第95話 交代しない人
四十一日目、午前五時五十八分。
高校生がノートに線を引いた。
《秩序》
その下に、時刻を書く。
《5:58 カウンター》
直人が覗き込む。
「何してるの」
「見てるんです」
「何を」
高校生が顎でカウンターを示す。
秩序が客へ紙袋を渡していた。
「ありがとうございましたー」
いつもの声だった。
◇
午前六時四十分。
《6:40 カウンター》
高校生が追記する。
午前七時二十二分。
《7:22 カウンター》
午前八時九分。
《8:09 カウンター》
「ずっと見てるの?」
美咲が聞く。
「ずっとじゃないです。気づいたときだけ」
「それじゃ、いない時間分からないじゃん」
「だから、いた時間だけ書いてます」
直人は少し感心した。
昨日までなら、「ずっといる」と言ってしまいそうだった。
◇
午前九時三十一分。
秩序がカウンターから離れた。
高校生が立ち上がる。
「いなくなった」
秩序はトレーを持ち、客席側へ歩く。
テーブルの横で止まり、落ちていた紙ナプキンを拾った。
そのままゴミ箱へ捨てる。
高校生がノートに書く。
《9:31 客席》
「交代じゃないな」
直人が言う。
「まだ分かんないです」
秩序は厨房脇へ入った。
高校生が時計を見る。
◇
午前九時三十八分。
秩序が戻った。
七分。
「休憩だったかも」
由佳が言う。
「七分で?」
「トイレとか」
「クルーもトイレ行くの?」
誰も知らなかった。
高校生は《9:31》の横に、勝手な説明を書かなかった。
《9:38 カウンター》
時刻だけを残す。
◇
午前十時五十六分。
直人がノートを借りた。
高校生が昼食を買いに行ったからだ。
秩序はカウンターにいる。
別の客へ注文を確認している。
《10:56 カウンター》
書いてから、直人は昨日のことを思い出した。
五十代の男は一時間半眠った。
森田は数時間、奥で眠った。
自分も毎晩眠っている。
クルーについては、七分見えなかった。
今のところ、それだけだった。
◇
午後零時二十二分。
「これ意味あります?」
高校生が言った。
ノートには時刻が十個以上並んでいる。
「一日じゃ分かんないだろ」
黒瀬が言う。
「じゃあ明日も?」
「気になるなら」
「でも俺が寝たら、その間分かんない」
「そうだな」
「誰か夜見ます?」
誰も返事をしなかった。
観察のために眠らない、という案は出なかった。
◇
午後一時四十七分。
森田がノートを読む。
「これ、シフト表じゃないよな」
「見た記録です」
高校生が答える。
「交代したかどうかは?」
「分かんない」
「休んだかどうかは?」
「分かんない」
「ずっと働いてるかどうかは?」
「分かんない」
森田が頷いた。
「じゃあ、それでいいんじゃない」
高校生はノートを閉じかけた。
「でも、交代するところ見た人います?」
今度は全員を見る。
◇
直人。
見ていない。
森田。
見ていない。
由佳。
見ていない。
美咲。
見ていない。
黒瀬。
見ていない。
五十代の男も首を振った。
「俺もない」
高校生がノートを開き直す。
《交代を見た人 0》
その下へ、小さく書いた。
《見ていない=交代していない、ではない》
◇
午後三時十九分。
秩序はカウンターにいた。
朝と同じ姿。
同じ制服。
同じ声。
「店内でお召し上がりですか?」
客が頷く。
高校生が時刻を書く。
《15:19 カウンター》
「名前、秩序で合ってるんだよな」
直人が言う。
「たぶん」
「名札見た?」
高校生がカウンターを見る。
遠くて読めない。
「あとで見ます」
◇
午後五時四十二分。
ノートには十六個の時刻が並んだ。
全部、秩序を見た時刻だった。
間には空白がある。
最長で一時間近い。
「今日ずっといた、とは書けないですね」
高校生が言う。
「うん」
直人が答える。
「でも、交代したとも書けない」
「うん」
「なんか気持ち悪い」
「何が?」
高校生はノートを見た。
「分かんないままなのが」
◇
午後八時十一分。
直人がトイレへ行く途中、カウンターを見た。
秩序がいた。
高校生はもう寝る準備をしている。
直人はノートを開いた。
《20:11 カウンター》
一行だけ追加する。
朝から十四時間十三分。
そのあいだ、秩序を何度も見た。
交代する瞬間は、一度も見ていない。
それでも、十四時間十三分ずっと働いていたとは言えない。
空白がある。
人間が眠る時間もある。
見ていない場所もある。
だから確定したのは、たった一つだった。
四十一日間、誰もクルーのシフト交代を見た覚えがない。
秩序が顔を上げる。
「次のお客様どうぞー」
直人はノートを閉じた。




