第96話 いつからいるの
四十二日目、午前七時十二分。
高校生はカウンターの前で、注文せずに立っていた。
秩序が顔を上げる。
「ご注文お決まりですか?」
「いや、その前に一個いいですか」
「はい」
高校生は昨日のノートを持っている。
直人は少し離れた席から見ていた。
「何時からいるんですか?」
秩序が答える。
「本日ですか?」
「はい」
「開店中はおりますよ」
高校生が止まった。
「何時から?」
「ご注文でしたら、いつでも承ります」
◇
高校生は席へ戻ってきた。
「答えてないですよね」
直人が言う。
「答えてないな」
「聞き方悪かった?」
「かも」
ノートには昨日の時刻が並んでいる。
一番上は午前五時五十八分。
高校生は新しいページを開いた。
《質問:勤務開始は何時?》
その下に、まだ何も書かなかった。
◇
午前七時二十九分。
今度は森田が行った。
「ちょっと聞いていい?」
秩序が笑顔を向ける。
「はい」
「今日、何時に仕事始めたの?」
「本日も営業しております」
「それは分かる。あなたが何時から働いてるか」
「お客様のご利用中は対応いたします」
森田が振り返る。
高校生が遠くから首を傾げた。
◇
午前七時三十二分。
森田が戻る。
「駄目だ」
「分かってて答えない感じ?」
直人が聞く。
「分からん。質問と答えが少しずれてる」
「勤務時間って言えば?」
黒瀬が言った。
高校生が立つ。
「行ってきます」
「注文もしてこいよ」
直人が言う。
「じゃあポテト」
◇
午前七時三十五分。
「ポテト一つ」
「かしこまりました」
「あと、勤務時間って何時から何時までですか?」
秩序は端末を操作する。
「営業時間中はご注文いただけます」
「営業時間じゃなくて、あなたの」
「私が対応可能な間は対応いたします」
「それ、いつまで?」
「必要でしたら、次のご注文も承りますよ」
「……ポテトだけでいいです」
「かしこまりました」
◇
午前八時四分。
ノートに三つの返答が書かれた。
《開店中はおります》
《利用中は対応します》
《対応可能な間は対応します》
由佳が読む。
「嘘は言ってない感じする」
「でも何時からかは分からない」
高校生が言う。
「何時までかも」
「聞いちゃいけないのかな」
美咲が言った。
「怒られてないし、聞くのはいいんじゃない?」
直人が答える。
◇
午前九時十八分。
五十代の男がカウンターへ行った。
昨日は一日ほとんど休んでいた男だった。
「姉ちゃん、昨日もいたよな」
秩序が答える。
「ご利用ありがとうございます」
「一昨日も?」
「いつもご利用ありがとうございます」
「何日前からここにいる?」
秩序は少しだけ首を傾げた。
「当店のご利用についてでしょうか?」
「いや、あんたが」
「私はただいまご注文を承れます」
男はしばらく秩序を見る。
「そういう答えになるのか」
秩序は笑顔のままだった。
◇
午前十時二十六分。
高校生がノートに線を引いた。
《分かったこと》
その下へ書く。
《勤務開始時刻 不明》
《勤務終了時刻 不明》
《交代 未観測》
《質問すると、営業・注文・対応について答える》
直人が最後の一行を見る。
「知らないのか、言えないのかも分かんないな」
「はい」
「じゃあそこも書かない方がいい」
高校生は頷いた。
◇
午後零時十三分。
昼の客が増えた。
秩序は注文を取っている。
「セットのドリンクはいかがなさいますか?」
客が答える。
「コーラで」
「かしこまりました」
そのやり取りだけなら、何も変ではない。
直人たちが変な質問をしなければ、秩序はただの店員に見える。
少なくとも、声だけ聞いている間は。
◇
午後二時五十分。
高校生がまたカウンターへ行った。
今度はノートを持っていない。
「いつからいるの?」
朝より短く聞いた。
秩序は答える。
「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」
「俺、注文しない」
「ごゆっくりお過ごしください」
「昨日もいた?」
「またのご利用ありがとうございます」
高校生は笑いそうになって、やめた。
「やっぱ分かんないか」
「お困りでしたら、お声がけください」
◇
午後二時五十二分。
高校生が戻ってくる。
「最後だけ普通に役に立つ答えでした」
直人が笑う。
「店員だからな」
高校生も笑った。
でも、ノートは閉じなかった。
カウンターから声が飛ぶ。
「お次のお客様どうぞー」
高校生はノートへ最後の一行を書いた。
《今日も、開始時刻は聞けなかった。》




