17.紅蓮の覚醒──ゆう、ジロームを討つ
アデン国 パール城 中庭
落馬したジロームを、ゆうがじっと見下ろしている。
その顔には、いつもの穏やかさも、迷いもない。
ただ静かに、不敵な笑みを浮かべていた。
「ゆう君、どうなってるの……?」
のぞみは唇を噛む。
あんなに泣き虫で、優しくて、争いごとなんて嫌いだったゆうが——
まるで別人のように、そこに立っていた。
ジロームは荒い息をつきながら、ゆうの視線を真っ向から受け止める。
屈辱だった。落馬させられた上、見下ろされるとは——
(馬に乗れと言うことか? なんたる屈辱……)
奥歯を噛み締めながら、ジロームは立ち上がる。
ゆうを睨みつけると、跳ね上がった馬の鞍に勢いよく飛び乗った。
そのまま、怒りに任せて馬腹を蹴る。
「ウオオオオオッ!!!」
雄叫びと共に、ジロームが突進する。
——ガキィン!!!
剣が激しくぶつかり合う。
鋼と鋼が火花を散らし、そのたびに空気が震えるようだった。
観客たちは総立ちになり、狂乱のような歓声が響き渡る。
ゆうの腕に衝撃が伝わる。
重い。だが、押し負ける気はしない。
どこかで——むしろ、楽しいとさえ感じている自分がいた。
しかし——
視界の端で、異様な動きがあった。
ニヒルだ。
奴は、のぞみの顎を掴み、まるで見せつけるように——
口づけするような仕草をしている。
のぞみは強く顔を背け、嫌悪感に満ちた目でニヒルを睨んでいた。
「のぞみさん!!」
ゆうの胸に、強烈な怒りが突き上げる。
全身が燃えるような熱を帯び——
ボゥッ!!!
青白い炎が、一瞬で真紅へと変わった。
その光景に、ジロームの顔が引きつる。
「なっ——!?」
その瞬間だった。
「オオオオオオォォッ!!!!!」
ゆうは雄叫びと共に、剣を振りかぶる。
——大喝一声・真向斬り——
ズオオオオオオオッ!!!
天地が裂けたかのような轟音が響く。
剣が届くはずもない距離——
だが、ジロームは馬ごと吹き飛ばされた。
「ぐっ……!!!」
ジロームの馬は、地面に叩きつけられると、すぐに起き上がった。
しかし、恐怖に駆られたのか、嘶きながらその場から駆け去っていく。
ジロームは——動かない。
場内が、一瞬で静まり返る。
誰もが、目の前で起こったことを理解できず、ただ息を呑んでいた。
進行役のシャッセが、ジロームに近づく。
耳を澄ませるが、気配はない。
もはや、試合続行などあり得なかった。
シャッセは、静かに手を上げ——
「試合終了——勝者、ゆう!」
その瞬間、会場は爆発したような歓声に包まれた。
「おおおおおおおおおお!!!」
「なんだ今の!?」「あれが人間の力かよ!?」
人々は興奮し、ゆうの名を叫ぶ。
その喧騒の中——
ふわりとマムが、静かに佇んでいた。
「青白い炎から赤……なかなかの力ですね、へーラーは」
ふわりが、穏やかに言う。
「ありがとうございます、ふわり様」
マムは膝を折り、静かに答えた。
「良いのですか? ゆうがニヒルを倒せば、アデン国王族は断絶となりますが」
「どうでもいいこと」
ふわりは、目を細める。
ゆっくりと、王族席へと視線を向けた。
ニヒルは——
ニヒルは、気だるげな表情で、従者の女性に腕を揉ませている。
戦いなど興味がないとでも言うように——
「……あれをご覧なさい」
マムが、ふっと笑う。
「自然の摂理ということですね」
ふわりもまた、ゆっくりと微笑んだ。
歓声が中庭に響き渡る。
観戦していた者たちは、誰もが目の前の光景を信じられなかった。
ジローム裁判長——アデン国屈指の剣士であり、数々の戦場をくぐり抜けてきた歴戦の戦士——が、地に伏している。
ゆうの剣は、彼に一度も触れていない。それなのに——
吹き飛ばされた。
まるで、紅蓮の嵐に巻き上げられたかのように。
燃え盛る炎が舞い上がり、ゆうの足元から揺らめく。
剣を握る彼の手は微動だにせず、表情も静かなまま。だが、その背中から立ち上る炎は明らかに異常だった。
「ゆう君……どうなってるの……?」
のぞみは貴族席から身を乗り出すようにして、彼を見つめた。
さっきまでの戦いが夢だったかのように思えた。
ゆう君は、ただの大学生だったはず。
剣など握ったこともない。ジロームに勝てる力などあるはずがない——
でも、あの炎は何?
