19.暗闇の再会──マムの真実
アデン国 パール城 広間の返し扉の内側
のぞみは床に転がるようにして落ちた。
——暗い。
何も見えない。
広さも分からない。
まるで底なしの闇の中に放り込まれたようだった。
背後の扉は、機械仕掛けのような音を立てて静かに閉じていく。
その直後——
「女の影がこっちに見えた!」
外の広間がざわついた。
「本当か!? 誰もいないぞ!」
「確かにこの広間に見えたんだ!」
くっ…!
のぞみは口元を押さえ、鼓動を必死に鎮めた。
「何やってるんだお前たち!!」
——ニヒルの怒鳴り声が響く。
広間に、追っ手が集まり始める気配。
扉一枚隔てた向こうに、彼らがいる。
私が戻ってこないのを、不審に思ったんだ…
「逃亡した!! 見つけ出して投獄せよ!!」
ニヒルの声が、鋭く空間を切り裂く。
もう戻れない…
見つかったら、終わりだ——
——その時。
暗闇の向こうに、小さな光が見えた。
誰か、いる…!?
光は、少しずつ大きくなっていく。
——近づいてくる?
ヤバい!!
扉の向こうには追っ手がいて、進行方向には光の主がいる。
逃げ場がない。
光が、さらに大きくなる。
暗闇の奥から、足音。
のぞみの全身が粟立つ。
もし追っ手なら… もう、終わりだ。
——でも、何かが違う。
漂う香り。
どこかで嗅いだことがある。
——この香水。
思い出す。
占いの館。
あの時、あの人がつけていたものと似ている。
「……マム?」
声を絞り出す。
けれど、返事はない。
光は、もうすぐそばまで来ていた。
のぞみの顔を、温かい光が照らす。
そして、その光を持つ人物の顔が浮かび上がる。
——その輪郭。
——その髪。
「マム!!」
のぞみの声が、闇を切り裂いた。
「のぞみ様… 遅くなり申し訳ありません…」
静かな声が、光と共にのぞみを包み込む。
——助かった。
そう思った瞬間、のぞみの膝から力が抜けた。
どさりと座り込む。
胸が波打つ。
全身が震える。
「……良かった…」
涙が滲みそうになるのをこらえながら、のぞみはマムを見つめる。
のぞみは、目の前にいる小柄な少女――マムを見据える。
「マム……あの時、占いの館で私とゆう君に渡したメモ……あれは、ここのことだったの?」
低く、しかしはっきりとした声。のぞみの問いに、マムはゆっくりと頷いた。
「……はい。分かりにくくて申し訳ありません。発覚した時、のぞみ様の身が危険にならないよう、暗号にしました」
どこまでも丁寧な口調。だが、その奥に秘められたものは単なる忠誠ではない。のぞみは眉をひそめた。
「じゃあ、占いの館にいる時にはもう、私とゆう君がアデン国に来ると分かっていた?」
マムは目を伏せ、一瞬だけ躊躇う。けれど次の瞬間、まっすぐにのぞみを見上げ、静かに言った。
「はい。……国策により」
「国策……?」
のぞみの心臓が不吉な音を立てた。つまり、自分たちがこの世界に引き寄せられたのは、最初から仕組まれていたということ?
「でも……」のぞみは一歩踏み込むように言った。「なぜ、アデン国側にいるあなたが、私を助けようとするの?」
しばしの沈黙。マムの瞳が、燭台の光を受けてかすかに揺れる。
「この国の愚かな王族のことなど、どうでもいいのです」
その言葉に、のぞみは息を飲んだ。マムの口調は穏やかだったが、その瞳には強い決意が宿っていた。
「……のぞみ様とゆう様が仲睦まじく過ごされる姿を見て、のぞみ様がニヒル様と婚姻するのは、どうしても阻止したいと思いました」
マムの言葉が、広間の静寂に深く沈んでいく。
「……じゃあ、今すぐ私たちを占いの館ふわりとマムに帰して」
そう言うと、マムはそっと胸元に手を入れ、小さな瓶を取り出した。瓶の中には、淡く光を帯びたトロリとした透明の蜜。
「これを飲めば帰ることができます」
のぞみは息を呑んだ。これは、ゆうと共に占いの館で飲んだものと同じ――つまり、アデン国へのタイムスリップを引き起こした薬。
けれど。
――今、ここに、ゆう君がいない。
(……私だけ……?)
そんな選択肢はあり得ない。
「……無理……」
小さく、呟く。
(優先順位は……決まってる)
自分じゃない。
――ゆう。
(私が残ることになっても……)
のぞみは拳を握る。
(ゆう君は……帰す)
その意思が、はっきりと形になる。マムは、その表情をじっと見つめていた。
「……いかがなさいますか」
静かな問い。
「ただし……」
小瓶のコルクに、指をかける。
「これを開ければ……効力は十分ほどで失われます」
「十分……」
選択の猶予は、ほとんどない。
「……飲めないわ」
「のぞみ様?」
「ゆう君をおいて帰ることはできない」
マムが驚いたようにのぞみを見つめる。
「ゆう君は今どうなっているの?」
自分でも無理な問いだと分かっていた。マムがそんなこと知るはずがない。
しかし。
「ゆう様は今…」
マムはゆっくりと近づいてきた。
「……マム?」
のぞみは戸惑った。マムは両手をそっとのぞみの頭に添え、ゆっくりと顔を近づけてくる。
「……っ」
さらに顔が近づく。もう鼻と鼻が触れそうな距離。
息さえも感じる。
え?私に口づけるの?
思わず、のぞみは目を閉じた。
しかし、次の瞬間。
マムの額が、のぞみの額にそっと触れた。
その瞬間――
ふわっ……と、のぞみの脳裏に、まるで霧が晴れるように光景が広がった。
(何……これ……?)
まるで、別の場所を直接見ているような感覚。視界には、広大な戦場。中央には円形の闘技場。そして、そこに集う無数の群衆の歓声。
(……戦ってる?)
のぞみは目を凝らした。
ゆう君は……どこ?
――いない。
血の気が引いた。
私が逃亡したと思われて、捕えられた……?
さらに視線を動かす。探せ、探せ、探せ――
いた!!
そこには、戦場の中心で剣を掲げるゆうの姿。
そして、彼の足元には、倒れ伏すジローム。
「……これは、今……?」
のぞみの呟きと同時に、群衆がどよめき、歓喜の声を上げる。ゆうが、一騎打ちで勝利を収めたのだ。
(よかった……!)
のぞみは胸を撫で下ろした。彼は無事だ。戦いに勝ち、群衆に讃えられている。
すると、ふわりと視界が戻り、のぞみは再び暗闇の広間へと引き戻された。
額を合わせていたマムが、そっと顔を離す。
「……今の、マムの能力?」
「はい」
マムは微笑む。
「ゆう様は、ご無事でしたか?」
その言葉を聞いた瞬間、のぞみの中の緊張が一気にほどけた。
「ありがとう……マム」
涙が出そうだった。安堵と、マムへの感謝が胸を満たす。
――でも、まだ終わりではない。
私は、ゆう君と一緒に帰る。
それまでは、どんな困難があっても、諦めない。




