25.森の影──ゆう、迫る決断
アデン国――ピユウ山、パール城領内の森。
ニヒルの乗った馬が木々の奥へと消えていくのを確認し、ゆうは周囲に視線を巡らせながら、あえて間を置いてからゆっくりと後を追うが、馬の足音を極力立てぬよう手綱を調整しつつ、気配を殺して進むその姿は、もはや獲物を狙う狩人そのものだった。
やがて、木々の密度が増し、陽の光がまだらに地面へと落ちる静かな場所へ差しかかると、先に入ったニヒルの姿が視界に入る。
ニヒルは馬を降り、大木の根元、その影の中に無造作に身体を投げ出すように寝転がっており、片手で額を押さえながら荒い息をついている。
完全に気が緩んでいる。
(……今なら……)
ゆうは少し離れた位置で足を止め、木の幹の影に身を寄せながらニヒルを見据える。
周囲は静まり返っている。
先ほどまで響いていた王の一団の気配は、すでに遠くへと離れていた。
鳥の声すら、まばらだ。
そして――ニヒルは一人。
護衛の衛兵を遠ざけたのか、近くに人影はない。
(……やるなら……今だ……)
胸の奥で、確信が芽生える。
だが同時に、冷静な判断も浮かぶ。
(……この距離じゃ……無理だ……)
吹き矢を命中させるには遠い。
確実性が足りない。
(……近づくしかない……)
決断。
ゆうは息を止めるように浅くし、足音を完全に殺しながら一歩を踏み出す。
草を踏む感触。
土の柔らかさ。
すべてを足裏で感じ取りながら、音を立てないよう慎重に進む。
(……静かに……)
衣の内に忍ばせた吹き矢に、指先で触れる。
ある。
冷たい感触。
確かな存在。
(……いける……)
視線を上げる。
ニヒルは寝転がったまま動かない。
だが、体勢が悪い。
狙いが定めにくい。
(……もう少し……)
さらに一歩。
また一歩。
距離が縮まる。
鼓動が強くなる。
(……近い……)
耳の奥で、自分の心臓の音がうるさいほど鳴る。
(……落ち着け……)
呼吸を抑える。
だが、速い。
止まらない。
(……今だ……)
そのとき。
パキッ。
乾いた音。
「……っ!!」
足元に、折れた枝。
一瞬で血の気が引く。
直後。
バサバサバサッ!!
周囲の鳥たちが一斉に騒ぎ、空へと飛び立つ。
静寂が、破られる。
「誰だッ!?」
ニヒルが飛び起きる。
鋭い声。
ゆうは反射的に地面へと身を伏せ、草むらの中へと身体を沈める。
(……やばい……!)
完全に息を止める。
動くな。
気配を消せ。
ニヒルが立ち上がる。
周囲を見渡す。
警戒と殺気が空気を支配する。
ゆうは草に身を埋めながら、視線だけでその動きを追う。
(……見つかるな……見つかるな……)
鼓動が暴れる。
だが動けない。
ニヒルが、一歩ずつ近づく。
(……来るな……)
さらに一歩。
(……来るな……!)
願いとは逆に、距離が縮まる。
足音。
草を踏む音。
すぐそこ。
(……まずい……)
ゆうの喉が乾く。
指先が震える。
草むらを隔てて、もう目の前。
息遣いすら感じる距離。
(……やるしかない……)
覚悟が走る。
ゆうはゆっくりと吹き矢を取り出す。
音を立てないように。
慎重に。
だが、内側は限界。
(……ここで……仕留める……)
緊張が、頂点に達する。
その瞬間。
「ニヒル様!!」
遠くから衛兵の声。
「陛下がお呼びでございます!!」
ニヒルの動きが止まる。
「……ちっ……」
舌打ち。
苛立ち。
だが、従うしかない。
ニヒルは視線を周囲から外し、呼びに来た衛兵の方へと歩き出す。
そのまま、離れていく。
一歩。
また一歩。
距離が、開く。
(……助かった……)
全身から力が抜ける。
吹き矢を持ったまま、ゆうはその場に伏せ続ける。
ニヒルの姿が小さくなる。
やがて、見えなくなる。
完全に。
「……っ……はぁ……」
止めていた息を、一気に吐き出す。
肺が空気を求める。
心臓がまだ暴れている。
手が、わずかに震えている。
(……紙一重だ……)
あと一歩で、終わっていた。
すべてが。
ゆうはゆっくりと身体を起こし、周囲を確認してから静かにその場を離れる。
そして、あらかじめ遠くに繋いでおいた馬の元へと戻り、音を立てぬように跨ると、何事もなかったかのように進路を変え、王の一団の方角へと戻っていく。
その背中には、まだ消えきらない緊張と、確実に近づいている“機会”の気配が残っていた。




