第92話 眠る森田
三十八日目、午前二時十七分。
直人は目を覚ました。
喉が渇いていた。
店内の照明は夜用に落としてある。
消えてはいない。
カウンターの奥では、油の小さな音が続いていた。
直人は水を飲み、戻ろうとして足を止めた。
森田が眠っていた。
昨日と同じ、客席から少し離れた場所。
毛布を肩まで引き上げている。
箱は直人たちの側にある。
今夜は誰も森田を呼んでいない。
◇
「ご注文お決まりでしたらどうぞー」
秩序の声がした。
直人はカウンターを見る。
客が一人立っている。
こんな時間でも、店は営業している。
秩序が注文を取る。
別のクルーが厨房で動く。
商品が出る。
客が受け取る。
いつも通りだった。
直人はスマートフォンを見る。
午前二時十九分。
◇
三十八日前。
最初にこの店へ逃げ込んだ夜も、クルーはいた。
翌朝もいた。
昼も。
夜も。
その次の日も。
もちろん、直人が寝ている時間に交代している可能性はある。
奥に休憩室があるのかもしれない。
裏口から別のクルーが来ているのかもしれない。
見ていない時間のことは分からない。
ただ、直人が目を覚ましたとき、店はいつも営業していた。
◇
午前二時二十六分。
高校生が起きた。
「トイレ」
小声で言って歩いていく。
戻る途中、直人が起きているのに気づいた。
「何してるんですか」
「水」
「寝ないんですか」
「寝る」
高校生もカウンターを見る。
「まだやってる」
「二十四時間営業だからな」
「そうですけど」
高校生は森田を見る。
「森田さん、寝てますね」
「うん」
「今日は起こされてない」
「うん」
◇
午前二時三十一分。
高校生が言った。
「店員さんって、いつ寝てるんですかね」
直人は答えなかった。
「交代してるんじゃない?」
自分で言ってみる。
「誰と?」
「別の人」
「見たことあります?」
直人は店内を見た。
今カウンターにいる秩序。
厨房にいるクルー。
何度も見た顔だった。
「全部は覚えてない」
「俺も」
そこで終わった。
確かめる方法は、今のところない。
◇
午前三時四分。
直人はもう一度目を覚ました。
今度は物音だった。
紙袋を畳む音。
カウンターを見る。
秩序がいた。
さっきと同じ制服。
同じ髪。
同じ声。
「ありがとうございましたー」
客を送り出す。
三十分以上前にも見た。
それだけでは何も分からない。
普通の夜勤でも、そのくらいは同じ人がいる。
直人は時計を伏せた。
◇
午前五時四十六分。
店内が少し明るくなった。
窓の外にも薄い光がある。
美咲が起きる。
子どもの毛布を直す。
由佳が寝返りを打つ。
森田はまだ眠っている。
カウンターでは注文が入っていた。
「モーニングのセットを一つ」
秩序が受ける。
直人は昨夜から何時間寝たのか考えた。
途中で二回起きた。
それでも眠った。
森田も眠った。
高校生も眠った。
クルーが眠ったところを、直人は一度も見ていない。
◇
午前六時二十三分。
森田が目を覚ました。
ゆっくり身体を起こす。
「何時?」
「六時二十三分」
直人が答える。
森田は顔をこする。
「寝た」
「寝てた」
「箱は?」
「見てない」
森田が一瞬だけ箱を見る。
それから視線を戻す。
「じゃあ後で」
昨日までなら、起きてすぐ確認していた。
今日はしなかった。
◇
午前六時三十分。
森田は洗面台へ向かった。
その横を秩序が通る。
「おはようございます」
森田が振り返る。
「おはよう」
二人はそれだけで通り過ぎた。
一人は、寝起きの髪で。
一人は、昨日と変わらない姿で。
直人は時計を見る。
店へ来て三十八日目。
九百時間を少し超えている。
その全部を同じクルーが働いていたとは言えない。
見ていない時間がある。
交代していないとも言えない。
ただ、人間側には「何時間休んだ」が増え始めている。
クルー側には、それを数える材料がまだ一つもなかった。
森田は欠伸をしながら戻ってきた。
カウンターからは、いつもの声がした。
「次のお客様どうぞー」




