにこの部屋から一歩も外へは出ておりません」
一歩、言葉を積み重ねる。
「施術後は安静にしていただく必要がございましたので、私も側を離れず、経過を見守っておりました」
室内に沈黙が落ちる。
ニヒルは剣先を向けたまま、ゆっくりとカオリの目を覗き込む。
逃げれば終わり。
逸らせば終わり。
その距離。
その圧力。
時間が引き延ばされる。
一秒が、異様に長い。
(見抜かれる……?)
ゆうの背中に、冷たい汗が伝う。
鼓動が耳鳴りのように響く。
カオリは動かない。
ただ、じっと見返している。
やがて。
「……フン」
短い吐息。
ニヒルは剣を下ろし、そのまま鞘へと戻す。
緊張が、一気にほどける。
「よい」
それだけを残し、踵を返す。
衛兵たちも無言で続き、部屋から出ていく。
扉が閉まる。
静寂。
次の瞬間。
「……はぁ……っ……」
カオリがその場に崩れ落ちる。
ゆうもまた、膝から力が抜け、床に座り込む。
全身から力が抜けていく。
しばらく、言葉が出ない。
やがてカオリが、息を整えながら顔を上げる。
「……ゆう様……もしかして本当に…」
その声は震えている。
ゆうは、少しだけ目を伏せる。
そして、静かに答える。
「……そうだ。ニヒルを……暗殺しようとした」
カオリの目が見開かれる。
「毒の吹き矢を……心臓に当てた」
言葉が落ちる。
部屋の空気が再び重くなる。
「……それなのに……なぜ……」
ゆうは呟く。
(確かに当たった……間違いなく……)
(毒も……マムのものだ……)
(マムが……間違えるはずがない……)
「なぜ……生きている……?」
問いは、空中に浮かぶ。
カオリはゆっくりと息を吸い、静かに答える。
「……アデン国では、王族および要人は急所を守るため、衣の下に鋼鉄の防具を装着しております」
その言葉が、ゆうの思考を止める。
「心臓部は特に厳重に守られておりますので、吹き矢程度では貫通は不可能でございます」
理解が、遅れてやってくる。
(……防具……)
(じゃあ……あの一撃は……)
ただの衝撃。
それだけ。
ゆうの肩が、ゆっくりと落ちる。
「……そんな……」
喉から漏れた声は、力を失っていた。
(守られていない場所を……狙うべきだった……)
首。
顔。
いくらでもあったはずの隙。
それなのに。
(僕は……)
最大の機会を、逃した。
ゆうはそのまま俯き、拳を強く握りしめる。
爪が食い込む。
それでも、何も取り戻せない。
部屋の中には、まだ先ほどの緊張の残滓が漂っている。
ゆうは拳を握りしめたまま、ゆっくりと顔を上げた。
胸の奥に沈んだ絶望は、まだ重く動かない。
だがその奥で──
かすかな熱だけが、消えずに残っていた。




