24.狩りの山──訪れた機会
アデン国――ピユウ山、巳の刻。
朝の光が山肌をなぞるように差し込み、湿った土と草の匂いが立ちのぼる中、国王ガウバーを先頭にニヒル、そして大勢の貴族たちが馬にまたがってゆっくりと山道を進み、その周囲を取り囲むように衛兵たちが徒歩で付き従っている行列は、まるでこの地そのものを支配しているかのような威圧感を放っていた。
しかし、その中心にいるはずのニヒルは威厳とは程遠く、昨夜の社交会で飲みすぎたワインがまだ抜けていないのか顔色は青白く、時折こみ上げる吐き気をこらえるように眉をしかめながら、馬上で体勢を崩しそうになっている。
その少し後方で、ゆうは同じく馬に乗りながら静かにその様子を観察していたが、本来なら乗り慣れていないはずの馬の背で不思議なほど安定しているのは、昨日の一騎打ちでマムから与えられたヘーラーの力を発揮した感覚が、今もなお身体の奥に残っているからだった。
手綱を握る指先に違和感はない。
重心の取り方も、馬の揺れへの対応も、まるで昔から知っていたかのように自然に身体が動く。
(……使える……)
ゆうはわずかに視線を細めながら、前方のニヒルを見据える。
(いつだ……)
吹き矢を放つ機会を探る。
だが、今は無理だ。
ニヒルの周囲には常に衛兵が付き従い、どの角度から見ても死角がない。
仮に今ここで放ったとしても、命中した瞬間に自分がやったと露見し、その場で取り押さえられるのは明白であり、そうなれば――
(のぞみを……助けられない)
その一点が、ゆうの行動を縛る。
そのとき、遠くから、張り上げるような声が響く。
「来るぞぉっ!!放ったぞぉっ!!右手だ、右手ぇっ!!」
山にこだまする荒々しい声。
猟師だ。
とはいえ本物の狩りではない。
王族と貴族たちを楽しませるため、あらかじめ仕込まれた獲物を放つ役割。
直後、数頭の猟犬が一斉に吠え声を上げ、声のした方向へと勢いよく駆け出していく。
「ガウッ!ガウッ!」
土を蹴り、草をかき分ける音。
その流れの中で、草むらから一匹の兎が飛び出す。
白い毛並みが陽光を反射し、素早く地面を蹴って逃げる。
ガウバーはそれを見逃さず、近くの貴族に顎で合図する。
「やってみよ」
指名された貴族は慌てた様子を見せながらも弓を構え、弦を引き絞り、放つ。
ヒュン、と風を切る音。
だが矢は大きく逸れ、兎の後方へと突き刺さる。
わざとだ。
場の空気を読んでの失敗。
次の瞬間、周囲からくすくすと笑い声が広がる。
「ははは、惜しいな」
「もう少しであったぞ」
軽口が飛び交う。
その空気を満足そうに見渡したガウバーが、ゆっくりと口を開く。
「では――今から余がやる、よく見ておけ」
その声には、揺るがぬ自信が滲んでいた。
弓を受け取り、構える。
無駄のない動き。
視線は一直線に兎を捉えている。
そして――放つ。
ヒュンッ。
矢は空気を裂き、迷いなく一直線に飛ぶ。
次の瞬間、兎が跳ねる動きを止め、その場に崩れ落ちる。
命中したのだ。
「おおおっ!!」
歓声が上がる。
「お見事でございます!」
「さすがは陛下!」
称賛が一斉に浴びせられる。
ガウバーは満足げに胸を張り、その視線を周囲に巡らせる。
誇示と支配。
それが当然だと言わんばかりの態度。
ゆうもまた、その中で手を叩きながら表面上は称えるが、その目はまったく笑っていない。
(……くだらない……)
内心で吐き捨てながらも、視線は再びニヒルへと向く。
だが、やはり隙がない。
衛兵がぴったりと付き、間合いに入る余地がない。
ゆうはわずかに身体を動かし、衣の内に忍ばせている吹き矢の位置を指先で確かめる。
ある。
確かにある。
それだけで、鼓動がわずかに強まる。
額に、じわりと汗がにじむ。
そのとき。
ニヒルが顔をしかめ、身体を前に折るようにしてガウバーへと馬を寄せる。
何かを囁く。
声は聞こえないが様子で分かる。
昨夜の晩餐会で、大量に飲んだワインからの二日酔い。
ガウバーは一瞬だけ眉を動かすが、すぐに表情を緩めて軽く手を振る。
咎める様子はない。
あまりにも甘い。
ニヒルは小さく頷くと、護衛の衛兵に囲まれたままゆっくりと隊列を外れ、進行方向とは別の森の中へと馬を進めていく。
木々の影の中へ。
薄暗い奥へ。
ゆうはその様子をじっと見つめる。
鼓動が、一段強くなる。
(……まさか……)
視線が細くなる。
衛兵の数。
距離と地形。
一瞬で状況を測る。
(……来たかもしれない……)
胸の奥で、何かが色づく。
緊張。そして――機会。
ニヒルの背中が、木々の影に溶けていく。
ゆうは馬をわずかに進め、吹き矢に触れた。
風が止む。
鳥の声も消える。
世界が、息を潜める。
(……この瞬間を逃すわけにはいかない)
ゆうの視線は、ただ一人の男だけを捉えていた。