ただの剣技ではない。これは、普通ではない力。
のぞみは息を呑んだ。
ゆうの身体から立ち上る赤い炎……
さっきまでは光のような青白い輝きだった。
それが今、紅蓮の炎となり、まるで生き物のようにうねっている。
まるで、怒りそのものを纏ったかのように。
そして、ジロームは剣を構えたまま、その衝撃に吹き飛ばされた。
「剣……当たってないのに……」
のぞみの震える声は、誰にも届かない。
しかし彼女の心は、恐怖ではなく、別の感情で支配されていた。
驚愕。そして——畏敬。
そんな中、ふと視線を感じた。
のぞみは目を凝らす。
貴族席の最奥。そこに、一人の少女が立っていた。
小柄で、柔らかな金髪。そして、どこか愛らしい雰囲気。
しかし、ただ可愛らしいだけではない。
どこかで……見たことがある……
誰……だった?
のぞみは目を細めた。
そして、その瞬間——全身が総毛立った。
「……マム?」
驚きに息を飲む。
間違いない。あの少女は、マム。
——占いの館 ふわりとマム で、自分たちを案内し、メモを渡してくれた少女。
もし、自分の力が必要になったら、と。
のぞみは急いで懐からメモを取り出す。
広げると、そこに描かれていたのは——
三頭のライオン。
右端のライオンだけが、他よりもひときわ大きく描かれていた。
「……どういうこと?」
なぜ、ライオン?
のぞみの心は混乱していたが、答えを求めるように、彼女はそばに控えていた従者を振り向いた。
「ヒメン。」
「はい、のぞみ様。」
「……あそこにいる少女を知ってる?」
ヒメンはのぞみの視線を追うが、すぐには分からないようだった。
「どなたのことでしょうか?」
「貴族席の奥……あの小柄な金髪の子。」
ヒメンはしばし沈黙し、それからハッとしたように答えた。
「……マムです。ジローム様の従者です。」
やはり。
のぞみは小さく息を呑んだ。
「マム……」
間違いない。だが、問題はもうひとつあった。
「マムの隣にいるのは?」
見たことのない女性だった。
長い黒髪。鋭い眼差し。そして、ただならぬ気配。
「マムと一緒にいるのなら……ふわり?」
しかし、占いの館のふわりとは、まるで違う雰囲気。
「変身してる……? ふわりなら、それもありえる……」
のぞみは決断した。
「ヒメン。マムに会いたい。」
しかし、従者は即座に首を振った。
「それは叶いません。」
「なぜ?」
「のぞみ様は王族でございます。貴族の従者であるマムとは、身分が違いすぎます。」
「……そんな……」
のぞみは唇を噛んだ。
マムは何かを知っている。
でも、自分は直接会うことすら許されない。
ふと、のぞみの指がメモをなぞる。
ライオンが三頭——
「ヒメン。」
「はい。」
「パール城に……ライオンはいる?」
「いえ。ライオンはおりません。」
「じゃあ、この三頭のライオンは何を意味してるの?」
ヒメンは一瞬考え、それから思い当たったように口を開いた。
「……あるとすれば、広間に飾られている獅子の絵画が三枚。」
のぞみの瞳が大きく見開かれる。
「それだ!」
答えを見つけたように、のぞみは立ち上がった。
「ヒメン、広間に行く!」
「のぞみ様、お待ちください!」
しかし、のぞみは迷わなかった。
マムが残した謎を解くために——
彼女は、紅蓮の炎の揺らめく中庭をあとにした。




